――第8章・夜の眷属――
〈入場を検知――フロアレベル:4〉
〈セーブフロア〉
オマリロと子供たちは、石の門から姿を現した。
このフロアは、これまでとはまるで違っていた。提灯と風船に彩られた小さな村。面をかぶった陽気な妖怪たちが、音楽に合わせて手を叩いている。
道の両脇には屋台がずらりと並んでいた。どの店にも奇妙な品が置かれ、店主はさらに奇妙だった。
ポーション。黒い刃。果ては、全身を覆う騎士鎧まで。
「で、今度は何なんだよ、これ」ザリアが言った。「死の罠は? 規則は? あたしら、まだ同じダンジョンにいんのか?」
「これが、母の話していたものらしい」レオが言った。「セーブフロアだ。出現は不規則だが、母は最初の階層で当たると思っていた。小さな文明圏のようなものだ」
「つまり、こんなパーティー会場みたいなフロアに着くと思って、あたしらをダンジョンに捨てたってわけ? ずいぶんありがたいこった」
「あのときは、それが最善の選択だったんだ。たとえ、そのせいで私たちが子供時代を失ったとしても。いずれにせよ、過去を蒸し返すのはやめておこう。レベル150,000のドメインボスから、ようやく生き延びたばかりだ。問題があいつ一人で済むとは思えない」
アオイが舌を出した。
「ぷっ、なに言ってんの! あたしたち、完全にボコってやったじゃん! あいつ、あのちっちゃい影と一緒に逃げてったし、戦いも最後までやらなかったんだよ! 絶対ブログに書くから!」
彼女はオマリロの両肩に手を置いた。
「ね、師匠?」
オマリロは唸った。その注意は、フロアそのものに向けられている。
子供たちにも、彼の様子が変わったことはわかっていた。あの女を目にしてから、以前にも増して気を張り詰めていた。
「子供ら、無駄にする時間、ない」オマリロは告げた。「現象、暴れている。敵、待っている」
レオが咳払いをした。
「ですが、命懸けのダンジョンで最終階層を目指すなら、せめて十分な準備を整えておくべきではありませんか? 今がまさに絶好の機会です」
老人は明らかに乗り気ではなかったが、そんな彼でさえ準備の価値はわかっていた。
ザリアが武器の屋台を指さした。店主の妖怪は、刃を突き出す練習に余念がない。
「あそこ行こうぜ。あたし、もっといい装備が欲しいし」
オマリロと子供たちが屋台に近づくと、店主は彼らに気づくなり、刃を取り落として息をのんだ。
「あっ! カイタンシャ? あれ、待って。装束着てるの、一人だけじゃない……」
オマリロがぼそりと言った。
「女、無駄口を叩く。はっきり話せ」
「はいはい、そうだった! ユミの妖怪工房へようこそ! 沖縄ダンジョンで、うち以上の店はないから。好きなの選んでって!」
ホログラムの画面が浮かび上がった。剣から槍、果てはチェーンソーまで、ありとあらゆるものが表示されている。シジルもいくつか並んでいた。
アオイが画面をつつき回すと、兄が素早くその手をはたいた。
「触るな。ここで買い物をするのに、どんな通貨が必要なのかもわかっていないんだぞ」
ユミはくすくす笑った。
「簡単だよ! 必要なのはシジルだけ! ほら、チェックポイントに着いたり、フロアを攻略したりするともらえるやつ。そう、あれ!」
子供たちの顔が、そろって真っ赤になった。
「あ」ザリアが気づいた。「やべ。それ知らなかった」
「うわー」アオイがため息をついた。「あんたたちが一文無しって知るの、地味にキツいんだけど。でも、ちょっとくらいシジルあるでしょ? 師匠と一緒にいくつもフロア攻略したじゃん」
オマリロが手を差し出した。その中に四つのシジルが現れる。台の上に置くと、ユミが手に取って品定めし、ポケットにしまった。
「おめでとう! ベーシックポーションがひとつ買えます!」
ユミはカウンターの下を探り、灰色の液体が入ったフラスコを取り出した。オマリロは受け取り、目の前に掲げた。
「女、ふざけているな」
ユミは慌てて両手を振った。
「違う違う! ほんとにそれしか買えないんだって! シジル四つでベーシックポーションひとつ。これ以上は値引きできないよ!」
レオがフラスコをつつくと、中身がぶくぶくと泡立ち、また静まった。
「これは何の効果が?」
「ステータスが5%アップするの! すごくない?」
「つまり、ほぼ役に立たないということでは?」
オマリロが台の上のフラスコをはたき落とした。一瞬で砕け散る。
ユミは悲鳴を上げて飛び退き、どうにか平静を取り戻そうとした。
