第十一話 王女の決意その二
翌朝、あれから明け方近くまで国事についてアンジェリカと話し合っていたので俺は凄く眠い。
本当はそのまま昼間で寝ていたかったのだが、レム目覚ましに無理矢理起こされてしまい、夢うつつの寝ぼけ眼で俺は朝食のテーブルに着いた。
「おはようございます、ユーヤ様」
「おーう……おはよう、ロー、ふあぁ」
眠っ。
「そのご様子だと昨晩はほとんど寝ておられないようですね……あまりご無理をなさらないで下さい。あなた様の代わりは他にいないのですから。それからね、レム」
「んあ? なんだ、ローク」
「人間は誰であれ睡眠をきちんと取らないと、まともに動けないし、健康にも悪いんだよ?」
「でも、ユーヤと一緒にホタテスープを食べたかった! これ、健康にもいいってバッグスが言ってた!」
「ふふ、なるほど、そこもちゃんと考えてくれてたんだ、レム。よっぽどあの紅玉ホタテスープが気に入ったみたいだね。でも、そんなに量はないから、今日は食べられないと思うなあ」
レムの純粋な気遣いにロークも優しく微笑む。俺はレムに告げられなかったが、スープはもう弾切れだと事実を伝えてくれてナイスだ、ローク。
「そんなことはない。ユーヤはたくさん買ってた。二十個なら二日分はある!」
「レム、あれは国王陛下に食べてもらう予定なんだ。また今度、買ってやるから」
先に教えておけば良かったが、とうとう俺は本当の理由を告げ、なだめつつ言う。
「エー? むー」
明らかに不満顔になってしまったが、レムは暴れたり文句を言ったりはしなかった。
彼女がラドニールに来てから早一年、最初は城を壊したり、鉄板を勝手に取ってきたりしていたレムも、今では人間のしきたりを学んで、かなり良い子に育っている気がする。
とはいえ、彼女は椅子に座ったまま足を交互にぶんぶん音がするほど振って今も落ち着きが無い。そこは元気あふれるレッドドラゴンの幼生、大目に見よう。完全な人間として育てるのは無理があるし、彼女にとってもそれが良いこととは思えない。もう一人の保護者リリーシュも『礼儀作法はうるさく言わなくていいわ』という方針だ。
「おはよう」
もう一人、礼儀作法に寛容なクロフォード先生がやってきた。忙しい彼は用事で先に朝食を一人ですませてしまうこともあるが、たいていはこうして朝食で顔を合わせている。
「おはようございます、クロフォード先生」
「おはよぉーございマッス! せんせー!」
「うう、おはようございます……」
「ほほ、いつも元気が良いな、レムは。だが、ユーヤは大声が耳に響くようだ。疲れているようだし今日は少し静かにしてあげた方がユーヤも喜ぶと思うぞ?」
「おお、悪かった、ユーヤ。疲れていたか。目を覚ましてやろうと思ったけど、ごめん」
「いや、謝るほどのことじゃないぞ、レム」
それでいつもよりさらに輪をかけてうるさかったか。耳がキンキンした。
「おはようございます」
アンジェリカも顔を見せた。さすがに彼女も今日は寝不足のようで声も少し小さい。身だしなみは完璧に整えていて、寝不足には見えないけど。
「あら、エマさんの姿が見えないようですが」
彼女が気にしたので俺が説明する。
「今日は里で会合があるそうだ。ついでに妹をみっちり鍛えてやると昨日言ってたから、たぶん、戻ってくるのは明日だろうな」
「そうですか、ふふ、この分だとルルさんも早く一人前になれそうですね」
「どうだかなあ」
戦士や隊長や斥候としては一流になれると思うが、エマが期待しているであろう頭領の補佐役や将軍としては、ルルの性分に合っていない気がする。だがまあ、そこは俺が口を出すことでも無いな。
会話が途切れたときにチラリとアンジェリカが俺を見て微笑んだが何も言わなかった。そうだな、寝不足の理由や昨日の話はお互い、みんなには内緒にしておいた方がいいだろう。次期女王と軍師、連絡を密にするのは良いことだが、周りにそれ以外の関係で勘ぐられても嫌だし。
「殿下、国王陛下は今日も自室で朝食を取られるのかな」
クロフォード先生が確認する。
「ええ」
アンジェリカも特に理由は詳しく告げずに頷いた。
「では、朝食も準備が整ったようだ。リリーシュ殿下はどうやら今日は遅刻のようだし、我らだけで先に食べるとしようか」
皿を運んできたメイドを見てクロフォード先生が言う。リリーシュはたまに寝坊というのがある。俺もだけど。ちなみに皿を運ぶメイドさんは足腰の強そうな体格のベテランメイドだ。
悲しい。若かりし頃に猫耳族を投げ飛ばしたこともあるそうだが、護衛の衛兵はちゃんとそこで仕事をしてくれているので、もしも俺が国王になったら、この武勇メイドさんには洗濯に回ってもらって、13歳以下の華奢で幼気なロリ美少女メイドに交代してもらおう。公募もいいな!
