星の書
落下した後、無事であるのはきっとアサが魔法でどうにかしてくれたんだろう。
水蒸気爆発の時も、膜が守ってくれるだろうっていう私の憶測による作戦だった。
とすると、私もアサが私の作戦を信じてくれた様に、アサの魔法の力を私は信じていたということになる。
私は奴隷になって以来、誰かを信じるということをしない様努めていた。誰かに仕事を任す際も、その前に出来るであろうことを確認してから根拠をもって任せた。
勿論、信頼はしていた。
だけどそれには根拠とか理由とか、信頼以前に訳を用意していた。
だから、思いついたとしても実行まで移ったことが私には驚きだった。
氷が張れないことだって考えられた。上手く水蒸気爆発が起きなかったら。爆発によって死んだら、死なずとも不可逆な障害が残ったら。その後落下に耐えられなかったら。
どれか一つが上手くいかなかったら私は死んでいる。
そして、これが上手くいくかは全て私には分からない。運任せで作戦と呼ぶのは烏滸がましいものの数々だ。
でも私が驚いたのはこんな作戦を実行しようとした自分にじゃない。
この状況は追い込まれていたからしょうがない。とか、本で彼女の力の一端は知っているから。とか。
そう決めつけることも出来た。
それでも、私はそう納得したくないと思っていることに驚いていた。
私は自分の奥の部分でアサンテ・ファラーシャという存在を根拠もなく信じたという事実を認めたいと思っているんだろう。
もしかしたら私は、心の奥で誰かを求めていたのかもしれない。
それはまるで私の両親のような。疑うことすら必要としないような他者を。
だから、もっと一緒にいたい。
でも相手は不老の魔女。
いつかは私も老いて死に、そして彼女を一人にさせる。
...考えたことはなかったけど、永遠に生きるっていうのはどんな気分なんだろう。
一見とても恵まれているように見えて、よく考えればとても悲しいようにも思える。
きっと、彼女の持つあの明るさも長寿故、冒険譚の後に様々なことがあって変化した性格なんだろう。
不老である特徴は呼び名にも出ている。私は彼女をアサと呼ぶ。これは本人からもそう呼んで欲しいと頼まれたものだった。本の中ではそんなあだ名も、本人が呼ばれたがってるなんて描写もない。
そして何より、彼女は私をサファルちゃんと呼ぶ。
敬称がいつも付いていることに違和感があった。
年下に接している気分と言えばそうなのだが...どこか距離感があるというか、冗談の裏にある本心みたいなのが見え隠れするみたいな不安を覚える。
相手には自分との距離を詰めて来て欲しい。少なくともそう見られたい。だけど自分から詰めて行くことはしない。そんな矛盾とも言える不安定さを抱えている。
これは私の予想だけど、彼女本人と他の人では生物としての差みたいなのが大きいんだと思う。
彼女は実際に、人類が魔中毒で9割近く死亡する場面にも出くわしている訳だし、他者との関わり方に理解し難い価値観を持っていても致し方ない。
なら、私の願いは...
セグレトの森。ダンジョン入口周辺の木陰。未だ日の出には遠く、私達は焚き火を焚いて休んでいた。
ここから火柱はまだ天高く伸びているのがよく見える。
結局、あれが消えるのはこれから何日後か、何週間か、はたまた何年後か。
永遠の炎と呼ばれる自然現象は燃え始めたガスが切れるまで消えることは無いんだろう。
「この膜、消さないんですか?流石にもう要らないですよね。」
未だ、私達の身体を包む淡く光る膜。
アサが火柱に突入する際に使用し、炎の熱や多くの衝撃に対する軽減、ダンジョン内の熱気、罠に対処するにも役に立った万能とも言える魔法。
しかし、もうダンジョンを攻略し終わっている。
「放置しててもその内消えるよ。それに、魔法っていうのは1度かけたものを消そうとする方が余計に多く魔力を消費することもある。あとこれは色々便利な魔法だからね、自然に消えるまで...態々消す必要はないよ。」
...まぁ特別消して欲しい訳では無いからいいか。
帰り道の中でも汚れが付きにくいなどの利点もある。
勿論、激しい運動をすると熱が溜まることや咄嗟に物を掴めないといった不便さもあるが、帰るまでなら気にならないだろう。
そんな中、私はアサが今手にしている一冊の本に目が留まる。
「アサ、その本...星の書ですけど、私が使ってもいいですか?」
私たちがセグレトのダンジョンで手に入れた唯一の成果物。
願いを叶える偽・願望機。
これを使うとラフィキ達が集めた機械の内どれか一つと交換することが出来る。
交換物は使用者の願いを叶える物が出るようになっており、しかし必ずしも叶えられるという物ではない。つまり、最も願いを叶えやすい機械が出るというのが正確な機能。
「いいよ。最初からそのつもりだったし。」
そう言って、アサは私に本を手渡す。
手に持ってみると、それは本というよりは本の形状をした別の何かといった印象だった。
表紙や背には読むことの出来ない記号の様な字が書かれており、触れた感覚や紙が重なった姿は本そのものだが、実際に開くことは出来ず、当然中に何が書いてあるかは分からない。
「アサは、何か叶えたい事はないんですか?」
私は、星の書を簡単に手渡されたことが意外だった。
これまで何冊もアサは手に入れているんだろうけど、人の願いの数なんて数百、数千あっても慊らない。
こんなもの、公になっていたら国の権力者達はこぞって奪い合いをするはずだ。
私から見てもそれ程の価値を有する本。
そんなものを、元々私に渡すつもりだったと言って自分なら手渡せるだろうか?
