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「……お待ちしておりました。父上」
『祈りの間』へと父上とルストを招き入れた私は、開口一番そう言った。
クリフォードの察知が早かったおかげで、父上たちが到着した後にどう説明するか考えることもできた。そうすることで気を上手く紛らわせることができた、とも言えるかも。
実際、真面目な考え事をしていると、残っている媚薬の効果がさらに薄くなったようにも感じた。集中できるのって大事!
ていうか、数秒レベルじゃなく時間的に余裕があったんだよね。クリフォードのチートっぷりってどんだけなの? この少しの間に「足音からでも誰かわかるの?」って興味本位で訊いたら、もちろん肯定された。気配からでも判断できるらしいクリフォードに対しては愚問過ぎた模様。
私は部屋の机に置いた件の杯を手に取った。
中に注がれているのは、ピンク色の炭酸水。証拠品として持ってきたもの。
「父上にご報告したいことがあります。本日の午餐会会場で、これが提供されていました。美しい色合いの炭酸水です」
杯を少し揺らす。
「ですが中には、媚薬が混入していました」
我が身で体験済み。ほんの少しでああだったんだから、飲み干していたりしたら……恐ろしい。最悪、一夜の過ちがどこかで起きていたかもしれない。私が飲んだのはとりあえず原作通りで、実質被害者はいないも同然だから、そこはセーフ。
「――その割には、オクタヴィア、お前の体調は落ち着いているようだが。……媚薬に冒されているようには見えぬ」
父上が冷静に指摘する。ごもっとも! ……あと、解毒薬を持っているってことは、父上もこの媚薬の威力を知ってるのかな?
不思議と、口ぶりに言葉以上の重みを感じた。でも、そうだとすると、原作での動きも納得できるかも。……現実でも?
「事前に、措置を講じていました。ですので、媚薬入りのこの炭酸水を口にしても、効果が最小限に抑えられています。効いていないわけではありませんわ。それに、口にしたのも少量でした」
嘘と事実の混合!
だってクリフォードと『主』『従』の関係で、その繋がりによってクリフォードに一部、媚薬を肩代わりしてもらいました! さらにはクリフォードは体質的に媚薬が効かないんです! なんて、正直に伝えられるわけがない!
……厳密には、『主』『従』の契約を結んだとき、クリフォードが『従』だってことを口外するかは、『殿下の思いのままに』と当の本人には言われている。
だから、この部分だけはありのままを話す道もなくはない。ただ、明かすときが来るとしても、いまのタイミングじゃない気がするんだよね。
クリフォードは「ん?」と疑問に思っているはずだけど、そこはチラッと見て、「いざというときは話を合わせてね、お願い!」という無言の訴えを送っておく。
瞬きをしたクリフォードが、同意するかのように頷いた。
以心伝心も慣れたもの!
「ですから、父上にお伝えました」
父上に、だけじゃなくて、解毒薬を持っている、と付け加えるのをうっかり省略してしまった。まあ、影響はないかな。ルストから聞いてるはずだよね!
「幾つか、質問がある」
「どうぞ」
父上が、私の持っている杯を指差した。
「まず、それが媚薬入りだという確証が欲しい。そして媚薬入りだった場合は、何故お前はそうだとわかった? ……何故私を呼んだ?」
最後の質問は――ん? ルストから聞いてないの? 省略したの、影響あり?
室内に控えているルストに視線を投げる。
こちらの視線に気づいたのは良いとして――ルストが肩をすくめた。
…………。私とルストの間では以心伝心が不可能だってことがわかった。
心の中でため息をついていたら、
「では、私が飲むのはどうでしょうか」
一体何を思ったのか、ルストから爆弾発言が飛び出した。
「即座に確認するのなら、誰かに飲ませるのが一番です。殿下では効果が薄いとのこと。まさか国王陛下に飲ませるわけにもいかないでしょう。残るのは護衛の騎士である私たちですが――万が一のときの抑止力としてはアルダートンが適切です。媚薬を飲むべきは私ということになります」
私へ近づいてきたルストが、手を差し出した。杯を受け取る気みたい。
……本気?
こうなってくると、私も不安になってきた。何がって、本当に父上が解毒薬を持っている――もとい、手配できるのかってことが! ……だって、今回起こった現実の媚薬事件は、経緯が怪しい!