「わかった、わかったってば! いいやつは全部シジル150個以上するの。だから、あと145フロアくらい攻略してきてくれたら、戻ってきたときにいいの揃えてあげる」
「本気で私たちが戻ってくると思っているんですか?」レオが言った。「そもそも、一度攻略した階層へ戻ることなどできるんですか?」
「もちろんできるよ! 全部もう一回攻略し直せばいいだけ!」
「いやいやいや。何百階層も攻略し直さずに、シジルを稼ぐ方法はほかにないんですか?」
ユミは顎をとんとんと叩いた。
「んー。あるにはあるよ。でも、あんたたちみたいな人間が首を突っ込むようなものじゃないんだよね。たとえハンターでも」
ザリアが台に両手を叩きつけた。
「おい、さっさと言え! こっちは暇じゃねえんだよ!」
「わかった! じゃあ、依頼を受けてみたら? やることはけっこう単純だよ」
その言葉に覚えがあるオマリロは、片眉を上げた。ユミは見逃さなかった。
「あれ、もしかして依頼を受けたことある? おじいさん」
オマリロはうなずいた。
「よかった! なら、楽勝だね。ランク2の依頼だから、簡単すぎず、難しすぎず。報酬はシジル250個」
子供たちの関心が一気に引きつけられた。オマリロはほとんど反応しない。
「ほう?」レオが言った。「それは大いに助かりそうだ! どんな依頼なんです?」
「どうせ、あのクソ竜女と戦うよりは楽だろ」ザリアが鼻で笑った。「ゴブリン退治とか、そんなもんじゃねえの」
ユミは首を横に振った。
「全然違うよ! 第五階層を攻略するだけ! わたしたちダンジョンの住人は、どうしてもあそこを突破できないの。挑んだ人はみんな、消えちゃうから」
「第五階層?」
「そう! そしたら、門でここに戻ってきて、装備を受け取ればいいの! もちろん、ダンジョンの外へ出なければ、階層をやり直す必要もないよ」
ザリアがふんと鼻を鳴らした。
「で、『先生』? こいつ、本当のこと言ってんのか、それとも嘘か?」
オマリロには、どちらとも判断がつかなかった。だが、どうでもいいことだ。フロアは攻略しなければならない。シジルが手に入ろうが入るまいが、その目的は変わらない。
「女、腹の内、隠している」オマリロは言った。「だが、女の企み、どうでもいい。依頼、受ける。女、約束を果たせ」
ユミが手を叩いた。
「もちろん! ほんとにありがとね!」
UIが現れた。
〈フロア5を攻略せよ。依頼ランク:2。報酬:シジル250〉
「第五階層へは、どうやって行けばいいんです?」レオが訊いた。
「道の突き当たりにある門を通って。向こうに着いたら、トーテムシジルを手に入れるまでは戻ってこられないからね。頑張って!」
ユミは品物の整理に戻った。
オマリロが振り返ると、門は彼女の言ったとおり、道の突き当たりにあった。
子供たちが話し合う間もなく、オマリロは歩き出した。三人は慌ててあとを追う。
「待ってください!」
オマリロは思いのほか早く門にたどり着いた。子供たちが追いつくと、門の内側でポータルが大きく広がり、不吉な気配が流れ出してきた。
〈フロア5へのアクセスを許可〉
オマリロがポータルをくぐり、子供たちも続いた。
……
〈入場を検知――フロアレベル:5〉
最初に降り立ったのはオマリロだった。
ユミの話から想像したとおり、不穏な場所だった。枯れ木。濃い霧。そして、遠くからかすかに聞こえる悲鳴。
ザリアが隣に降り立った。だが、レオとアオイの姿はどこにもない。
いるのは二人だけ。そして、絶えず形を変える霧だけだった。
「レオ!」ザリアが叫んだ。「アオイ! くそ、どこにもいねえ。先生、見つけられるか?」
オマリロはほんの一瞬、目を閉じた。
「子供ら、別の場所にいる。待つ時間、ない。あとで探す」
「もし、あいつらがヤバいことになってたら?」
「子供ら、自分で道、切り開く。来い。トーテム、待っている」
オマリロは一歩踏み出し、止まった。
規則がまだ来ていない。何であれ、それこそが誰もこのフロアを攻略できなかった理由に違いなかった。
そして、それは現れた。
〈規則:目を閉じよ〉
〈モディファイア:夜の眷属〉
〈最低合格ランク:B+〉
〈開始〉
オマリロはすぐに再び目を閉じた。ザリアも目を閉じ、手を伸ばして彼の肩に置く。
老人は迷いのない足取りで歩いた。何も見えなくても、どこへ行くべきか知っているかのようだった。
