9 中瀬さんの秘密
私には、お姉ちゃんがいる。中瀬恋花という人だ。優秀な人で、何でも簡単にできてしまう人だった。幼い頃は素直に尊敬してたし、憧れてた。周りの友達に自慢してしまうくらいには私の自慢だった。でも、いつからだろう…そうだ、両親の期待は常にお姉ちゃんのみに注がれていた事に気づいた時、私はお姉ちゃんに嫉妬した。醜い感情だという自覚はあったと思う。両親は平等に愛情を注いでくれた。でも、「次への期待」はされたことがなかった。自分の頑張りを真に見て、認めてくれたことは無かったような気がする。色々なことを頑張った。テストを頑張った。習い事を頑張った。お手伝いもした。
「凄いね」
でも、どんなに頑張ってもその一言しか貰えなかった。私にはそれが、表面のみを見ている人の言葉に思えた。
「次も期待してるよ」
「凄く頑張ってるんだね」
というありきたりな、でも私にとっては喉から手が出るほど欲しいその言葉は一度たりとも聞くことはできなかった。だって、その言葉を貰うのはお姉ちゃんの特権だったから。
徐々に、私はお姉ちゃんの才能を妬み、恨むようになった。私の目には、努力せずとも楽々と様々なことをこなす彼女の姿が映っていた。
でも、違った。お姉ちゃんが人知れず努力しているのを目撃してしまった。その時、彼女は体育の授業でやるという剣道の練習をしていて、
「恥ずかしいところをみられちゃったなあ」
と苦笑していた。実際、彼女の剣筋は鈍く、拙く、いつも完璧なそれとは明らかに乖離していて、その瞬間私の感情は行場を失った。ただ覚えているのは、彼女はずっと努力していたことへの吃驚と他人の実力を才能だと決めつけた自分への失望だけだ。
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「あの時から、私は毎日欠かさず努力するようになったの」
そう、彼女は締めくくった。その自虐的な笑みに、僕は思わず
「両親が認めてくれないなら、僕が、中瀬さんの頑張りを認めるよ!」
と手を握って叫んでいた。中瀬さんは呆気に取られて固まっていたが、次第に破顔して、
「ありがと」
と短く、しかしどこか吹っ切れたような声音だった。
「私は絶対に、両親に頑張りを認めて貰う。でも、初めて私を認めてくれたのは君だよ。お陰で、気が楽になった」
「でも、ほんとに凄いと思うよ」
「何が?」
「努力してること、だよ。だってさ、どれだけ頑張っても認めてもらえなかったら、心が折れちゃうと思うんだ。でも、中瀬さんは今日までずっと努力し続けた。君の今の実力や評価は、きっと努力の賜物だよ」
言い切って初めて、自分の台詞の恥ずかしさに気づいた。
「ごめん、変なこと言った…忘れて…」
優しい彼女はきっと頷いてくれると思ったが、
「だーめ。私、これでも君の言葉、結構嬉しかったんだよ。だから、忘れてあげない」
と、悪戯っぽく笑って見せた。その初めて見た表情と、嬉しいという言葉に血の巡りが早くなって、耳が熱くなるのを自覚する。体が熱を帯びた原因は、体調不良のせいとは思えなかった。
僕は恥ずかしさから彼女を視界に入れることができず、沈黙が流れる。でも、不思議と心地良かった。永遠に続けとさえ思った。でも、現実は非情なもので、インターホンが鳴り響く。
「今日はありがとね。話してみると意外とすっきりするんだね。もっと早く話しておけばよかったかな」
「こちらこそ、部屋で休ませてくれてありがとう。大分体調が良くなったよ。後、さ。僕は、君の力になりたいと思ってるから。何か力になれそうなことがあったら声をかけて」
そういって、逃げるように玄関へ向かった。
「もう、十分貰ったよ…」
ベットに倒れ込んだ彼女の呟きは、慌ただしく階段を駆け下りる足音にかき消されていった。