原作だと黒幕はクラリッサ。でも今日、クラリッサは何もしていない。その私の見方は変わらない。
別の黒幕がいるはず。――ということは、解決方法も違うのかも?
原作だと父上から解毒薬を入手できたけど、現実ではできないオチもあり得る。ピンク色の炭酸水という点は同じでも、使われている媚薬が違う可能性も?
鍵は――やっぱり、原作の内容かな? どうやって父上はオクタヴィアを救ったんだっけ……。ものすごくスムーズ、だったはず……。トントン拍子に進んだんだよね。そんな印象が残ってる。
……そうだ! 原作だと、父上はオクタヴィアの状態を知らないのに、ピンク色の炭酸水を見ただけでそれが媚薬入りだと見抜いていた。
いまみたいに確証がどうこうなんて言ってない!
なら、通用するのか怪しいけど……ひとまず原作知識から強気に行ってみる!
「確証など必要ですか?」
歩み寄って、私は父上の目の前に立った。これ見よがしにピンク色の炭酸水を掲げる。
「父上なら、この杯を見れば、一目で媚薬入りだとおわかりになったはずでは?」
「私なら、か」
「はい」
私は力強く頷いた。
自信ありげに、これ重要!
……何故か父上が苦く笑った。
服の中に手を入れ、小さな瓶を取り出すと、私へと差し出す。……見覚えがあった。
ルストを護衛の騎士にすると決める前に入った、父上の執務室とセットになっているプライベート兼休憩室。そこにあった隠し部屋の中――小さな台に置かれていた、あの小瓶だ。透明な液体が入っているのも一緒。
「――飲みなさい。解毒薬だ」
やっぱり鍵は父上にあった! 原作通りだ!
でも原作だと手配ってなってたけど、まさかの解毒薬を持ち歩いてたってこと?
それに、いいの?
「……よろしいのですか?」
「何がだ?」
「何故媚薬入りだとわかったのか、わたくしはまだ説明しておりません」
これは突っ込まれたらどうしようかなーって思って、必死に考えた部分なのに! そしてこのおかげでかなり気が紛れた!
「わたしがあの問いをした時点では必要だった。しかし、もう不要になった。……すぐに渡さず済まなかったな」
う。罪悪感が! 解毒薬がなくてもとっくにピンピンしてます! ごめんなさい父上!
「殿下。杯をこちらに」
さっきとは違う意味での申し出をしたルストに、今度は持っていた媚薬入りの杯を預ける。父上から私は小瓶――解毒薬を受け取った。
これで……飲めば、媚薬は完全に解毒される。
ただ、これ一つきり、とかじゃないよね? 確認しておこう。
「わたくしが飲んでも構わないのですか? 解毒薬がこれだけなら……」
「そのために私を呼んだのではないのか?」
そうなんだけど……こんな風に言うってことは、やっぱり父上には最初から私の意図がちゃんと伝わってたってことだよね? なのにあんな質問を? とにかく、ルストを疑ったのは濡れ衣だった。
「手元にあるのがそれなだけだ。解毒薬は新たに手配できる」
「……わかりました」
私も安心して飲めるってもの。小瓶を開けて、一気に飲み干す。
……甘ったるい。砂糖水を飲んだみたいな感じ。
「徐々に楽になるはずだ。それは専用の解毒薬というわけではない。一種の万能薬だな。あらゆる毒に効く。――媚薬も含め。弱点として対応する範囲が広い代わりに解毒が完全に済むまでは時間がかかる。お前の場合は、媚薬の効果があまり出ていないのが幸いだった。しかし今日は、これ以降の活動を禁ずる」
父上が『祈りの間』の室内を改めて見渡す。
「ここでも構わない。もしくは自室か。休むことだ。どちらで休むかはお前に任せよう」
「……わかりました」
神妙に、さっきと同じ返答をするしかなかった。
飲んで即効き目が出るわけじゃないみたいだし、完全に解毒できていない状態で午餐会に戻ったり、晩餐会に顔を出すのは避けるべき。
どちらも、結構毎年楽しみにしていた。だけどこればっかりは仕方ない。
――ただ、依然として残っている問題が一つある。
どういうルートで防いだはずの媚薬事件が起こったのか。
「父上の言うとおりに、大事を取って休ませていただきます。ですが、犯人の調査は行ってください。杯を運んでいた給仕については、ルストが確保しているはずです」
……だよね?
