リッチが生きている?
翌日、霞は重い足取りで冒険者ギルドを訪れた。昨日の惨劇――いや、珍劇の記憶が脳裏にこびりついて離れない。ギルドの扉を開ける手が少し躊躇ったのは、また誰かに変な目で見られるのではないかという不安からだった。しかし、いつまでも逃げているわけにはいかない。彼女は深呼吸をして、いつもの無表情を装って中へと足を踏み入れた。
幸い、朝のギルドは閑散としており、昨日の新人パーティのメンバーはいなかった。霞は安堵の息を吐き、カウンターへと向かう。そこには、今日も明るい笑顔で出迎える乃亜の姿があった。
「霞さん、おはようございます! って、霞さん? なんだか顔色が悪いですけど、大丈夫ですか?」
乃亜の鋭い指摘に、霞は少し顔をしかめた。隠しきれていないらしい。
「レンの事聞いてると思うけど、ちょっとトラブルがあってね」
霞は声を潜め、昨日のダンジョンでの顛末を手短に説明した。レンの暴走、バーサーク・エッジの危険性、そして自分の服がズタズタにされたこと。最後の部分は顔を伏せながらぼそぼそと語ったが、乃亜は目を丸くして聞いていた。
「ええっ!? それで霞さん、その…下着姿で帰ってこられたんですか!?」
「…声が大きい」
霞がたしなめると、乃亜は慌てて口を押さえた。「す、すみません! でも、それは大変でしたね」
「レンはどうなった?」
「あ、はい。病院から連絡がありました。意識は戻ったそうですけど、全身の筋肉が断裂寸前まで酷使されたらしくて、体中筋肉痛で身動きが取れない状態だそうです。しばらく入院だって言ってました」
「そう…。それだけで済んでよかったわ」
霞は心底安堵した。もし霞がレンの剣に反応出来なければ、彼女は少年を斬るか、斬られるかの選択を迫られていただろう。
「乃亜、お願いがあるの」
「はい、なんでしょう?」
「レンのスキル、『バーサーク・エッジ』。あれはもう絶対に使わせないで。あれは制御不能な自爆スキルよ。彼自身も周りも危ない」
霞の真剣な眼差しに、乃亜も神妙な顔で頷いた。「わかりました。ギルド側からも厳重注意しておきます。スキルの使用制限をかける手続きも取りますね」
その件を済ませると、霞はカウンターを離れ、ギルドの奥にある資料室へと向かった。彼女の真の目的はそこにあった。
薄暗く、古書の匂いが充満する資料室。埃を被った本棚の間を縫いながら、霞は「呪い」に関する文献を探し出した。昨日の不運の連続。バナナの皮での転倒、レンの暴走による恥辱。これらが偶然の重なりだと思いたいのに、エルダーリッチの最期の言葉が呪いのように耳から離れない。
『お前の運を…すべて奪ってやった』
霞は分厚い魔術書と魔物図鑑を机に積み上げ、ページを繰っていく。
「あった」
『呪い(カース)について』
霞は熱心に文字を追った。
『呪いの解呪方法として最も確実かつ迅速な手段は、呪いの発生源たる呪詛者を殺害することである。呪詛者の死と共に、その魔力を源としていた呪いは霧散する』
その一文を読んだ瞬間、霞の心臓が跳ねた。
「えっ?」
彼女は目を見開き、もう一度その行を読み返す。呪いをかけた本人を殺すこと。つまり、エルダーリッチを殺せば呪いは解ける。しかし、彼女は既にリッチを倒しているはずだ。首を斬り飛ばし、灰になるのを見届けた。魔石だって回収してギルドに提出した。
「もしかして…まだ生きてるの?」
寒気が背筋を駆け上がった。エルダーリッチのような高位のアンデッドは、複数の命の器を持っていることがある。彼女が斬ったのは本体ではなく、器の一つに過ぎなかったのではないか?
「まさかね…」
そう口では言いつつも、霞の声は震えていた。あの不気味な笑い声が蘇る。もしリッチが生きていて、彼女に呪いをかけ続けているなら、この不運は永遠に続くことになる。
霞は震える指でページをめくり、他の解呪方法を探した。
『呪詛者の殺害が困難な場合、呪いそのものの効果を弱体化・無効化する特殊なアクセサリや消耗品が存在する。代表的なものとして、「守護者の御守」や「清めの聖水(上級)」などが挙げられる。ただし、これらのアイテムは非常に希少であり、高難易度ダンジョンの深層や、未踏破領域でのみ発見されることが多い』
霞は希望を見出したが、すぐにその文字が意味する絶望に気づいた。高難易度ダンジョンの深層。未踏破領域。それはソロの冒険者が気軽に足を踏み入れられる場所ではない。エルダーリッチのいたダンジョンでさえ、彼女にとっては限界ギリギリの戦いだった。それ以上の難易度となれば、今の彼女一人では返り討ちに遭うのがオチだ。
「ソロじゃ…無理」
その事実を認めるのは、誇り高い剣士にとって苦渋の決断だった。宮本武蔵の末裔として、常に己の力のみで道を切り拓いてきた。誰かに頼るなど、弱者のすることだと思っていた。
しかし、今は違う。彼女を待っているのは、剣で斬り伏せられる敵ではない。目に見えない「不運」という名の呪いだ。このままソロでいれば、次はバナナの皮ではなく、足元の罠穴へ落ちるかもしれない。あるいは、また暴走した誰かに致命傷を負わされるかもしれない。
霞は本を閉じ、天井を仰いだ。
「仲間…か」
最悪の事態を避けるため、そして己の運を取り戻すためには、ソロという殻を破るしかない。彼女は覚悟を決めた。
資料室を出た霞は、再びカウンターへと向かった。
「乃亜」
「はい? どうしました、霞さん?」
「パーティメンバーを募集したいんだけど」
その言葉に、乃亜は驚きで目を丸くした。「えっ? 霞さんが? ソロにこだわってたのに?」
「事情が変わったの。どうしても、パーティを組まなきゃいけない理由ができた」
霞は視線を落とし、拳を握りしめた。リッチが生きているかもしれないという恐怖と、高難易度ダンジョンへ潜るための現実的な戦力不足。そして何より、この呪いに翻弄される自分から脱却するため。
「条件があるわ。前衛ができる盾役と、回復魔法が使えるヒーラー。最低でもこの二人が欲しい。私が前に出て敵を斬るから、背中を預けられる人たちがいい」
「わかりました! 霞さんの頼みなら、きっと良い人たちが集まりますよ!」
乃亜は満面の笑みで応じた。その笑顔を見て、霞も少しだけ心が軽くなるのを感じた。
宮本霞の新たな冒険が、否応なく始まろうとしていた。不運という名の鎖を断ち切るために。そして、彼女の運命を狂わせたエルダーリッチへの復讐を果たすために。
まずは、彼女に相応しい仲間との出会いが待っていた。




