告白の約束
ダンジョンから無事に帰還した「暁の盾」の面々は、拠点のリビングに集まっていた。
テーブルの上には、理央と真白が作った手の込んだ夕食が所狹しと並んでいる。鍋の湯気と、揚げたての肉の香りが、空腹の胃袋を容赦なく刺激した。
「いただきまーす!」
京香の元気な声と共に、賑やかな食事が始まった。
戦闘後の食事は格別だ。皆が無心で箸を動かし、一通り腹が満たされたところで、霞がコホンと一つ咳払いをした。
「京香」
「は、はいっす! 師匠!」
口いっぱいに唐揚げを頬張っていた京香が、姿勢を正して飲み込む。
「今日の探索の評価よ。良かった点と、反省点」
霞は箸を置き、真剣な眼差しを向けた。
「連携は良くなってたわ。翼さんの背中を死守しようとする姿勢は見えたわよ。だからこそ、致命的なミスをしなかった」
「ほんとっすか! やったー!」
京香がパッと顔を輝かせる。
「ただ、もっと早く動きなさい。敵の攻撃を回避する時、一瞬タメができてる。そこを突かれたら終わりよ」
「うぐっ…」
「それと、一太刀入れたら一度引くこと。斬ったことに気を良くしてその場に留まるから、反撃の餌食になるの。ヒットアンドアウェイ基本よ」
「師匠、厳しいっす…」
京香がシュンと耳を垂らすが、その目には悔しさと向上心が混じっている。叱られるということは、伸びしろがあるということだ。
「でも、初陣にしちゃあ上出来だろ! よくやったぞ京香!」
翼がガハハと笑いながら京香の背中をバンバン叩く。
京香はまたムグムグと唐揚げを口に詰め込んだ。
食事も終盤に差し掛かった時、京香がふと思い出したように切り出した。
「そうだ師匠! 燕返しを教えてくださいっす!」
その単語が出た瞬間、テーブルの空気がピリリと締まった。燕返し。佐々木小次郎の代名詞とも言える、伝説の奥義だ。
霞は少しだけ困ったような顔をし、首を横に振った。
「知らないものは教えられないわよ」
「えっ? でも師匠、武蔵の子孫でしょ? 伝わってないんすか?」
「私が教わったのは、二天一流の極意よ。燕返しは小次郎の技だもの、私の流派にはないわ」
霞は坦々と答えるが、京香は食い下がった。
「でも、なんとなくでも知ってるっしょ? 言い伝えとか! お願いしますっす、ヒントだけでも!」
霞はため息を一つつき、ティーカップを手に取った。
「一応、言い伝えの事は教えられるわ。でも、あくまで伝承よ」
京香はゴクリと唾を飲んだ。翼や他のメンバーも、剣豪の奥義の秘密に興味津々で耳を傾ける。
「燕返しは、ただの速い斬撃じゃない。まず、一度空振りをするの」
「空振り? わざと?」
裕樹が不思議そうに聞く。
「そう。わざと隙を見せるのよ。相手は『今だ』と踏み込んでくる。その瞬間、飛んでいる燕のように刀を返して斬る。それが燕返しよ」
霞は右手を宙に浮かせ、何かを斬り払うようにスッと動かした。その動作は優雅で、それでいて恐ろしいほどの殺気を孕んでいた。
「なるほど、誘いの技か」
翼が感心したように頷く。
「ただ、それができるのは人間じゃないわ」
霞は冷徹に言い切った。
「真剣の勝負で、相手にスキを見せる胆力。そして、重い刀を一度止めて、逆方向にまた振り抜く膂力。その両方があって初めて成立する技よ」
霞は京香のまだ発育途端な腕を見た。
「京香には、まだ無理よ」
きっぱりと言われ、京香は唇を噛み締めた。悔しいけれど、師匠の言う通りだと体が理解しているのだ。あの動きを再現するには、筋力と技量が足りない。
「俺なら出来るかな? 燕返し」
翼が乗り出して聞いてきた。
霞はフッと笑った。
「翼さん? 10年くらい修行したら出来るかもね」
「10年!? 俺もう27だぞ! 37でやっとかよ!」
翼が大げさに頭を抱える。それを見て、霞はクスクスと笑った。
その和やかな光景を見て、理央、真白、そして京香がニマニマと笑っている。
霞の笑顔が、翼に向いている時は一番綺麗で柔らかい。皆がそれを知っていた。
夜も更け、それぞれが自室に戻った。
霞はパジャマに着替え、ベッドの上で今日の戦闘の記録をノートにまとめていた。
(京香の成長度、悪くないわ。でも、もっと鍛えないと命を落とす)
思考を巡らせていると、コンコン、とノックの音が響いた。
「はい?」
霞が扉の方を見る。
「俺だ、翼だけど」
その声だけで、霞の心臓が跳ねた。
(翼さん!? なんでこんな時間に!?)
