ダンジョン探索
目まぐるしく一ヶ月が過ぎていった。
アパートの火事の後始末や保険の手続きは、想像以上に手間取ったが、それもようやく終わりを迎えた。保険金も無事に下りて、翼から借りた50万も返済することができた。何より、火事に巻き込まれながらも誰も怪我をしなかったことが、霞にとっては不幸中の幸いだった。「まだ運が完全に尽きてはいないのかもしれない」そう思えるだけでも、彼女の心は少しだけ軽くなっていた。
「暁の盾」の拠点での生活にも、すっかり慣れてきた。朝起きて理央とコーヒーを飲み、真白と買い物に行き、裕樹から魔法の講義を盗み見し、そして翼と共に鍛錬に明け暮れる。規則正しく、温かな日々。呪いの不運は、この家の中にいる限り影を潛めているように思えた。
だが、霞の心には一つ、気になっていることがあった。
翼への気持ちだ。
あの火事の夜、毛布と上着をかけてくれた彼の温かさ、鈍感だが真っ直ぐな言葉。それらが瞬く間に霞の胸の内に住み着いていた。彼の笑顔を見るだけで鼓動が早鐘を打ち、ふとした瞬間に視線を合わせては慌てて逸らす。それは明らかに、恋心と呼べるものだった。
しかし、霞は踏み出せずにいた。理由は、理央と真白の存在だ。
彼女たちは翼と長い年月を共にしてきた仲間だ。一緒に生活し、命を預け合ってきた絆がある。もし彼女たちが翼に恋愛感情を抱いているなら、後から入ってきた自分が露骨に翼へアプローチするなど、あるまじき行為ではないか。仲間の輪を壊し、気まずい空気を作ってしまうかもしれない。それが怖くて、霞は自分の想いを封じ込め、彼女たちの本心を聞き出すこともできずにいた。
「霞さん、ぼーっとしてどうしたの?」
「なんでもない!」
理央に声をかけられ、過剰に反応してしまう日々が続く。宙に浮いたようなもどかしい時間が流れていったが、そんな彼女の日常を変える転機が訪れた。
ついに、ダンジョン探索の日が来たのだ。
目標は二つ。呪いの効果を弱めるアイテムの捜索、そして自分に呪いをかけたエルダーリッチの本体がこのダンジョンに潛んでいないかの確認だ。霞は愛刀を腰に差し、覚悟を決めてダンジョンの入り口に立った。
「行くぞ。各自、いつでも戦えるように」
翼の声と共に、パーティは闇の中へと足を踏み入れた。
敵との遭遇は早かった。中層に差し掛かる頃には、スケルトンやミノタウロスの群れが次々と襲いかかってくる。かつてのソロ時代なら、敵の数や不意打ちに神経をすり減らし、全身全霊を込めて立ち回らねばならなかった。
しかし、今は違う。
「来るぞ! 俺に続け!」
翼が大盾を構え、先陣を切る。敵の凶爪も、石つぶても、骨の斧も、その分厚い盾と頑強な体躯が全て受け止めてくれる。
なんて楽なのだろう。霞は驚愕した。敵の攻撃が翼に向かっている間、自分はただ攻撃に集中すればいい。背中を守る必要も、不意の矢に怯える必要もない。翼という絶対的な壁が、彼女と敵の間に立っている。
「霞さん、右!」
理央の矢が霞の死角に迫る敵を射抜く。
「ハーデン・アーマー!」
裕樹の魔法が霞の鎧に硬度を与える。
「いつでも回復できます!」
真白の声が、無限の安心感を与える。
霞は翼の背後から飛び出し、二刀流の神速の剣閃を舞わせた。翼が敵の攻撃をいなし、体勢を崩した隙に、霞の刀が芯を断つ。一太刀、また一太刀。刃が風を切り、面白いように敵が倒れていく。
パーティ戦って、こんなに楽だったのか。己の実力を十全に発揮できる土壌があることの喜びを、霞は初めて知った。
そして、翼への安心感は、戦いの中でどんどん増していった。彼がいれば自分は斬られることはない。その絶対的な信頼が、霞の胸の奥の恋心に油を注ぐ。剣を振るいながら、霞はチラチラと翼の広い背中を見てしまっていた。
汗を滲ませ、仲間を守るために盾を押し込む彼の姿は、頼もしくてたまらなく男らしく見える。ふと見惚れて剣筋が緩みそうになり、ハッとして慌てて敵を斬り伏せる。そんなことを繰り返していた。
戦いが終わるたび、パーティの皆が霞の実力を褒めてくれた。
「すげえな、今の太刀筋! やっぱソロ最強は伊達じゃない!」
「矢の射線も全然気にしなくていいから、私も助かるよ」
「あの火力なら、深層のボスも倒せそうだな」
彼らは霞を仲間として、戦力として、心から歓迎してくれていた。霞が抱いていた「足手まといになるのではないか」「不運がパーティに災いするのではないか」という不安は、共に戦うことで霧散していった。
「よし、連携もバッチリだ。この調子で深層へ向かうぞ!」
翼が笑顔で声をかける。霞は頷きながら、胸の奥の熱さを抑えきれなかった。
(こんなに楽しくて、こんなに安心できる場所があったなんて)
暁の盾は、迷宮の深淵へと足を進めていく。呪いの核心に触れるため、そして霞の運命を変えるために。霞は刀を握り直し、愛しい仲間たちの背中を追った。




