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そりゃあ、楽な道を選びたい。
だけどその方法が……!
媚薬効果が全開だったときは、それでも飛びついた自信がある。絶対そうしてる。クリフォードにも影響はないみたいだし。躊躇う理由はない。
だがしかし、いまの私は理性が溶けて熱に浮かされていたようだったときとは違って、その理性がちゃんと戻ってきている。
さっきまでが状態異常・強だったとしたら、状態異常・弱。
方法が文字通りのキスだってわかったいま、安易に飛びつけない。
だって私にとっては正真正銘の、本物のファーストキスだよ?
人並みの憧れがある……! 立場上、そんなことを言っていられない事態に陥ることはあり得る。ただ出来るだけ、コントロールできる状態なら、タイミングは自分で決めたい。
そもそも媚薬、現状は耐えられるぐらいになっているのに、それを打ち消すために消費するのは……!
程度の問題だよね。
「もう辛すぎる!」じゃなくて「ちょっと辛い」ぐらいでクリフォードにキスを強制するのもどうなの?
そんな内なる葛藤も生まれている。
――心の中で深呼吸。
決めた。
「……無理に完全に消す必要はないわ」
答えを口にする。
「言ったとおりよ。このくらいなら、耐えられそうだもの」
クリフォードの眉が、ほんの僅かに寄った。
「しかし、殿下のご負担は少ないほうが良いのでは?」
つい、ちょっと笑ってしまった。
「『従』としての責任感が強すぎるのも考えものよ? クリフォード。大丈夫だって言っているのは、本当よ。……嘘じゃない」
息を吸って、吐いた。
「だから、本当に耐えられないようなときがあれば――もしそんなことが起こったら、そのときは命令するかもしれないわ」
ただし、いまではない。
一応、現状は問題ないからその方法を使わないのであって、必要なときはちゃんと使わせてもらう、というのも伝えておく。
まあ、次回はそもそもないと思うんだけど。
クリフォードへ私に生じた何かを移さなきゃいけない事態、なんて。
濃い青い瞳が、まっすぐに私を見ている。責めるわけでも、諭すわけでもなく。
「……承知しました」
やがて、落ち着いた声が降ってきた。
「ただし、殿下へ一つお願いしたいことがあります」
ん?
続けられた言葉に、瞬きをする。
「お願いしたいこと?」
クリフォードが頷いた。
「――そのときに。殿下の様子が限界に近いと判断した場合、ご命令の内容によっては私が逆らう可能性があります」
その許可を、と。
「…………」
これって、今後、私が駄目だ、と命令していても、私の怪我や病気、媚薬の効果をクリフォードに移動させるって宣言だよね。
偽装の恋人役に関しては、私からのお願いであって、嫌なことは拒否していい、と私はクリフォードに対して伝えている。
ただ、私からの命令に対しては明言していなかったかも。だからわざわざクリフォードも口にして、確認した?
そして正直……このケースについては拒否したい気持ちが。
『従』としては『主』を助けることを優先したいってことだと思うけど、その『主』としては、『従』に自分の病気や怪我を移したいとはちっとも思わないからね? 媚薬みたいに、クリフォード――『従』に移ることで無効化なり、完治するならまだしも、全然そうじゃないみたいだし。
なので、拒否です!
と、口を開きかけたものの……直前で私は思い直した。
大前提として、そんなことが起こらないようにすれば良いんだよね。
実際、次回はないって考えてもいる。だけど、ここでOKをクリフォードに出しておいて、自分への戒めにしておいたほうが……?
「……許可するわ」
「ありがとうございます」
クリフォードの顔に、ささやかな安堵みたいなものが浮かんだ気がした。
――これにてひとまず一件落着?
あとは、ルストが上手く動いてくれる――解毒薬が手に入るまで、私に少し残る媚薬の効果をやり過ごせばいい。
だけど、密着したまま、なのは何とかしよう、うん。
……楽にはなっていることだし、クリフォードに抱きついたままなのは、完全におかしいんだよね。
そして、やはりふとした拍子に視界に入る、はだけた首元が目に悪い……!
