脳筋! スーパー辺境ファミリーズ
パトレシア 高等部1年→2年
ユーコウ 辺境警備隊隊長 大尉
高等部1年の終わりに、パトレシアの辺境伯就任が内定した。
爵位を名乗れるのは18歳からなので、お披露目は来年の夏以降になる。
学園の卒業を待つという選択肢もあったが、防衛上、早い方がよろしい。その後は、学園に半年籍を置くか、退学か。
内定式は、大聖堂の裏庭で厳粛に行われた。
春の光が暖かくふりそそぐ午後だった。
裏庭と呼ばれているが、大主教と国王の許可なくしては、何人たりとも足を踏み入れることのできない聖域である。
王族や聖女が洗礼を受ける泉が、その中心にこんこんと湧いている。
また、休閑期間近な天龍バハムートの、寝床でもある。バハムートは国家の象徴的な存在である。
パトレシアは、国王陛下、宰相閣下、王太子殿下、ワイバーンのウェンディ、まどろんでいるバハムートの3人と2頭に見まもられながら、大主教から新品の錫杖を渡された。
『爵錫』と呼ばれる白金の錫杖で、爵位を失う日まで貸し出される貴族の宝だ。
竜族の言語を解す陛下によると、ウェンディがこの伯爵錫の守り手を引き受けてくれるらしい。
つまり、盗人は遠慮なくウェンディに噛まれるってことだ。
ちなみに、辺境候トニオ・アリストと息子のアルマリオ、イルジーノが不参加な理由については、宰相閣下が教えてくれた。
「トニオたちは内緒話が苦手だからねえ」
辺境伯新設は、大っぴらにしていないだけで秘密でもなんでもないが、人事やその他の守秘義務は多岐に渡る。
パトレシアは納得した。
あの大雑把すぎる父子が、逐一記憶するわけがない。しゃべって良いことだけを、事後報告するに限る。
そんなこんなで、いつもの春休暇より帰省が遅くなってしまった。
「ウェンディ。湿原の屋敷に送ってくださる?」
ウェンディは黒くて丸い目をパトレシアに向け、嬉しげに頷いた。
「きゅっ!」
パトレシアが生まれた日にアリスト家の庭に住み着いた、若い雌のワイバーンで、一番の親友だ。
いつもはひとりと1匹で親戚の家(パトレシアだけでなくウェンディの親戚も!)に寄ったり、少し遠回りして土産を買ったりしていたが、今回はちょっと時間がない。
「休憩なしで飛びたいわ。全速力で」
つぶらな瞳がきらーんと光った。
ワイバーンは気に入った生き物を背中に乗せるのが大好きだ。
さらに全速力で飛ぶのも大好きだ。
たいていは乗る方の体力が追いつかないが、放課後演習倶楽部で切磋琢磨し、成長著しいパトレシアである。悪天候でも強行軍でもばっちこいなのである。
幼い頃から空を駆けてきたウェンディは、大好きなパトレシアを、より大好きになった。
「素晴らしいぞ! パトレシア! 女伯爵拝命とは、側妃以上の名誉! よくやった! 娘よ!!」
朗々とした低い声で、大きな掌を広げるトニオ・アリスト公爵。一時期禿げ上がった髪は、フサフサに戻っていた。
パトレシアは、懐かない猫のような視線を向けた。
思えば、この父には「側妃になれ、側妃になれ」と、さんざん発破をかけられてきた。
フレデリックにも、会うたびに『ぜひ、パトレシアを正式に側妃に!』と、暑苦しく懇願を繰り返してきた。
名誉や利権狙いではなく、娘を遣帝女にしたくなかったのは、わかる。
フレデリックに恋する娘を応援してくれていたともいう。だけど、今思うとそれがめちゃくちゃ恥ずかしい。
パトレシアは父をスルーして、その背後に控える女性に抱きついた。
「ただ今、戻りました。お母様。お元気そうでなによりです」
「まあ、パティ、また背が伸びた? 抜かされちゃったわね。それに、ますます美しくなって!」
