翼の温かさ
不運だわ…」
毛布にくるまりながら、霞は小さく呟いた。涙はとうに乾いたはずなのに、また熱くなって視界が滲む。
エルダーリッチの呪いを受けてからというもの、ろくなことがない。いや、ろくなことがないどころか、明らかに「恥ずかしい思い」に不運が偏っている気がする。
服を剥かれ、下着姿を晒し、そして今日はバスタオル一枚で野次馬の前に放り出された。
剣士としての誇りも何もあったものではない。物理的な危険以上に、精神的に追い詰められるような不運ばかりが続く。まるで、自分の尊厳を剥ぎ取ることを楽しんでいるかのような呪いの悪意を感じずにはいられなかった。
翼の背中に守られるようにして歩くこと数十分。彼らが暮らす一軒家に辿り着いた。暖色系の明かりが漏れる玄関のドアが開き、中から理央と真白が飛び出してくる。
「霞さん! 大丈夫ですか!?」
「翼さんから連絡を受けて、すぐに準備しました!」
二人は霞の姿――毛布とバスタオルといういでたち――を見るなり、痛ましいものを見る目になりながらも、すぐに彼女を家の中へと招き入れた。
「まずは温かい部屋へ。着替えも用意してますから」
理央と真白に両脇を支えられるようにして、霞は客間へと通された。暖房の効いた部屋は心地よいが、今の霞には自分の惨めさを際立たせるようで落ち着かない。真白が抱えてきた紙袋から、新品の下着とサイズが合いそうなトレーナーやスウェットを取り出してくれた。
「これ、私たちのちょっと大きめの服だからサイズ合うかどうか…あと、下着も一式揃えました」
感謝しながら衣類を受け取った霞だったが、下着を見てふと違和感を持った。ショーツはあるが、ブラジャーがない。
「あれ? ブラは…?」
問いかけると、理央と真白が気まずそうに顔を見合わせた。
「その…ブラは、サイズが…」
「私たちじゃ、ちょっと霞さんのおっぱいが大きすぎて…合うのがなくて」
二人は顔を赤らめながら、視線で霞の胸元をチラチラと見てから慌てて逸らした。理央と真白はすらりとした美人揃いだが、胸の膨らみは控えめだ。対して霞は、細身の体に似合わぬ豊かなバストを持っている。服の上からでもわかるその事実に、今さらながら羞恥がこみ上げる。
「あ…そ、そうね。ありがとう! ブラなんて無くても大丈夫よ! どうせ家で寝るだけだし!」
霞は自分の胸を隠すように腕を組み、早口でまくし立てた。二人の気遣いが嬉しい反面、女性としてのコンプレックスというか、恥ずかしい部分を指摘されたようで落ち着かない。彼女たちは「ごめんなさいね」と申し訳なさそうにしながらも、ふふっと小さく笑い合った。その笑顔には悪意はなく、むしろ親愛の情が含まれていて、霞の強張っていた心が少しだけ解けていくのを感じた。
ひとまず着替えを済ませ、リビングに戻った霞だったが、ふと現実的な問題に気づいた。金がない。銀行にはそれなりに貯金があるが、キャッシュカードも通帳も火事で燃えてしまった。再発行には身分証明書が必要だが、それも失っている。役所で手続きをしてから銀行へ行かなければならず、お金が下ろせるようになるまでにはまだ時間がかかる。
服もなく、生活費もない。どうしようかと途方に暮れていると、リビングに入ってきた翼が、無造作に茶封筒をテーブルに置いた。
「これ、使ってくれ」
「え? これは?」
「50万ほどある。当面の生活費とか着替えとかにしな。後で返してくれたらいいから」
封筒の中には札束が鎮座していた。霞は目を丸くした。50万という金額もそうだが、会ってまだ数日の自分に、なぜそこまでできるのかという疑問が先に立った。
「どうして…どうしてそこまでしてくれるの? 会ったばかりの私に」
翼はきょとんとした顔をした。まるで「なんでそんなことを聞くのか」と言いたげに、首を傾げている。
「はあ? 仲間が困ってたら助けるのは当たり前だろう? 」
あまりにも真っ直ぐな答えだった。見返りを求めるでもなく、計算でもなく、ただ「当たり前」だと言い切る男気。その純粋さに、霞は言葉を失った。
「リーダーがこうだからね。うちのパーティはこんな人ばかりなのよ」
理央が呆れたように、しかし誇らしげに言った。
「変な人ばかりだけど、悪い人じゃないから安心して」
真白も優しく付け加える。
人の温かさが、凍り付いていた霞の心に染み込んでいく。ソロで生きてきた彼女は、自分の力だけで全てを解決してきたつもりだった。でも、今は違う。自分を受け入れ、包み込んでくれる温もりがある。
「ありがとう…本当に…ありがとう…」
最後は声が震えた。涙が止まらなかった。情けない涙ではなく、救われたことへの感謝の涙だった。
その後、霞は理央と真白に連れられて買い物に出かけた。3人で下着や服を選び、日用品を買い揃える。女性陣との買い物は、不運続きだったここ数日の暗い空気を一瞬だけ忘れさせてくれる楽しい時間だった。
そして最後に、霞は訓練用の木刀を二本購入した。剣士としての自分を取り戻すために必要なものだ。
「やっぱり剣士だねぇ」
理央が笑い、「似合うよ」と真白も微笑む。
荷物を持って拠点に戻ると、翼と裕樹が丁度掃除を終えたところだった。
「おかえり! 部屋の掃除終わったぞ。遠慮なくここに住んでくれ」
翼が埃まみれの手で笑顔を作る。
案内されたのは二階の空き部屋だった。家具こそないが、綺麗に磨かれたフローリングに、ふかふかの布団が敷かれていた。
「家具とかはまた今度見に行こうな。まずはゆっくり休んでくれ」
その言葉に、霞はまた胸が熱くなった。この部屋は、自分にとってただの避難所以上の意味を持つ場所になりそうだった。
「うん…ありがとう」
視線が翼と交わる。彼の真っ直ぐな瞳を見た瞬間、霞の心臓が大きく跳ねた。不運に打ちひしがれていた自分を救ってくれた大きな手。鈍感だが優しくて頼りがいのある背中。
(私…この人が…)
頬が自然と熱くなるのがわかった。それは呪いの熱さとは違う、甘く切ない熱だった。霞は慌てて顔を伏せ、「おやすみなさい」と小さく言って部屋に逃げ込んだ。
扉を閉め、布団にくるまる。木刀を握りしめながら、霞は新しい生活への不安と、胸の奥で芽生えた恋心を噛み締めていた。




