暁の盾の日常
ダンジョン「冥府の霊廟」からの帰還から数日が経ち、「暁の盾」の拠点には再び平穏な日常が戻っていた。
とはいえ、霞に課されたエルダーリッチの呪いが解けたわけではない。不運は依然として、彼女の身にまっている。
「またぁ…?」
シャワーを浴びようと浴室に入った霞は、脱衣所のドアの前に立ち尽くした。
彼女が入る際、確実に「使用中」にひっくり返したはずの看板。しかし、いつの間にか強い風が吹き込んだのか、あるいは誰かが勝手に触ったのか、看板は「空室」に戻っていたのだ。
前回の悲劇を教訓に、霞は常に気をつけていたというのに。この理不尽な不運に、頭を抱えずにはいられない。
(もしかして、ロックでもかけた方がいいのかしら…)
そう考えながらシャワーのコックを捻ったその時だった。
ガチャリ。
ドアノブが回る音がした。
「えっ? まさか…」
振り返る間もない。ドアが開き、湯気の向こうから現れたのは、やはりというか何というか、翼だった。
鍛錬を終えた彼は、汗だくのシャツを脱ぎ捨てて入ってきたのだ。そして、勿論一糸まとわぬ全裸である。
「あっ」
「あっ」
二度目の遭遇。
前回と全く同じシチュエーションに、二人は硬直した。
しかし、前回とは決定的に違う点があった。霞の胸の内には、既に翼への明確な恋心が存在しているということだ。
シャワーの水滴が体を伝い落ちる霞の裸体。その肌の白さ、豊かな胸の膨らみ、女性らしい曲線。
入り口に立ち尽くす翼の裸体。厚い胸板、鉄のような筋肉、そしてその股間にぶら下がる男の象徴。
お互いの視線が、無意識のうちに相手の体の作りを舐めるように動いてしまう。
(大きい。やっぱり大きいわ…)
霞は顔から火が出るほど赤くなった。羞恥心と同時に、身体の奥がゾクゾクと熱くなるのを感じてしまう。好きな男の全裸を間近で見てしまっているという事実が、彼女を理性的な剣士からただの恋する乙女へと貶めていく。
「わぁぁぁ!! すまん!!」
翼は前回と同じく、脱兎のごとく逃げ出した。バタン!とドアが閉まる音が響き渡る。
シャワーの水流の下で、霞は膝を抱えてしゃがみ込んだ。
「どうして私ばっかりこんな目に…」
呪いのせいにしてはあまりにピンポイントすぎる。だが、不運でなければ説明がつかない。
それにしても、二度も見てしまった。あの雄々しい姿。心臓がうるさすぎる。
リビングに戻ると、翼は既に着替えてソファに座っていたが、顔が赤い。霞も同様に赤面している。
その気まずい空気を察した理央が、呆れ声を上げた。
「もー、二人とも何度目ですか? 霞さん、看板確認したでしょ?」
「したのよ! でもまたひっくり返ってたの!」
霞は必死に訴える。
「どうりでね。まあ、翼さんだからよかったけど、裕樹だったら大変よ?」
理央が何気なく言った一言に、霞は「えっ」と声を漏らした。翼だからよかった、というのは、意中の相手だからこそ恥ずかしいけれど嫌じゃない、という裏返しではないか。それを指摘されたようで、霞はパクパクと金魚のように口を開閉させた。
一方、当の翼は、きょとんとした顔で首を傾げた。
「はあ? なんで俺だからよかったんだ? 裕樹だと何か違うのか?」
純粋な疑問である。彼の中では、男に見られたら誰でも嫌だろうと言うことらしい。
「はぁ…鈍感…」
理央が深いため息をつく。
「もう、本当に鈍感なんだから!」
真白も頭を抱える。
翼はますますわからないといった風情で、チラリと霞を見た。霞は顔を真っ赤にして視線を逸らす。その初々しい反応を見て、翼もなんとなく落ち着かない気分になった。
この騒動を受けて、暁の盾では新たなルールが制定された。
『浴室に入る際は、必ず声をかけること。看板のみを頼りにしないこと』という、あまりにも初歩的なルールである。
その夜、翼は自室のベッドの上で大の字になって天井を見上げていた。
リビングでの会話が頭から離れない。
(なんで俺だったらよかったんだ?)
