さよならを告げて。
その日の朝は少し来るのが早かった。
勿論体感での話だ。
日昇る時間なんて、昨日と今日で早々変わったりしない。
でも本当にこの屋敷で過ごす最後の日となると、こんなに時間が短く感じるものなんだな。
「アサンテ様。そろそろ出発の時間ですよ。」
私は、ベットの上で布団を剥ぎ、腹をさらけ出して寝ている目の前の女性を起こそうとする。
しかし多少揺らしても、少し唸った後反対の方を向いて再び寝ようとしてしまう。
さて、どうしてやろうか。
...やっぱりこういう時は、過去の前例を頼りにするのがいいだろう。
「うぇ?い、いたたたたたた!!!」
その頬をつねってやれば、起きることは前にやって覚えている。
ふふっざまぁみろ。
「何すんの!!」
「アサンテ様。外で皆さんが待ってくれています。そろそろ準備をしましょう。」
「い、いやだからってこんなことしなくても....なんかこのやり取りした覚えがあるな。」
「いいから早く準備してくださいね。私はそれまで最後の確認を行っています。」
出発早々忘れた物があるだなんて目も当てられない。
そんなことが起きない様に何度も確認したが、それでも足りないと思うこの気持ちはこれからの高揚感によるものだろう。
私の部屋に戻り、中央に置かれた鞄に目を向ける。
パルテンツァ様から頂いた鞄。アサンテ様の持つトランクケースと似たサイズの物だが、色合いがローズ家に因んだものとなっていた。
大きな割合を占める赤色と、ベルトなどの要所に配色された白。そして前面に、薔薇の花々の模様が目立つように刻まれている。この屋敷に花咲く二種類の百年薔薇をモチーフにしたデザイン。こんな特注品、早くても一週間前には発注していないといけない物だろう。
つまり、パルテンツァ様は最初から私が旅へ行くという決断をすることを分かっていた訳だ。
一目見た瞬間に、私はそれが気に入った。
これから旅の相棒になる物として、これ以上のものはないと。
こういった、鮮やかな色に染められた革細工は色褪せなどの劣化が早い。
管理は大変だろうけど、この綺麗な色が褪せてしまうのが...私は待ち遠しい。
鞄を開けると、そこにはパルテンツァ様が用意してくれた様々な物が丁寧に詰められている。
その中にはあの万年筆と...白紙の本が入っていた。
これから、私は旅人であり、そして小説家としての活動を始めていく。
小説は書いたことがあるけど、これからどんな旅をして、どんなストーリーを描いていくのは想像も出来ない。
他にも私が大切にしている物も持っていこうとしたけど、スペースが足りずに幾つかは持っていくことが出来なかった。
特にラフィキの冒険譚全10巻の本なんて入る訳もなかった。分かっていたけど、置いていくと思うと心苦しい。
「準備できたよ~。」
扉の向こうからそんなアサンテ様の声がする。
相変わらず準備を始めればすぐに終わるな。
それも旅をするうえで身に付く技術なんだろうか。
私は部屋に残された多くの物に目を向ける。
ここで過ごす中で、この部屋にだって多くの思い出がある。
「今まで、ありがとね。」
そして、私は鞄を閉めた。
屋敷を出ると多くの人が私たちの見送りに来ていた。
皆が付けている左小指のリングが日の光を反射して眩しい。
私にもあるそれは、物としては鉄製の少し丈夫なだけの代物だったが、私たちの唯一目に見える繋がりだ。
パルテンツァ様は、私にこれを外す必要はないとおっしゃってくれた。
これはローズ家に仕えた者のみが付けることを許される絆の証だ。それをサファルがこれからも身に着けることに一切の問題はない。それは私だけでなく、ここにいる皆が認めることだ。と。
「皆、サファルちゃんのことが大好きなんだね。」
「...恥ずかしいです。でもこうして見送ってくれると、どこか心が温かくなりますね。」
「挨拶は?」
「既に済ませております。数名には泣きつかれましたけど...」
一人一人に、という訳にはいかないが、自分が出来る限り多くの人に別れを告げた。
特に女の子達からいなくなって欲しくないとせがまれたが、最終的には私の意志を尊重してくれた。
その子たちから渡され、まだ読めていない手紙も何枚もある。
「なんか泣いた子って女の子が多そう。サファルちゃん女子にモテそうだし。」
「うぇ...!?」
私は奴隷だ。
目の前で両親が殺され奴隷となり、明日も見えないような身でここに来た。
それでも精一杯頑張って、そして...今、こうして皆に見送られるまでになった。
そして今、夢の出発地にいる。
「馬車を用意した。片道だが、行先は自由にしてくれ。ある程度の場所なら連れて行ってくれる。」
「何から何までありがとうございますパルテンツァ様。」
「私がサポート出来るのはここまでだよ。なんたって、家のことでこれから粉骨砕身しなければいけないんだから。」
皮肉めいたことを言い、乾いた笑いをしているが、その内ではこれからどうこの家を未来へ繋げるか。そんな情熱に満ちた心意気がある。