「ありがとうございます。でも、ちょっと高すぎるかしら?」
「とんでもない! ワイバーンライダーは背が高いほど麗しいんだから!」
満面の笑みの母の背後で、広げた腕の収まりがつかない父侯爵。なかなか哀れな絵面である。
が、パトレシアは無視した。迷わず、長男夫妻とハグを交わす。
「お帰り、パティ。疲れただろう?」
「故郷から果物が届いたのよ。コンポートがたくさん作れたわ。ぜひ召し上がってね? パティ」
長兄アルマリオは、次代のアリスト辺境候である。
その妻のヒミリは、南大陸にある小国の姫君だ。
面積はサンドライトより狭いが、過剰なほど果物とキノコが獲れるらしい。今や、食料不足が慢性化している辺境のライフラインになっている。実にありがたい。
「ただいま戻りました。アルマリオお兄様。
お気遣い感謝ですわ。ヒミリお義姉さま」
それにしても、いつ見ても兄はでかい。厚い。父に似て、筋肉の塊みたいな人だ。兄嫁は逆に、子どもを3人産んだ今もほっそりしていて若々しい。まさに、美女と野獣である。
ちなみに、次兄夫婦はふたりともマッチョである。
言うならば、美獣と野獣だ。
「ウェンディがやたら浮かれてたけど。超高速移動で来たのかい?」と、次兄イルジーノ。
「はい。イルジーノお兄様。時間がなくて。でも、私も楽しゅうございました」
「ウェンディの高速移動に振り落とされないなんて、貴女って本当に素敵! せっかくだから、新任の辺境警備隊長をしごいてくださらない?」と、次兄嫁のヨシア。
「あら。辺境警備隊長、人事異動になりましたの?」
パトレシアは首を傾げた。
辺境警備隊は「キツい、遠い、危険」の三拍子そろった不人気部署である。役にたたない怠け者を投入すれば、一日で辞表がもらえる窓際族クリーナーでもある。
「ええ。なんでも、王都の剣術トーナメントの優勝報酬に、辺境警備隊を志願した変わり種よ。でもね! びっくりするくらい素敵なの! イケメンなの!!」
「まだ21歳なのよ! あんな若い隊長、初めてよね!!」
「燃え盛る炎みたいな赤毛に、晴れた日の空みたいな澄んだ瞳なの!」
「とても気さくで、黙っていれば凛々しいのに、笑うと子犬みたいに可愛いらしいの!」
やたら色めく人妻たち。
「はあ」
気圧されるパトレシア。
父と兄たちは、血管を浮き上がらせてピクピクしている。
「ユーコウ・クボ様っていうのよ!」
パトレシアは「あ、先輩か。なるほど」と合点した。
若干垂れ目で、優しげな顔立ち。爽やかな笑顔。
女性受けの良い見目をしているし、誠実そうだ。特に浮名も聞かないし。知らないだけかもしれないが。
「まあ! パティ! お知り合い?」
「中等部一年時に、高等部三年生でしたの。剣術大会で対戦しましたが、5分で負けてしまいましたわ」
「はぁ? パティが負けた???」
「パティ、あんな弱いやつに負けたの???」
「おなか痛かったの?????」
うずうずとお土産を待っていた甥と姪たちが、首を傾げた。ちなみに、視線はパトレシアが持っているお菓子の袋×子どもの人数に釘付けである。
パトレシアも首を傾げた。
「弱い? 誰が? 先輩が? 私、ウェンディと一緒に戦いましたのよ? ワイバーンは弱い人間とは遊ばないわ?」
「うそだあー!!」
甥たちが一斉に口を尖らせた。
「辺境槍がヘッタクソで、毎日、父上たちにボコボコにされてるぜ! ダノン爺さんにも腕相撲負けまくりだし」
「ワイバーンに乗れなくて、振り落とされてるし! 角笛吹けないし!」
「ぜんぜんカッコ良くねーし! ま、肩車ダッシュしてくれんのは、悪くねえけど」
姪たちも黙っていない。
「でも、優しくていー人だよ!」