少なくても自分にはそれは出来ない。
私には願いたい事なんて山ほどあるから。
「...私が旅をしているのはね、この本を集める為なの。こんなもの...さっさと無くさないと。」
無欲という訳ではないんだろうけど、どこか悟っている様子。
その目は、本当に興味なんてなさそうだ。
「それなら有難く使わせてもらいますけど...。」
「あんまり期待しない方がいいよ〜。そもそも機械はサファルちゃんの魔中毒とか私が魔法に使う用途があるんだから。」
それもそうか。と私は納得する。
どうせ手に入れたところで私達は用途が違う。
機械本来の機能面よりも、その中にある魔力こそが一番欲している物なんだ。
そもそも彼女は魔法が使えるのだから魔力さえあれば機械なんて必要としていないのは道理か。
「あの、これってどう使っ...」
自分がそれを使おうとした瞬間、何かが私の頬を掠った。
私の奥に聳えていた樹木の幹には一本の矢が深々と刺さっている。
「これは...クリスタルの矢?」
その矢は澄んだ水晶にも似た輝きを放っている。
恐らくは纏っていた膜のおかげで掠める程度に抑えることが出来たのだろう。
矢で射られたことを理解した瞬間に、私とアサは警戒を強める。
互いに自分の近くにある木に身を隠し、矢が放たれた方角には姿を見せないよう。
本当は焚き火も消したかったけど、そんなことをする時間はなかった。
「あ〜あ、何外れちゃったの〜?集中力が足りてないなぁ〜。」
暫くすると暗い森の中から、誰かが歩いてくる。
覗き見をするように、最大限注意を払って相手を観察する。
矢が放たれた方角から現れたのは、ピンク髪のツインテール。褐色のブレザーと、藍色のスカート。まるで何処かの学園の生徒みたいだ。
しかしこの国の制服ではない。
私が生まれた国のものでもない。
「貴方、何者ですか?」
「へぇー知らないんだ、私たちのこと。」
見たことの無い制服に身を包む相手は、手で宙を撫でるや否や、何処からともなく巨大なクリスタルを顕現させた。
それが現れる直前に発せられた見覚えのある光。
「機械...。」
「あれ、それについては知ってるんだ。なんかよく分かんないな君のこと~。」
その発言から考察するに、機械のことを知っている人間は相手の事は知っていて当然。そういう存在なのだろう。
確か、アサが何か言っていた様な気がする。
あれは確か....。
そんなことを考えながら相手を観察する。
巨大なクリスタルは加工されていない鉱物の様に角ばった形をしていて、以前宙を浮いている。
それに相手が手で触れると、細かいクリスタルを周囲に飛び散らせながら強引に形状が変わっていった。
「もし、それを渡してくれるなら君のこと殺さないであげるんだけど...大人しく渡してくれないかな〜?」
目的は案の定星の書か。
ゆっくりとこちらへ近付き、脅しの言葉を吐く相手。
やがて、クリスタルが形状を変化し終わる。
相手はそれを片手で持ち、その肩に乗せられたのは身の丈に合っていない巨大で不細工な斧。
焚火の光を反射して橙色を帯びているそれは、近くで見ればその殺傷力が否応にも感じ取れた。
出来ることなら、さっさと脅しに屈して渡したいところだけど、渡したところで私は魔中毒で助からない。
「もしかして、話に聞いていた機械の事をひた隠しにしてる連中っていうやつですか?」
私の問い掛けに、相手はニヤリと笑みを浮かべる。
「そうだよ〜。あ、勘違いしないでね、別に私たちは人殺し集団じゃないから~。本当なら穏便に、平和的に、なるべく納得して欲しいんだ~。機械のこと知ってるならそれがヤバい物って分かってるでしょ?」
「...?」
「あれ、難しいこと言ったかな。まぁいいや、それ渡さないとどうなるかぐらいは分かってるでしょ。」
いや、主張は理解できる。
機械なんて、危険性と依存性の塊だ。
私は既に魔中毒で、ある意味依存せずにはいられない立場だ。
そんな被害者を減らすため秘匿し、独占する。理にかなってる行為。
...ま、それが本心ならの話だけど。
そもそも、ファーストコンタクトが弓矢による奇襲な時点で穏便なんて言葉に信用はない。
だから今私が考えていることは3つ。
1つ目は、機械について。
彼女が私達に見せたのは何もない空間からクリスタルの武器を生み出す機械。
”何もない空間から武器を生み出す”という機能なのか、それ以外にも何かしらの機能があるのか。
2つ目は、敵側の人数。
今はご大層な斧を掲げでいるが、彼女は矢が放たれた方角からやってきた。クリスタルの形状を変える過程で、斧でも弓にも出来る。もしかしたらそんな機械なのかもしれない。