「ええ、そうですね。では、大地の恵みとファルバスの神々に感謝します」
俺の密かな野望をよそにアンジェリカが食前の祈りを代表して済ませ、俺とレムはそれぞれいただきます!をして食べる。
「あっ! スープ! ホタテが来たー!」
「むむ?」
次の皿がやってくる前にレムが匂いに敏感に気づいたようだが、もしや国王陛下の口に合わなかったか?
「ちょっと失礼。すぐ戻る」
俺は慌てて厨房へ向かう。
「おお、これは軍師殿。何か追加メニューを出しましょうか? 今日はヴェネトの干し魚がメインディッシュとなっております。香ばしいクロート産の木の実を軽く炒めて添え、名付けて『妖精の隠れ家の食卓!』」
凝った名前だな。自信作なのだろう。
「いや、それはいいのですが、料理長、ホタテのスープ、国王陛下は召し上がらなかったのですか?」
「ああ、そのことですか。いいえ、体に染み渡って元気が湧いて出てくると喜んでおられました。せっかくの珍しい品、皆様の分も一食限りで終わらせるのももったいないと思い、だし汁を分けて取っておいたのです。まあその分、少し薄味になってしまいますが」
「なんだ、ああ、そういうことでしたか。良かった」
安心して戻る。
「いかがでしたか、ユーヤ様」
ロークやアンジェリカも心配顔で国王の事を気に懸けたようだ。
「いや、何も問題無かった。料理長の秘策でスープが一回分、増えたようだよ」
秘策の中身、味の方は言葉に出すとがっかり感も出てしまうので、ここは内緒にしておく。昨日味わったスープも充分に美味しかったし、それでいいだろう。味とは食べる人が決めることだ。
「んまー」
レムがスプーンを口に含んでニッコリ顔で満足に浸っているので、思わずこちらも笑顔になる。
「ああっ、やっぱり我慢できない! 私もそのスープをもらうわ」
リリーシュがダイエット中だったのか、やってきた彼女はどかっと席に着きながら言う。
「リリーシュ、はしたないですよ」
「あ、ああうん」
「んん?」
普段ならハイハイと軽く流したり、少しだけ反省してハイとその場だけ真面目に返すリリーシュなのだが、様子が少し変だ。ちらちらと姉様の方を見ては、顔を真っ赤にしている。
「どうかしたのか、リリーシュ」
「なっ、何でも無いわよ、このドスケベ!」
「なぬっ!?」
俺はリリーシュに何かしたか?
いや、しかしまったく身に覚えの無い話だ。
それらしいことと言えば、包囲網結成の後でラドニールに帰還したときに、彼女に鎧越しに抱きつかれたくらいのものだ。
うっかり着替えシーンを目撃するとか、うっかり転んで押し倒してあらぬところに顔を押しつけるとか、そんなことは今まで一度たりとも無かった。
おかしい、異世界勇者が美人王女に出会ったなら、ラッキースケベがセットでツイてくるもんじゃないの?!
くそう……。
「リリー、いきなりどうしたのですか。何の話をしているの?」
「あ、いや、あ、あはは……」
アンジェリカが聞き捨てならぬとばかりに問いただしたが、それにも答えずに曖昧にごまかすリリーシュ。
やっぱり変だった。
彼女は何か思ったり文句があれば、口に出さずにはいられない性分だというのに。
「ふう、ではこの話はまた後で。ですが、そのような言葉遣いはいけませんよ」
「ええ? ……むう、はぁい」
「リリーシュ、俺が何かしたのか?」
「はぁあああ? ユーヤのバカ! 知らない!」
信じられないという顔をするリリーシュだが。
「んんん? 何なんだ」
「もー、怒った、こうなったら思いっきり食うぞぉ! 十人前、追加で!」
リリーシュの猛然とした食欲の決意の前に、割とこういう日もあるよねこの人はと、周りはいつもと変わらぬ静観モードであった。