無意識に、手を伸ばして自分で直そうとしていたのに途中で気づいて、私は行動のかわりに言葉を発した。
「クリフォード。服装を調えたほうが良いわ」
そうさせた元凶が何を言う! とは自分でも思う! でも私が直すのは躊躇われるし、となると本人に、となってしまう。
視線を該当部分に走らせたクリフォードが、「ああ」という感じで顎を浅く引いた。
「申し訳ありません」
釦を留め、制服の一部である飾り布……ネクタイを結び直している。
必然的に、私の背に添えられていた手が、離れたんだけど……。
それで、私が動くだけで、クリフォードから簡単に距離を取れるのに。
――なのに、身体が動かないのは、どうしてなんだろう。
手が離れただけで、寒々しく感じたのは?
離れなきゃって思うのに、そうしたくない、みたいな。
……おかしくない?
クリフォードに抱きしめられていると、居心地が良くて、落ち着いて、離れたくない。
私はそう思ってる。
これって――普通に考えるなら。
恋愛感情?
クリフォードを、好きだから?
ぽんっと、突然、答えらしきものが頭に浮かんだ。
ただ――すぐに、自分が媚薬に冒されたままだってことに思い至った。
楽になったとはいえ、いまだ効果は発動中。つまり欲望優先の思考に流されがち。
残っている媚薬の影響で、離れたくないって感じているだけなんじゃあ?
そう考えても、辻褄が合う。
クリフォードを見上げる。
正装用の一糸乱れぬ制服姿に戻っていた。
視線が合って、心臓が、大きく跳ねた。
――媚薬のせいだって、言い切れる?
心のどこかで、小さな疑問が生まれた。
でも、媚薬の影響ではないとも言い切れない。
媚薬がまだ残っている状態だということは、こういう方面での判断が信用できないものにかわっているということ。
じゃあ、どうすれば?
――試せば?
今度は、そんな考えが浮かんできた。
さっきクリフォードが言った、『主』の状態を『従』に移すことで、私の媚薬の効果を完全に消す方法。
「無理に完全に消す必要はないわ」と一度は否定したものの、あれを実行して、媚薬の効果が私から完全に消えたら、自分の気持ちがはっきりする?
そして媚薬が効いていない状態でも、何も変わらないなら――。
喉が、ごくりと鳴った。
……問題は、一つ。
そのためには、キスをする必要がある。
口づけを。互いの唇同士に。
ファーストキスを媚薬の解毒に使うのはちょっと、と尻込みしていたのにもかかわらず。
しかも、「このくらいなら耐えられる」とか格好つけておいて、数分も経たないうちに「やっぱあれなし! しよう!」と言い出すことになる。
気が変わるのが早いのにもほどがある! あと自分のことだけ考えちゃってる!
頭を抱えたくなった。
「――殿下」
クリフォードの声が、近い。
濃い青色の瞳に覗き込まれて、思わず息を呑む。
「……何、かしら」
「真剣な顔をされていましたが」
考え事を少々。でも、言えない。
ちょっと確認したいことがあって、やっぱり媚薬の効果を完全に消したいんだけど、なんて。
このまま、残っている媚薬のせいかも、で片づけてしまったほうが?
「……クリフォード」
自分でも驚くぐらい、小さな声が漏れていた。
何も考えず、単に呼んだだけ。どうするかも決めていないのに。
「わたくし……」
「やはり、苦しいのですか?」
クリフォードが、真剣な表情で私を見つめている。
好きなのかもって疑問に思ったから?
鼓動が、速くなる。
これは媚薬のせい? 関係ない? ……わからない。
首を横に振るのが精一杯だった。妙に焦ってしまう。
頭が混乱する。
もういっそ、クリフォードに移す――キスする方法を実行してみる? 少なくとも、どっちつかずなのが、それではっきりするはず。そっちのほうへ思考が傾いたときだった。
クリフォードの表情が、ふっと変わった。
視線が私から外れ、扉のほうへと向く。
私からすると、どこでもない方向を見ている。これまでの経験上、このパターンは――。
「国王陛下とルスト・バーンがここへ向かっているようです」
私へと視線を戻したクリフォードが紡いだ言葉に、思わず扉のほうを見る。
耳を澄ませてみても、静寂があるだけ。人の気配なんかも私は全然感じられない。
でも、クリフォードがこう言っているんだから、父上とルストがもうすぐ着くってことだ。ルストが私の残した指示通りの働きをしてくれたってことになる。
そして、父上が自らやってきた。
解毒薬を手配して?
――息を吐く。
……そうだった。解毒薬が、手に入るはず。無理にクリフォードに移す必要なんてない。
少しだけ、待てばいい。
そんなことはわかっていたのに、思考がおかしくなっていたのは……これこそ媚薬の影響かも。
もう一度、大きく私は息を吐いた。