理央の言葉の真意が掴めない。霞が赤面していた姿も、何故か無性に気になる。
(霞の裸…)
ふと、脳裏にあのシャワーシーンがフラッシュバックした。
濡れた肌、張りのある胸、震える瞳。
男としての本能が、その美しさを訴えかけてくる。今までは単なる仲間として見ていたはずなのに、今日の彼女はどうしようもなく「女」に見えた。
(いやいや、止めろ。霞は仲間だぞ)
自分に言い聞かせるが、身体は正直だった。
股間がむずむずと熱を持っていく。あの豊満な体を抱きしめたらどうなるのか、そんな想像が湧いてきてしまう。
翼はゴクリと喉を鳴らし、おもむろに立ち上がった。
ズボンのベルトに手をかけ、バックルを外す。そして、ズボンとパンツを一気に脱ぎ捨てた。
解放された股間のモノは、既に半ばまで昂ぶり、鎌首をもたげていた。
「チッ」
翼は舌打ちをして、己のモノを握りしめた。
霞の裸体を思い出しながら、手を動かす。
あの白い肌の感触、泣きそうな顔、震える胸。
彼女が自分に好意を持っているのではないか、という裕樹の言葉がよぎる。
(俺のことが…好き?)
もし、それが本当だとしたら。
彼女のあの顔が、自分だけに向けられたものだとしたら。
思考がそれに及んだ瞬間、翼のモノは限界まで硬く反り返った。
翌朝。
リビングに集まったメンバーの中で、明らかに様子がおかしい人物がいた。翼だ。
彼は朝食の席で、ひたすらトーストと格闘していた。顔が赤いし、何より霞の方を一切見ようとしないのだ。
「おはよう、翼さん」
霞が声をかけても、「あ、ああ、おはよう」と視線を床に固定したままの返事である。
霞は戸惑った。昨夜は互いに気まずかったものの、翼はいつも通り鈍感に振る舞ってくれていたはずだ。それが、今日に限ってこの態度は何だろう。
もしかして、意識させてしまったのか? それとも、やはり嫌われたのか?
「どうしたの? 翼さん」
「い、いや何でもねえ! 食うぞ!」
早口でまくし立て、翼は卵焼きを口に詰め込んだ。
その横で、裕樹が冷静に紅茶を啜りながら、ニヤリと笑っていた。昨夜の耳打ちの効果はてきめんだったようだ。
(霞さん、翼さんのことが好きなんですよ)
その言葉が、翼の脳内で反響している。昨夜の自慰行為のせいで、彼の中での霞は「守るべき可愛い妹分」から「愛すべき異性」へとシフトしてしまっていた。
顔が見れない。直視できない。
見たら、また昨夜のような想像をしてしまう。あの健康的な裸体を重ねてしまいそうで、たまらない。
男としての尊厳が保てなくなりそうだった。
一方の霞はというと、翼のその態度に逆に不安を募らせていた。
「ねえ、理央…翼さん、やっぱり私のこと避けてない?」
小声で聞く霞に、理央は苦笑しながら耳打ちした。
「大丈夫よ。あれは、意識しちゃってる証拠だから」
「えっ? 意識?」
「ほら、昨日のことね。男だって照れるのよ」
その言葉を聞いて、霞の胸が高鳴った。
彼が自分を意識している。ただの鈍感な男だと思っていたけれど、やっぱり男なのだ。
その事実が、霞にとっては希望の光となった。
こうして、「暁の盾」の日常は、少しの気まずさと、たくさんの恋心を乗せて動き出していく。
霞の不運は相変わらずだが、そんな不運すらも、二人の距離を縮めるスパイスになっていくのかもしれなかった。