「たしかに槍はちょーヘタクソだし、あんま強くないけど! どりょくはしてるわ!」
「そーよそーよ! それにかっこいーもん! ねー? ママ!」
「ええ。本当に素敵よね!」
「弱いヤツは、素敵くない!!!」
パトレシアの天使たちが、新任の辺境警備隊長を巡ってケンケンガクガクだ。
パトレシアは一旦視線を下げてから、我が父上に視線を向けた。
「つかぬことを伺いますが」
「なんだい? パティ」
ようやく娘に口をきいてもらえた辺境候は、しっぽをふる犬のごとく破顔した。
「辺境に赴任してから、ユーコウ先輩と剣を交わした方はいらして?」
「いや。おらんよ」
「ユーコウ先輩は、長剣と半月刀の二刀流ですわ。ご存知?」
「そりゃ知らんが、あの若さで警備隊長なんだから、惰弱なわけがなかろう。あやつは赴任した日にウェンディの番に懐かれてのう。本人もワイバーンライダーを希望しとるから、辺境槍を教えておる。バジリスクやテュホンを仕留めるには、剣では届かんしの」
「あ、そういうことでしたら、納得ですわ」
パトレシアは合点して、それ以上は追求もフォローもしなかった。
ワイバーンライダーが使う長槍は、伸縮自在で最大10メートル。全身に毒を持つバジリスクや、表皮が硬すぎて眼球を突き刺す以外に討伐方法のないテュホン退治に特化した武器である。
辺境では、非戦闘員でも当然の嗜みだが。王都から来る辺境警備隊は、まずはこの槍の習得に泣かされるのだ。
甥たち以上に、兄たちが混乱した。
「うそだろ?! 親父、あいつ強かったのかよ!」
「むしろ、お前らが気づいてないことに驚いたわ! 修行しなおせい!!!」
怒鳴られる辺境ブラザーズを、姪たちがやれやれといった顔で見上げていた。
「あんまりカッコいいから、ママたちを取られちゃうって焦ったんじゃないかしら?」
「バカね。男って。あんなに素敵な人が、コブつきの人妻なんか、相手にするわけないじゃなーい」
「ちょっとピノ。それ、どういう意味かしら?」
「あたしたちの方が、ママたちよりチャンスあるもーん!」
「え。でもあいつサイテーだよ? 家つきの美女と結婚したいって言ってなかった?」
「10年でおっきくするもん!」
「許さん! あやつめ、段平の餌食にしてやる!」
……親族一同、元気でなによりである。
パトレシアは、お菓子だけテーブルに置いて、団欒の場から退室した。
3階の自室にひっこんで、隊服からワンピースに着替え、立て付けの悪い窓を開く。
雪解け時期の湿った冷気が、部屋の中に入り込んできた。
冷たいけど清々しくて、とても気持ち良い。
辺境の春は遅い。神殿の裏庭に咲いていた蒲公英が大地を覆うまで、半月以上かかるだろう。
「それにしてもユーコウ先輩、どうして辺境にいらしたのかしら?」
3年前のパトレシアは、内心「あんなに強い人を、お飾り騎士団に配属させるなんて!」と憤慨した。
あそこは宮廷貴族の愛と欲望の巣窟である。ある種の伏魔殿である。
いくら美形で強くても、女性にモテても、ユーコウは爵位も後ろ盾もない一代騎士にすぎない。不祥事があった際の首切り要員の側面もあったはずだ。
そんな場所でも自分なりの居場所を掴める人は、華やかな道を華やかに進める人は、やはり優秀なのだ。
決して楽ではないが恵まれた道を、彼は自ら退いた。
そして、最も不人気で、海軍よりも過酷な、辺境警備隊への転属を志願した。
何があったのか、パトレシアにはわからない。
だけど、得意の剣技を封印して槍を習い、この地の戦術を身につけようとしていることだけは、わかった。
会ってみたいな、と、思った。
4年ぶりに手合わせをしたいとも、思った。