若しくは矢を放った別の人間がいるのか。
1人か、2人か、若しくはそれ以上か。
それを見定める為に矢が放たれるまで待つということも出来るが、次こそは命中してしまうかもしれない。しかし放たれた矢をこの暗闇の中、避けることなんて出来ないし危険すぎる。
待つという選択は取れない。
「分かりました。」
そして私はそろそろ何等かのアクションを取る必要がある。
「すみません。命だけは助けてください。私は訳あって魔中毒になり、機械を使って魔力に触れ続けないと死んでしまうのです。悪用するつもりはなく、生き永らえることだけが目的なんです。」
私はあえて姿を現し、膝をつき星の書を抱えながら両手を上げて懇願する。
「機械は渡せませんが、その他の要求は全て呑みます。」
これが3つ目。
多分、私は時間を稼ぐだけで...この場面は簡単に勝利で収めることが出来る。
今、目の前で起きてる異常事態にいち早く気付けた私の勝ちだ。
「...あ、そう。案外拍子抜けかな。やっぱり不意打ちなんて必要なかったよ。」
斧を持つ腕の力を抜いて、地面に引き摺る形でこちらに近付いて来る。
「でもお仲間はもう一人いるよね〜?そっちは投降しないの~?」
私が出てきたのに、もう一人は現れない。
こうなれば相手は罠を疑うのは当然だろう。
ここからが私の本番。
「あの人はもうここにはいません。私が投降した時、すぐにあそこから逃げました。」
「....は??」
会話を長引かせて時間を稼ぐ。
簡単な仕事だ。
私の言葉に疑問を抱いた相手は、すぐさまアサが隠れていたと思っていた大木を一振りで切断する。
しかし、倒された木の向こう側には誰もいない。
「いやいや、仲間を置いて逃げてったの?星の書も置いて??」
相手からしたらどちらの方があり得ないと思っているんだろう。
「...あの人は、貴方達のことを強く警戒していたので、当然と言えば当然です。それに、私は仲間ではありませんから。」
自虐し、苦し紛れの笑みを浮かべて見せる。
なるべく相手に同情をさせやすい様に。
「...。」
相手が私を見る中、私は徐に片手で服を捲る。
そこには焦げ付く様な蝶の烙印。
「私はあくまで奴隷です。要は使い捨ての道具なんですよ。」
自分が奴隷だとカミングアウトすることで、相手の視線の質が変わるのを感じる。
多くの人から同じようなことをされたから分かる。
私はある程度の教養を身に着けている為、基本的に奴隷かどうかなんて会話では見抜かれない。
それに焼き印も高級奴隷の為、服さえ着ていれば見えない位置に押されている。
だからこそ、私が奴隷だと知った時の反応は大きい。最初は普通に接してくれる人も、私が奴隷だと分かった途端にその目の色は変わる。
哀れと思う気持ちや、相手への敬意を放棄する気持ち。まるで物を見るかの様な視線。
こういった視線に腹立たしいと感じたのはいつからだろう。
私がローズ家にいた頃からだろうか。
貴族だった時はこうはならなかったのに。
「どうしました、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして。」
しかし、それと今は関係ない。
出来得る限りの時間を稼がせてもらう。
「...。」
なんだろうか。
どこか毛色が違う。
私は何か下手なことを言ってしまっただろうか。
「...貴方も一緒だったんだね。」
その言葉と共に、相手は武器をその場に置き、袖を捲る。
そこには私と同じ紋様が刻まれていた。
つまり、相手は私と同じ...
「貴方も...奴隷。」
しかも、腕への烙印は幼少期から奴隷になった証。
身の小さい胴体では本来の烙印が押しにくいこと。そして負担が大きいことを考え子供は腕に押される。
「うん....。」
お互い、烙印の存在、その位置から相手の背景をある程度推定することが出来る。
「そう...ですか。その仕事はなってから?」
「うーん。小さい頃に買われたから、ある意味物心ついた頃からっていう方があってるかも。」
要は私と同じ、奴隷に対し好待遇を受けさせその代価を支払わせる。私は貴族に仕え、彼女は機械を秘匿する仕事をしている。
雇い主からしたら秘匿に対し傭兵を雇い働かせるよりも、小さい頃から教育までした方が忠誠心という意味で使い勝手がいいということなんだろう。費用という面では比較にならないような差が付くと思うが、そんなものは些細か。
「いいこと思いついた!!」
彼女は突然元気よく声を上げる。
その顔は漫勉の笑みを浮かべていた。
「貴方、私たちの仲間になりましょ!!」