視線を飛ばすと、
「ご命令通り、確保しております。セリウス殿下の協力により、該当の給仕はホールデンの監視下に」
ルストがすらすらと述べた。ホールデン……兄の護衛の騎士のネイサンだ。まだ怪我が回復途中のはずだけど、復帰したってこと? ヒューがいない代わりに、その役割がネイサンに回った、とか? 兄が協力っていうのは、原作の流れが加わった?
「……犯人か」
思案は、父上の呟きによって破られた。ついで、父上がじっと私を見つめた。そうすることで、何かを見つけようとでもしているかのような視線だった。
「では、セリウスに任せよう。これで良いか?」
今日の媚薬騒動で、奔走して原作での黒幕であるクラリッサを突き止めるのはセリウスだから……。
「異論はありません」
私は頷いた。
「――しかし、やはり解せないな」
父上の様子と、声のトーンが少し変わった。私……だけじゃなくて、すぐ側で控えているクリフォードを眺めている。
「お前の伴侶相手として想定していたこれまでの護衛の騎士は選ばずに、その候補ではなかったアルダートンが恋人だとは」
媚薬騒動とは関係ないばかりか、いきなり、衝撃の発言が投入されたんですけど……?
「……父上。いま、なんと……?」
「これまでの護衛の騎士は、お前の伴侶候補も兼ねていた。……アルダートン以外はな」
「では、グレイも?」
「あれはさすがに年が離れすぎてはいたが、それ以外に問題はなかったな。お前次第だった」
私次第っ?
「言ってくだされば」
もっとガンガンアプローチしてたかもしれないのに! ……いや、当時だってグレイにはかなり無茶振りしてたっけ……? 王女は必ず護衛の騎士にエスコートされながらっていう慣例が残る直線の廊下――『王女の道』を無駄に通ったり。
で、でも、護衛の騎士を恋愛対象から除外することはなかったかも!
「所詮、お前の気が向けば、という程度に過ぎない。これまでは、お前にその気がなかったのだろう?」
「というより、いずれも長続きしなかったものですから……。護衛の騎士と、とは、考えていませんでした」
「そうか? 祖先の中には、護衛の騎士と結ばれた王子もいたらしいが」
妙に冷めた口調で父上が言う。
それ、王女じゃなくて王子の場合ね!
「いずれも家柄、人柄、交友関係、性格……。お前が伴侶として選んだとしても遜色ない者を護衛の騎士としてつけていたのだがな」
クリフォード以前の護衛の騎士は、短期間過ぎてあんまり印象に残っていない。とはいえ、い、言われてみれば……? 人柄……。職務より想い人優先の騎士もいたけど、自分が恋人の立場だったとしたら許容範囲か……。
だけど。
私は首を振った。
「――心ばかりは、どうにもなりませんわ」
私というより、向こうのね!
はー……。でも、そうだったのかー……。私の初恋……。グレイの気持ちが私に向いていれば、年の差婚が実現していた可能性も?
「……の、ようだな。お前が選んだのは、クリフォード・アルダートンだ。伴侶候補としては、想定していなかったが」
その口ぶりが、引っ掛かった。
……父上が、クリフォードを除外しているのはどうして?
「何故、同じ護衛の騎士なのに、クリフォードが除外されるのですか?」
い、いや、別にクリフォードを伴侶候補にして欲しかったわけじゃないけど、能力的にも飛び抜けているし、加点要素しかないよね?
「以前、伝えたはずだが」
「…………」
父上は、クリフォードのことを「……あれは毒だ」って評したことがある。たぶん、あのときのことだ。
「アルダートンを護衛の騎士にしたのはお前だろう? セリウスの進言により、ヒュー・ロバーツに内定していたのを蹴った」
この経緯は最近知ったばかり。兄を追いかけて夜の鍛錬場へ行ったのがきっかけで聞いたんだよね。ヒューが内定してたって。
ということは、ヒューも私の伴侶候補だった? 原作のヒューとオクタヴィア……妹ちゃんの関係性からすると、別におかしくない。
私がオクタヴィアになったから、違ってる。
「ですが、わたくしに候補の中から選ばせることにしたのは父上ですわ」
「私は、お前に選ばせても、アルダートン以外になると思っていた。――お前の行動は、本当に読めぬ。……いまもな」
――お前の望みも。
どうしてかな。
小さく付け加えられた呟きが、妙に心に残った。