「それと、逆心の魔女様。」
「アサンテでいいよ。」
「それならアサンテ様。今回のことは本当にありがとうございました。貴方にしてもらった恩はこれから一生忘れません。」
そう言って、パルテンツァ様は頭を下げようとした。
しかしそれを彼女は肩に手を置き、静止させる。
「貴族ともあろう方が、そんな簡単に魔女に頭を下げちゃいけないよ。そんなに安くないものなんだから。」
「そうですね...。サファルのこと、よろしくお願いします。」
「うん、任せて。」
二人の仲も、もう険悪な空気ではない。
やり残したことが、もう何一つ思い浮かばない。
私たちは馬車に乗り込み、そして窓から顔を出す。
「今まで、ありがとうございました。」
「うん、サファルも達者でね。」
馬が嘶き、車が前へ進む。
徐々に遠くなっていくローズ家の屋敷と、そこで手を振る皆に向かって、私も大きく手を振った。
「さようなら!!!!」
声が届かなくても、想いを届ける為に声を出した。出し続けた。
そして人が見えなくなった頃、漸く私は馬車の中に腰を掛ける。
向かいにはアサンテ様がこちらをニマニマとした表情で見ていた。
「どうしたんですか?」
「いやね、これって正式には私がサファルちゃんの奴隷として使役する権利を受け取った。って形になる訳じゃない?つまりこれでサファルちゃんはもう私のモノになったってことじゃん?」
「えぇ。まぁそういうことになりますね...。」
それは事実だが、その言い方にそれなりの恐怖が募る。
「じゃあ私の命令に絶対っていうのが、まぁ道理な訳だね。」
「ちょ、ちょっと待ってください。」
「待たな~い。それじゃあ一つ目の命令ね。」
一体何を命令されるんだ...!
「サファルちゃんは、これから自分は奴隷だなんてって思っちゃいけません。一人の人間として自分の好きな様に旅について来て下さい。私はサファルちゃんをそう扱うし、貴方にもそう生きる事を求めます。」
指をビシッと刺され、命令された。
私は、これから奴隷としての生き方をするなと。
...そんなこと、言われるだなんて思ってなかった。
「かしこまり....いや、分かりましたアサンテ様。これからはその様に生きて行くよう努めます。」
「なんかまだ抜け切れてない感じがするけど、まぁいいや。あと一つ、私のことはアサって呼ぶこと!!」
「私が一人の人間として生きるなら、アサンテ様をどう呼称してもいい権利があるのでは?」
「じゃあ今だけ奴隷!そしてアサって呼んでから戻って!!」
そういうことなら、命令の順番を逆にすればよかったのに...。
可愛らしいぐらいドジな魔女だなこの人は。
「私は私の好きなようしろと命じられたので、好きなようにさせて貰います。」
「むぐ~。あ、その手に持ってるのって貰った万年筆と本じゃん。」
私は今、この時の気持ちを残す為に最初のページに言葉にして残そうとしていた。
でもどうしても最初の一文が思い浮かばない。
違う、有り余ってどれか一つに絞れない。
今のこの気持ちを、どうやって表現しよう。
私は何かに例えるの苦手だから...それに、色んな気持ちが合わさって...洪水みたいに漏れ出して...
これまでのことも、ローズ家でのことも、アサンテ様のことも、これからのことも。
「泣いてるの?」
「...泣いてません。本が濡れてしまいます。」
必死に私は涙を流さない様に抑える。
最初のインクが涙では恰好が付かない。
どうせ濡らすなら、最初は黒いインクで濡らしたい。
そう思った時、私の筆は自ずと動いた。
物語の始まりを示す、最初の一文を。
それはお伽話の様に美しく、思い出に残る物語
こんな私もいつかそんな物語の登場人物みたいに
だから私は今日、旅に出ようと思う
こんな素晴らしい場所に
心からの感謝とさよならを告げて。
「いいんじゃない?これからラフィキにも並ぶ旅をしたいって想いが伝わってくるよ。」
「そうでしょうか。」
自分にはあまり自信がない。
誰かに見せられるような小説を書く能力が、自分には欠如していると思っているからだ。
でも、才能がないとは思ってない。
これから、そういったことも練習して身につけていかないと。
「それでさ、タイトルはどうするの?クタブが言ってたよ───」
「タイトルを先に決めておくと、物語の指針みたいなのが固まって書きやすい。ですよね?」
ここは憧れである先人の言葉に倣って、そうしてみよう。
「そうですね。タイトル...タイトルですか....」
タイトルを先に決めると物語の指針になるというのなら、それは逆にタイトルこそがこの先の展開を決定づける重要な意味を持つということ。
決して安易な名前ではいけない。
けれど、変にこだわって指針が可笑しな作品にはしたくない。
なるべくシンプルに、けれど独創性のあるタイトル...。
それこそラフィキの冒険譚みたいに最初に私の名前を付けるのはどうだろうか?
