巌流島の決闘
ある日の午後、霞が自室で剣の手入れをしていると、拠点の玄関のチャイムが鳴り響いた。
ピンポーン、という電子音に混じじて、外から野太い声が聞こえてくる。
「たのもーー!!」
その元気な声に、霞は手を止めた。来客か? 依頼主か? しかし、この拠点の場所を知っている者は限られている。不審に思いながら玄関のドアを開けると、そこには思いがけない人物が立っていた。
15歳くらいの少女だ。鮮やかな青髪のショートカットで、大きな瞳がキラキラと輝いている。可愛らしい顔立ちだが、その服装は動きやすさを重視した狩人風で、何より目を引くのは背中に背負った巨大な木刀だった。彼女の身長と同じくらいあろうかという、異様に長い木刀である。
少女は霞の顔を見るなり、バッと指を突きつけてきた。
「武蔵の末裔がここにいると聞いてきた! 手合わせを願いたい!」
堂々とした宣言である。霞は一瞬面食らったが、すぐに彼女の背中の木刀と気迫から、ただの物好きではないと悟った。
「私が武蔵の末裔よ」
霞が静かに答えると、少女の瞳がさらに輝いた。
「待ってたぞ! 私の名前は佐々木京香! 佐々木小次郎の末裔だ!」
「小次郎の…?」
霞は眉をひそめた。まさか、先祖代々のライバル関係の末裔が、この現代に現れるとは。
しかし、京香は霞の動揺を待たなかった。背中から長大な木刀をスッと抜き放ち、中段に構えた。
「勝負だ!」
「ちょ、ちょっと!」
霞は慌てて庭に駆け出した。狹い玄関で振り回されたら家が壊れる。
庭の芝生の上で、京香が改めて木刀を構える。その構えは燕返しを狙うものか、独特の下段からの逆袈裟だった。しかし、その足取りはどこか不安定だ。
物音に驚いたのか、リビングからパーティの面々が飛び出してきた。
「何事だ!?」
「敵襲!?」
翼を先頭に、理央、裕樹、真白が駆けつける。
「あ、あの娘が小次郎の末裔だって言って…勝負を仕掛けられてるの」
霞が困り顔で説明する。
それを聞いた翼の目が輝いた。
「なにっ! 巌流島の戦いがここで見れるのか!? すげえ! 見てみたい!」
無邪気に興奮するタンク。他のメンバーも、剣豪同士の末裔対決と聞いて、固唾を呑んで見守ることになった。
「受けて立つわ」
霞は庭の隅に置いてあった自分の木刀を二本拾い上げ、逆手と順手の二刀流の構えをとった。
静寂。
風が吹き抜ける中、京香が動いた。
「うおおぉぉ!」
気合一閃。京香が長大な木刀を振り上げた。
しかし、その動きはあまりにも遅かった。自分の身長と同等の長さがある刀は、単に重いだけではない。振りかぶった反動で彼女自身の体がグラリと傾く。ただの薙ぎ払いですら、遠心力に振り回されてブレている。
霞は動じない。むしろ、そのあまりの未熟さに驚愕した。
(これじゃ、ただの棒振りだわ…)
京香の大振りが空を切る。その巨大な刀が振り下ろされるまでの数秒、霞には永遠にも等しい時間があった。
彼女は最短距離で懐に潛り込んだ。
一瞬の出来事だった。
ドンッ、と霞の体が京香の目前に現れ、逆手に持った木刀の先端が、京香の喉元にピタリと突きつけられる。
「…勝負あり」
霞が静かに告げた。
京香はポカンと口を開け、自分の喉元の木刀と、目の前の霞を交互に見た。彼女の長い木刀は、地面を叩いたまま空を切っている。
「わ、私の負けだ…」
木刀を下ろし、京香はガックリと膝をついた。
勝負はあまりにも一方的だった。巌流島の再現どころか、ハンデ戦にもならない。見ていたメンバーたちも「うわぁ…」と苦笑いするしかない。
しかし、京香は落ち込んでなどいなかった。バッと顔を上げ、霞に土下座した。
「お願いします! 私を弟子にしてください!」
「はあ!?」
霞は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「私の刀は重くて速く振れない…でも、あんたの動きは速くて正確だった! 小次郎の末裔としてじゃなく、剣士として強くなりたいんだ! 師匠と呼ばせてください!」
予想外の展開に、霞はたじろぐ。いきなり勝負されて、いきなり弟子入り志願だなんて。
困惑した霞は、助けを求めるように翼の方をチラリと見た。
「え、あの、翼さん…?」
翼もまた、土下座する少女を見て困り顔だ。しかし、彼は彼の考えで動いた。
「まあ、部屋はまだ余ってるからな。弟子にするなら大丈夫だぞ!」
「って、それとこれとは話が別でしょ!」
霞のツッコミも虚しく、京香はパッと顔を輝かせた。
「ありがとうございます! 師匠!」
ズカズカと家の中に入り込む京香。その足取りは迷いがない。
霞はため息をつくしかなかった。
「もう…」
呆れつつも、霞は放置するわけにもいかず、京香を追いかけてリビングのソファに座らせた。
「弟子とかその前に、まずはその得物をなんとかしなさい」
霞は京香の長い木刀を指差した。
「え? どうしてですか師匠! これは小次郎の末裔ならこれを使えってみんなが言うから、特注してもらったんですよ!」
京香は不満げに頬を膨らませる。
霞は頭を抱えた。世間の誤解がここまで根付いているとは。
「あのね、小次郎の流派――巌流は、元々小太刀を使って戦う流派なのよ」
「えっ…?」
京香は耳を疑ったような顔をした。リビングにいたメンバーたちも「えっ?」と声をそろえる。
「小次郎といえば長刀、物干し竿って言われるじゃないか!」
翼が驚いて身を乗り出す。
霞はゆっくりと説明を始めた。
「師匠の小太刀の鍛錬に、小次郎が練習相手として長い得物を持たされていたの。それが物干し竿と言われる3尺の刀ね。だから、小次郎の本当の得物は小太刀なのよ」
歴史の真実。それは、剣豪の影の部分だ。小太刀の達人である鍛錬相手として、小次郎は常に長い武器を使わされていた。それがいつの間にか彼の代名詞になってしまったのだ。
「うそぉ…」
京香は自分の長い木刀を見つめ、そして霞を見た。
「じゃあ、私がこの刀を使わされてたのは…」
「小次郎は物干し竿を小太刀のように扱えたから使っていたの、だから間違いではないんだけど。あなたが使うのは間違いね」
霞が冷徹に告げる。
みんなが感心した。「そうだったのか」「歴史の授業みたいだな」
京香もまた、目から鱗が落ちたような顔で、自分の手を見つめた。そして、パッと顔を上げ、霞に向き直った。
「師匠! もっと教えてください! 巌流の真実を! 小太刀の極意を!」
その瞳には、純粋な探究心と情熱が宿っていた。
霞は少し呆れつつも、その真っ直ぐな瞳に、かつての自分を重ねてしまった。剣の道を求め、強くなりたいと願う心。
「…勝手にしなさい」
小さく呟き、霞は木刀を手渡した。
こうして、霞の元には先祖のライバルの末裔が弟子として入ることになった。
不運と鈍感なタンクと、さらに増えたややこしい同居人。
霞の日常は、ますます騒がしくなっていきそうだった。
後書き
小次郎の話はちょっと調べただけの浅い知識に創作を加えたものです。




