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……困った。
媚薬の効果は、大分薄まっているのを感じる。……どうしてかは、わからないけど。
ていうか、こうなったのって、右手の甲に浮かんだ『徴』が光ってからだと思うんだよね。
でもクリフォードは「いいえ」って否定していた……。
いや、目下の問題は――。
いい感じに媚薬が薄れているのに、クリフォードに抱きついてしまっている、この状態!
――落ち着いた。確かに、精神的には大分落ち着いた。
媚薬で熱に浮かされたって感じでは、もうない。意識もはっきりしている。ただ、完全に媚薬の効果が消えたわけではなくて、普段なら働く理性がきちんと仕事をしてくれているのかどうか激しく不安。
じゃないと、「――そう」って頷いてから、だからって抱きついたりしないでしょう! 開き直っちゃ駄目だから!
クリフォードが抱きしめ返してくれたのが嬉しい、なんてのも、このままでいたい、と思ってしまうのも、その証拠! さっきまでよりも断然マシなのは実感してるんだけどねっ?
ううう。こういう媚薬を飲んだ後のセオリーって、そのまま意識を失っちゃうとか、そっちの方向が多いんじゃなかったっけ? どうして私はしっかりくっきり覚醒しているのか……!
少しだけ、顔を動かす。
失敗だった。媚薬に冒されていたときの所業の結果が、まざまざと目に入ってしまった。
クリフォードの首元がはだけているのが。
もともと、私が欲望のままに正装用の制服の釦を外そうとしたのが発端だった。釦を外したのはクリフォードだけど、その後の自分の行動を思い出し、心の中で私は悲鳴をあげた。制服を引っ張って、首筋の傷痕を見えるようにしたあげく――そこにキスしたんだった!
媚薬が効きまくっていたときの自分め、何てことを……!
あ、謝らなければ……!
でもそのためには、クリフォードの顔をきちんと見よう。
覚悟を決め、私はそろそろと顔を上げた。
「…………」
濃い青い瞳と、至近距離で目が合う。
そこには、気遣わしげな色が宿っていた。
でも、それだけじゃないような……?
「――体調は、いかがですか」
低い声が、降ってくる。
「……不思議と、大分楽になったわ。耐えられそうよ」
「耐えられる……。では、苦しくはあるのですね」
クリフォードが思案顔になってしまった。私の言い方が悪かったのかな?
言葉を重ねることにした。でも嘘はどうかと思うし……。
「まったく平気とは言えないけれど、本当に大丈夫よ。さっきまでとは全然違うもの。クリフォードもわたくしの様子を見ていてわかるでしょう?」
あとは、肝心のこれを言わなければ!
「それから、ごめんなさい。勝手に、傷痕に触れたりして」
キスしてごめん! と直球では言えなかった。ただ、媚薬のせいで、と言い訳したかったのは自重した! ……そして気づいた。これって限りなく私のファーストキスに近いんじゃあ。自分からだし。うあああああ! で、でも、口じゃないから……!
クリフォードが小さくかぶりを振った。
「勝手に、ではありません」
「……え?」
「止めようと思えば止められました。ですから、それについて謝る必要などありません」
思い返してみる。確かに、制止も、抵抗らしきものもなかった。
「――殿下にとって、口づけは重要なものですか?」
考え込んでいる様子で、クリフォードがふいに問いかけてきた。
「それは……。誰とでもすることではないでしょう? もちろん無理やりはいけないし」
「つまり、重要なのですね」
え、う。はい。
素直に「重要よ!」と答えるのを避けていたのが、封じられた。いや、だけど、重要じゃない人なんている……? クリフォードだって例外じゃないはず……。
クリフォードの顔を見上げる。
……やっぱり、と思った。媚薬が完全に消えていないせいか、逆に羞恥心が軽減されて、でもある程度思考も働いていて、だから気づいた。
何だろう? さっきから――クリフォードが迷っている、みたいに見える。
「――クリフォード」
「はい」
「何を、迷っているの?」
問いかけると、クリフォードがほんの僅かに瞠目した。ついで、一瞬だけ目を伏せる。でも、まだ答えるつもりはないみたい。
だけど私は追及の手を緩めなかった。
「クリフォード。答えてちょうだい」
「…………」
依然として、迷っている風ではあったものの、クリフォードが口を開いた。
「……殿下に生じている媚薬の効果を、完全に消すことが、可能かもしれません」
ピンと来た。やっぱり、さっき『徴』が光ったのって関係してる?
クリフォードの説明によると、『従』が『主』の状態を引き受けた――そんな過去の前例があるらしい。ただし、一方通行。『主』が怪我をしたり、病気をしたら、それを『従』に移動させることができる。その逆はできない。
また、『主』『従』関係であればできるってことでもないらしい。
「確証はありません。しかしさきほど、私が『徴』に触れたとき、それが部分的に発動したと考えられます」
じゃあ再発動させればいいんじゃあ? なんて私は安易に考えてしまっていた。
やっぱり心情として、できるなら媚薬の効果は完全に消し去りたい。より楽な道があるならそっちを掴みたくなる凡人が私なのです……!
ただし、とクリフォードが言葉を続ける。
「成功するとも限りません。また媚薬の効果を完全に消し去るためには、方法に難があります」
右手の甲に浮かんだ『徴』に、クリフォードが唇で触れたら、媚薬の効果が薄れた。
あのとき、私からクリフォードに媚薬の一部が移った……? 「いいえ」と答えたのも確証がなかったから……。
とここまで考えて、はっとした。
「待って。『主』から『従』に移るだけなのでしょう? 怪我や病気を『主』から引き受けた『従』はどうなるの?」
「そのままかと」
平然と返してきた。それが何か? とでも言いたげ。
クリフォードおおおおお!
「じゃあ、わたくしが飲んだ媚薬は? あなたに一部が移ってしまったんでしょう?」
平気そうな顔をしているけど、苦痛を表に出していないだけ、なんてことは……?
「私には効きません。ですので、移っても私には無害です」
「そう……」
良かったあああ。胸を撫で下ろす。
……ん? でも、なら、方法に難って? 『徴』へのキスだよね? あれをもう一度やる必要がある――難って言うほどかな?
「では、何が困難なの?」
「……殿下にとって、口づけは重要なものだと」
「『徴』になら――」
それに相手がクリフォードでしょ?
「場所が違います」
「というと?」
「簡単に申し上げるなら」
ひと呼吸、置かれた。
「殿下と、口づけを交わす必要があります」
…………。
これって、そういうこと?
耳がおかしくなった? 薄れているけど、まだ効いてはいる媚薬の幻聴?
いや! クリフォードは口づけ、としか言っていない。『徴』への口づけでは効力が弱いって話だよね。でも場所は、私の想像とは違うのかも。念のため、確認しよう。否定されるかもしれないし。
「それは……互いに唇で、ということ?」
披露目の場で、父上に要求されて、クリフォードの機転で回避したやつ?
「はい」
想像通りだった……!
肯定したクリフォードが、気遣わしげな色はそのままに尋ねてきた。
「いかがなさいますか?」
そして、今更ながらに自覚した。
私たちが密着したままだってことを。