慌てて鏡を見る。髪はボサボサだし、顔もゆるんでいる。
「ちょ、ちょっと待って!」
身だしなみを必死に整え、深呼吸をしてからドアを開けた。
「どうしたの、翼さん?」
なるべく冷静を装って聞く。
翼は少し照れくさそうに、後ろ手に何かを持ちながら立っていた。
「ああ、あのさ、今日帰りにちょっと寄ってさ」
翼はドアの前でモジモジすると、ポンと小さな紙袋を霞に差し出した。
「コレ、買ってきたんだ」
「え? 私に?」
霞が袋を受け取り、中を覗き込む。
可愛らしい御守りの袋が入っていた。淡いピンク色の袋に、小さな花の刺繍が施されている。
「厄除けのお守りだ」
翼がバッと顔を赤くして言った。
「効果あるかわかんないけど、無いよりはマシだろ? その、不運とかさ」
霞はお守りを握りしめた。
ただの厄除けではない。彼が、私のために。私の不運を案じて、わざわざ買ってきてくれたのだ。
胸が熱くて、言葉が出ない。
「…嬉しい」
霞はお守りを胸に抱き、上目遣いで翼を見た。
「ありがとう、翼さん」
その笑顔が余りに愛らしくて、翼はたまらず視線を逸らした。
「あ、ああ。それじゃ、おやすみ!」
翼が背を向けて、逃げるように去ろうとする。
その背中に、霞は呼びかけた。
「翼さん!」
「ん?」
翼が振り返る。
霞は、お守りを握りしめたまま、一歩踏み出した。
「リッチを倒したら…聞いて欲しいことがあるの」
その声は震えていたが、真剣だった。
翼は少し驚いた顔をしたが、すぐに真剣な眼差しに変わった。
「わかった」
翼は力強く頷いた。
「早く聞けるように、急いで倒さないとな」
その言葉に、霞は涙が込み上げてくるのを堪えた。
彼はわかっている。私の覚悟を。そして、その先にある想いを。
「うん」
霞は微笑んだ。
「私の恥ずかしい姿は、できるだけ翼さんにしか見せないから…待っててね」
それは、不運ゆえのハプニングも、裸を見られることも、全てあなたに捧げるからという、精一杯の愛の告白だった。
翼は一瞬呆気にとられ、それからボッと顔を赤くした。
「お、おう! 任せとけ!」
二人の間に、言語化されない熱い約束が交わされた。
「おやすみ、翼さん」
「おやすみ、霞」
ドアが閉まり、翼の足音が遠ざかっていく。
霞はドアに背を預け、ズルズルと座り込んだ。
「ああっ…言っちゃった…」
顔を両手で覆い、悶える。
でも、後悔はなかった。
お守りの温もりが、手のひらから心へと伝わってくる。
(早く、倒さなきゃ)
リッチを。
そして、彼に全てを伝えよう。
霞はお守りにキスをし、枕元に置いた。
今夜は、きっと良い夢が見られそうだった。




