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灰かぶりの姉  作者: 吉野
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攻防の日々


航平が帰ってきてから、なんか調子の狂うことばっかりだ。



「おはよう、国枝」



避けるか、他人行儀を貫くか。

そのどちらかしかできない私に、おそらく合わせてくれてるのだろう。

彼も私の事を「国枝」と呼ぶ。

出会った頃のように。


それがいまだに慣れなくて…ほんの少し寂しかったりするのだ。

「那月」と呼ばれない事が妙に切ないなんて、我ながらどうかしてる。


自分が呼ばせなかったくせに…。

自分も「野口さん」と、他人行儀な呼び方で呼んでいるくせに。



「おはようございます」


よりにもよって、航平が自宅マンションの近くに引っ越してきたので、毎朝同じ電車に乗って通勤している。


今朝も、ぎこちなく頭を下げた私の隣を立つ彼の左手には、昔お揃いで買った時計が巻かれている。

初顔合わせの日その事に気づき、新しく腕時計を買おうか悩んだけれど。



たかが腕時計。

されど、腕時計。


結局、今まで使っていた時計を変える事は、愛着も思い出もある品だけに出来なかった。

その代わりといっては何だけど、革のベルトを交換する事にした。


深紅の真新しいベルトは、今までの黒と雰囲気がガラッと変わる。

まだ固いベルトに保湿用のクリームを塗り、早速左手に巻いてみた。



「その時計…あぁ、ベルトを替えたんだな。

その色も似合う」


内緒話をするように、ひっそり囁かれ思わず耳を両手で押さえる。


その拍子に電車が揺れ、吊り革を離していた私は顔面から航平にぶつかってしまった。


「っぶな!」



ガッチリと抱きとめてくれたので、無様に床に倒れこむような事はなかった。

なかったのだけど…その方がもしかしたら、マシだったかもしれない。



密着した身体から立ち上る覚えのある香りに、思わず目眩がした。

時間にすればほんの数秒にも満たない、僅かな間なのに。

心拍が一気に跳ね上がる。


「大丈夫か?」


くつくつと笑いながら離してくれた航平の顔を、恥ずかしくてまともに見る事が出来ない。



「…すみません」


おそらく耳まで真っ赤になっている事だろう。

穴があったら入りたい。

いや、むしろ穴を掘って埋まりたい。

そんな気持ちでひたすら俯く私の横顔に、彼の視線を感じる。


「くに…」


「お先に失礼します」


その瞬間、電車がホームに滑り込み、扉が開いたのをこれ幸いと逃げ出した。




航平が帰ってきてから、毎日彼に振り回されっぱなしだ。

この5年間、ずっと被り続けてきた仮面も航平の前ではうまく被れない。



このままでは、今まで築き上げてきた「私」が「私」でなくなってしまう。


そうなったら…一体どうなってしまうのか。


もう、以前の弱い私とは違う。

そう思うのに、どこかで変化を恐れる気持ちがある。



同時に、今まで纏っていた鎧が重たくて、被っていた仮面が冷たくて、身につける事が辛く思えてきたのも事実だ。


身を守る為のモノが、かえって私をがんじがらめに縛り、身動きが取れなくなっている。

そんな気がしてきた。


* * *


私としては、そんな露骨にしているつもりはないのだけど。

それでも私が航平を避けるからか。

「人事として、社員の仲が悪いのはちょっと!」

とか何とか、ゆづに引っ張ってこられたのは、最近出来たイタリアンバルだった。



そこで果汁多めの、半分ジュースのようなサングリアをチビチビ飲む私に、ゆづは


「ナツってさ、野口さんのこと嫌いなの?」


特大の爆弾を放った。


「嫌いって…そんなんじゃありません」


口ごもる私に、何やら訳知り顔で頷く。



「まぁね、避けるって事は意識してるって事の裏返しだってわかるけど。

だって、ナツ、何とも思ってない人なら避ける事すらしないじゃない。

シレッと受け流すか、鏡のように跳ね返すか、だもんね」


1人で呟き1人で頷くゆづ。

この5年間、1番近くに居ただけあって流石に私の事よく見てる。



「5年間全く連絡を取らなかったんです。

5年ですよ、5年。


付き合っていた時間より長い間、離れていました。

それどころか彼が仙台に引っ越す時、見送りにすらいかなかったんです。

行けませんでした…。

どの面下げてって、思ったんです。

ううん、今でも合わせる顔ないって思ってます」


俯く私に、ゆづは呆れた様子で肩を竦めた。



「あのさ、めっちゃ酷い事言うよ、ごめんね、先謝っとく。


私のせいで彼氏飛ばされて、別れざるをえなくなったって、どのツラ下げてっていうのわかるよ。

わからなくはないんだけど、どっかでかわいそうな自分に酔ってない?」


「…え?」


顔を上げると、滅多に見ない真剣な顔で私を見つめるゆづがいた。

というか…なんか、怒ってる?



「いや、ほんとあの時のナツ、ボロボロだったの見てたし、まじ酷い事言ってる自覚あるんだけどさ。

でも、この期に及んでグダグダ言う意味あんの?て思っちゃった訳よ。


それにあんた、乗り越えたって言う割に5年前から一歩も前に進んでない。

乗り越えたんなら、正々堂々真っ正面から野口さんと向き合いなよ」


初めてゆづに本気で叱られた。




けれど、その事よりも


「かわいそうな自分に酔ってない?」


と言う言葉が、胸の深い部分に刺さった。


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