張り詰めた沈黙を、ついにザリアが破った。
「あーあ、あいつら無事だといいけど。レオは、まあ平気だろ。問題はアオイだよ。五分もあのクソスマホ見ずにいられねえんだから」
返事を求めているようだったが、オマリロは答える必要を感じなかった。
当然、彼女はもう一度話しかけてきた。
「で、ママのこと、どう思ってた?」
そこへ踏み込んできた。
顔を見なくても、沈黙を答えとして受け入れるつもりがないことはわかった。
「強い。無謀。衝動的。娘と同じだ」
「あたし? あたしは無謀じゃねえよ!」
返事がないことが、ますます彼女を苛立たせた。もうこの話題に付き合う気はないのだと、彼女にもわかった。
「わかったよ。どうでもいい。じゃあ、あんたは? 外の世界で何してんの? 伝説のハンターって、どんな感じなんだよ?」
「ダンジョン。ダンジョン。またダンジョン」
「その歳で、どうやってダンジョンなんか攻略できんだよ。あのドメインボスとやり合ったのも、うちの妹より速く動いたのも、まだ何ひとつ説明してもらってねえ。それに、呪源を何種類も使ってたよな。何もかも辻褄が合わねえんだよ、先生」
娘はあまりにも多くの問いを投げかけ始めた。求めているのは、母親についての情報だけではない。オマリロには、それが感じ取れた。
「ふむ」
ザリアが彼から手を離した。腕を組む気配がする。
「ふむ? それだけ? ああ、もういいよ。じゃあ、あたしが話す。うわ、今の言い方、レオみたい」
彼女は自分の頭をぺしりと叩いた。
「とにかくさ、一日中、守る側でいるのがどんだけキツいか、わかる? こっちの魔物を追い払って、あっちのやつを退けて。疲れるんだよ。第一階層なんか、全部片づけるのに何年もかかった。そこへ、あんたが現れた。ママの師匠が。あたしは大して知らねえけど、あんたがいろいろ隠してるってことは、今じゃレオと同じくらい確信してる」
オマリロは彼女の言葉に耳を傾けた。
やはり、この子は母親にそっくりだ。
「ママのこと、探したことはあんのか?」
オマリロが唸った。肯定だ。
「で? 煙みたいに消えちまったってのかよ」
オマリロは答えを知らなかった。唸り声で、それを示した。
「じゃあ、なんでママはあんたを連れていかなかったんだよ。いつでも呼べる歩く神様がいるのに、なんで一人で行っちまったんだ?」
また、知らないという唸り声。
だが、ザリアは信じなかった。先ほどとは、まるで響きが違っていた。
「ほら、またそれだ。あたしに嘘つく必要なんかねえだろ」
「娘、聞きたくない答えばかり、求めている」
「聞きたいっての! あんたについていくなら、信頼がなきゃダメなんだよ。あんたは、あたしらの助けなしでもドメインボスを追い払える。だったら、隙さえあればあたしらを見捨てるってこともあるだろ? っていうか、四人パーティの規則だって、あんたには関係ねえのかもしれねえ。あんた一人でもう四人分――いや、十人分くらい強いだろ」
彼女の手が、再び彼の肩を探り当てた。
「それにさ、あたしら、ほかにやることもそんなにねえし。ここを出る? いいじゃん。あたしはもう、外の世界がどうなってんのか知らねえ。けど、あんたは知ってる。見せてくれる気、ねえのかよ」
あまりにも聞き覚えのある言葉だった。
オマリロは、その既視感が気に食わなかった。
「やっぱいいや」彼女は言った。「まずは依頼をこなさねえと。目が見えねえのに、どうやってトーテム見つけんだよ」
誰もこのフロアを攻略できなかったのも無理はない。
娘の言うとおりだ。これは、オマリロにとってさえ骨の折れる仕事になる。
霧の中に、ささやき声が響いた。
〈オマリロ……〉
オマリロは足を止めた。
「先生?」ザリアが訊いた。
〈オマリロ・ニュガワ……こちらへ……〉
「誰だ? この声……ママ?」
〈なぜ、私の娘を奪ったの……?〉
「は? ママ、違う、そんなことねえよ!」
オマリロが手を突き出した。
「よせ、娘! その声、偽物だ!」
〈偽物、ですって?〉
そのとき、何者かの手がザリアの肩に置かれた。
彼女は思わず振り返り、目を開けてしまった。
そこにあったのは、母の顔ではなかった。
顔のない何か。鋭い歯と、彼女を丸ごと呑み込めそうなほど大きく裂けた口。
〈ああ、ザリア〉
一瞬のうちに、影の波が二人を包み込んだ。
〈警告! 規則違反!〉
〈ペナルティを執行します〉
影が晴れたとき、そこには何も残っていなかった。
痕跡ひとつさえ。




