恋の三角関係実験(崩壊編)
朝の研究所は、珍しく落ち着いていた。
警告音もない。ピヨ助も暴れていない。端末も正常。
「……逆に不気味ですね」
白石ももかはコーヒーを持ちながら呟く。
桃瀬りくはモニターを見ている。
「昨日の“感情干渉”の数値は一時的に安定している」
「安定って言われると安心するやつですよね、それ」
「だが、根本は変わっていない」
「安心しきれないやつですねそれ」
そこへ、田中ゆうたが軽く手を振りながら入ってくる。
「おはよー! 今日は平和そうだね」
「そのフラグやめてください」
ももかが即答する。
桜井教授が楽しそうに説明する。
「今日は“複数人間関係における感情安定性”の測定だ!」
「それただの会話じゃないですか?」
「違う! 科学だ!」
ももかは遠い目になる。
りくはため息。
「要するに三人で普通に話せということだな」
「普通って何ですかここでは」
テーブルに三人。
ももか・りく・ゆうた。
「最近さ、ここ慣れてきたよね」
ゆうたが笑う。
「慣れたくないです」
ももかが即答。
りくは淡々とコーヒーを飲む。
「適応速度は異常に早い」
「褒めてないですよねそれ」
そのとき。
ゆうたが何気なく言う。
「でもさ、ももかって昔から変わんないよね」
「それは……まあ」
ももかが少し笑う。
その瞬間。
りくの手がほんのわずか止まる。
モニターに表示される数値。
『感情反応:局所的上昇』
「……」
りくは無言で画面を見る。
ゆうたは気づかないまま続ける。
「昔からさ、転んでも笑ってるし」
「うるさいです」
ももかは軽く頬を膨らませる。
その表情を見た瞬間。
ピヨ助(再起動中)が小さく反応する。
「萌え反応上昇」
「またそれぇ!!」
りくはデータではなく、ももかを見ていた。
ほんの一瞬。
すぐに逸らす。
「……非効率だ」
「何がですか?」
ももかが聞く。
「この会話は」
「ひどくないですか!?」
ゆうたが笑う。
「相変わらずだね、りく先輩」
「先輩やめろ」
「え、そこ?」
空気が少しずつ変わる。
会話は普通なのに、どこか噛み合わない。
ももかはふと気づく。
(なんか……変な空気)
ゆうたはいつも通り。
りくはいつもより無言が多い。
教授は遠くでメモを取っている。
『三者関係:安定崩壊予備状態』
「予備って何ですか予備って」
ゆうたがふと笑って言う。
「でもさ、もしももかがいなくなったらこの研究所どうなるんだろうね」
「え?」
一瞬、空気が止まる。
ももかは笑おうとする。
「やだなぁ、急に何言ってるんですか」
しかし。
りくの視線がわずかに鋭くなる。
「……仮定として不適切だ」
「え?」
ゆうたは軽く肩をすくめる。
「いや冗談だよ」
でも、その“冗談”が一番揺れた。
りくは静かに立ち上がる。
「データ更新する」
それだけ言って歩き出す。
ももかはその背中を見る。
「……なんか今日、機嫌悪い?」
ゆうたは笑う。
「いつもあんな感じじゃない?」
でも少しだけ違う。
データ室。
桜井教授が楽しそうに画面を見る。
『感情干渉:局所暴走傾向』
「ふふ……いいねぇ」
ピヨ助が横で警告する。
「関係性構造に歪み検出」
「そう、それが欲しいんだよ」
教授は笑う。
「“恋愛”は安定しないから面白い」
夜。
廊下。
ももかが一人で歩いていると、りくが後ろから声をかける。
「白石」
「はい?」
振り向く。
少しだけ間。
「……今日の会話だが」
「はい」
「特に問題はない」
「それ毎回言いますね」
少し沈黙。
りくは視線を外したまま続ける。
「だが、今後も観察は続ける」
「観察って言い方やめてください」
「事実だ」
でもその声は、以前より少しだけ柔らかい。
ももかは小さく笑う。
「ほんと、変な人」
その言葉に、りくは何も返さない。
ただ一瞬だけ、足を止める。
その先で、ゆうたが遠くから見ている。
そして研究所のどこかで、教授が静かに呟く。
「そろそろ“実験”は終わりが近いかもしれないね」