例えば、サファルの...夢小説?
駄目だ。そんなものが書庫に並べられる絵面は想像するだけで顔が赤くなる。
そもそも私の名前でいいのかな。
なんせこの旅に対して、私の立ち位置は彼女の連れだ。
舵を取っているのは基本的に私ではないのだ。
でも、アサンテの...魔女...。
助詞が適切じゃないし...なんかラフィキの冒険譚のスピンオフみたいで嫌だな。
それにこれは完全に私の気持ちだけど、この人をメインに据えてこれからの物語を描くのは少々気乗りしない。
でも私をメインに置くのもやっぱり違う....。
「決めました。」
「お、じゃあ聞かせて貰おうかな。これからサファルちゃんの書く物語のタイトル。」
うん。これなら、指針として申し分ない。
これからの旅は決してどちらかが注視される訳じゃない。
私たち二人で続けるんだから。
「『魔女と小説家』。私と、そしてアサ。二人で歩む物語のタイトルです。」
私がアサをそう呼んだことで、目を丸くした後に万遍の笑みを浮かべる。
「とっても楽しい旅にしようね。」
「はい。それで最初は何処に向かうんですか?」
乗り込む前に御者の方へ何かを話していたみたいだが、目的地は何処なんだろうか。
「これから向かうのはここから近くのセグレトの森の奥の方。」
「そんなところに何かあるんですか?」
「何かあるっていうか、元々私がそこにいたっていうか....」
元々そこにいた?
なんで行ったことある場所にもう一度向かうのか。
何か忘れたことでも....
「もしかして、百年薔薇の園にいる前...」
「そう!あそこにあるダンジョンにもう一度チャレンジしに行きます!!」
トラップにかかって、ローズ家の屋敷まで吹っ飛ばされた。
確かにそんなことを言っていた。
あそこのダンジョンに挑むのが私の初めての旅か。
確か攻略自体はもう済んでいたはずだけど、自分がダンジョンに行くことになるなんて。
ダンジョンとは山や森、洞窟や遺跡などの点在する迷宮。
古代の人工物であるものや、自然が生み出したものなど様々な種類があり、これまで多くの人がそれに挑戦してきた。未発見、攻略のされていないダンジョンはまだこの世界に何千個も眠っていると言われており、そのどれもが危険が蔓延る代わりにその最深には財宝が眠っていると言われている。歴史的価値も高く、初めて攻略に成功した際には国から報奨金が出るなどの制度があり、それを生業にする『探索者』という職業も存在する。
生存率より死亡率の高い非情に危険なものだが、一発逆転を狙う者たちが後を絶たない。
そんなハイリスクハイリターンな場所が『ダンジョン』。
そんなところへ本当に行けるなんて。やっぱり旅って素晴らしい。
私たちは正確には『探索者』ではないが、構わない。
「ダンジョンっ!!楽しみですね!!」
「いやあ、まぁ楽しんでくれるのは私としても嬉しいんだけど、楽じゃないと思うよ。」
危険であることを再確認させようとするアサ。
それを私はそれに対し「何を今さら。」と返す。
実際に行ったことはなくても、どんなものがその中に広がっているかはラフィキの冒険譚で履修済みだ。
そして、それを読み込んだ私はダンジョンの基本の心得は修めていると言っても過言ではない。
...とはいっても油断はしない。
アサが吹っ飛ばされたと通り、そこは危険性と隣り合わせの場所だ。
最初は足手まといになるとは思うけど、対策もある。
シンプルだが、ここはゆっくり慎重に行動することでカバーさせてもらおう。
「アサが一人で攻略するよりは攻略を遅くさせてしまうかもしれませんが、私なりに頑張ります!」
無理せず、慎重に、そして確実に。
その精神を持ち続けてさえいれば、問題は起きにくくなるはずだ。
しかし、私がそう言うとどこか気まずそうにアサは頬を指先でかく。
「それがさ....あそこに着いたら速攻でクリアしないと、サファルちゃん死んじゃうんだよね。」
どうやら、私たちの最初の目的地は想定以上に危険なものとなるらしい。




