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その時、事務室の扉の奥の方から、子どもの大きな泣き声が聞こえた。逸子は、「すみません。少しお待ちください」と言い、事務室から出て行った。
逸子が出て行くと、朝比奈が大きなため息をつきピンと伸ばしていた背筋を崩して、椅子の背もたれにもたれかかった。良明から見て、朝比奈はひどく疲れた印象であった。
「お疲れですか?」と良明は朝比奈に聞いた。
朝比奈は、「この年になったら、もう体調がいい日なんてないよ」と嘆き節で呟いて見せた。それを見ていた文音は、「無理しないでくださいね」と朝比奈にそっと微笑みかける。良明は、朝比奈に向けられたその微笑を見て、少しだけ癒されていた。
朝比奈が、「あの人の話から、なんか感じたか?」と良明に向かって尋ねてきた。良明は、少し考えてから、自分が感じた違和感のことを話そうと決めた。
「美夜古さんのこと、金目当てで殺したって言っておきながら、美夜古さんへの恨みが感じられなかった」
「どういうこと?」と良明の言葉に、文音が反応した。
「なんか、語気に力がないっていうか」
それは、大学3年生の時に受けた犯罪心理学の講義であった。人間は嘘をつくとき、相手の目を見て話している人は突然視線を逸らしたり、ずっと逸らして話している人はその時だけ相手の目を見て話す。嘘の時は、言葉に力強さが無くなる。
良明が感じた逸子の第1印象は、人見知りであった。何故なら、逸子はずっと朝比奈や良明から目を逸らして話していたからだ。それが、逸子が美夜古のことを話し出した瞬間、良明と朝比奈に交互に視線を合わせて話し始めたのだ。犯罪心理学的に言うと、嘘をついていることになるのではないだろうかと良明は考えていた。
良明はそのような違和感を話したとき、それを聞いていた朝比奈は、「俺も同じこと感じたな」自分の意見を述べた。
「何で、そのような嘘を?」と文音が良明に聞いた。
「美夜古さんを恨んでいない?」と良明が言う。それに対して朝比奈は、「時田和夫と上手くいってなかったのかもしれない」と答えた。
良明はその朝比奈の発言を基に、考えを巡らせる。まず一つに熟年離婚をする夫婦の特徴についてである。子どもが自分たちの手から離れるとなされることが多いのが、熟年離婚である。時田和夫と逸子の子どもは、事件当時20歳で、事件が起こる2年前にと苦境の大学に行くために上京していたらしい。夫婦仲がうまくいってなくても可笑しくないのである。しかし、良明は熟年離婚をする夫婦の特徴だけで、そう決めつけていいものかと思った。
「いや。上手くいってないなんて考えられないです」
突然、文音がそう言った。
「どうして?」と思わず良明が聞く。
「分からないけど、ここに入ってくるまでに見たんだけど、建物の中に小さな仏壇があってね、そこには綺麗な花が収められていた。嫌いだった人に、ここまでするかな?」
良明は、文音の答えを否定することができなかった。むしろ賞賛すべき考察であるように思えた。
しかし、逸子は美夜古のことを話す時、確実に嘘をついている。どうして嘘をついたのか、それを解き明かさなくてはならないと良明は感じていた。
そんなことを考えているうちに、「すみません。子ども同士がけんかしていて」と言いながら、逸子が帰ってきた。「大変ですね」と朝比奈が笑いながら、逸子をねぎらった。
「あの、もう一つだけ聞きたいことがありましてね」と朝比奈が言う。逸子はそれを聞いて、「なんでしょうか?」と言った。
「和夫さんのお兄さん、時田康夫さん。その人がここの孤児院を計画したって本当なんですか?」と朝比奈が迷わず、逸子に聞いた。
「そうです。最初の計画はお兄さんです」と逸子が答えた。
「それで、和夫さんが経営を奪って、都市開発の時にこの孤児院をつぶそうとしたとか」
「そんなばかな!」と逸子は朝比奈の言葉に対して、激しく反論した。




