揺れるデータと日常の違和感
朝の研究所は、昨日と同じように静かだった。
ただその静けさが、もはや安心ではなく“観察前の空白”のように感じられるようになっていた。
白石ももかは仮眠ポッドから出ると、軽く伸びをする。
「なんかもう、静かだと逆に落ち着かないんだけど」
その独り言に返事はない。
廊下を歩くと、桃瀬りくが既にモニター前に立っていた。
「起床確認。正常」
「正常って言われると逆に怖いんですけど」
りくは視線を動かさずに端末を操作している。
「昨日のデータに微細な異常があった」
「また私ですか」
「君以外に要因がない」
即答だった。
ももかはため息をつく。
そこへ桜井教授が軽い足取りで現れる。
「おはよう!今日は昨日の続きだよ!」
「続きって言わないでください」
「今日は“感情残留値の検証”だ!」
「残留って何が残ってるんですか」
ゆうたが後ろから入ってくる。
「おはよー、なんか今日は地味そうだね」
「地味なほうがいいです」
ももかは即答する。
研究室に入ると、昨日と似た装置が並んでいる。
ただ違うのは、ももかの座る椅子の周りに細かいセンサーが増えていることだった。
「なんですかこれ」
りくは淡々と答える。
「感情の持続測定」
「また難しいやつ来た」
ももかは椅子に座らされる。
「今日は何もしないでいい」
「それ昨日も言ってましたよね」
りくは軽く頷くだけでモニターを見る。
ゆうたは横で立っている。
「何もしないって逆に難しくない?」
「難しいです」
ももかは即答する。
沈黙が流れる。
本当に何も起きない時間。
ももかはそわそわしてくる。
「これ、逆に何か起こすやつですよね?」
りくは答えない。
ただ見ている。
ゆうたが軽く口を開く。
「ももかってさ、昔からさ」
「その話やめてください」
ももかはすぐに反応する。
ゆうたは笑う。
「いや、別に悪い意味じゃなくて」
「その時点で嫌な予感しかしないんですけど」
その瞬間、ももかが少しだけ笑ってしまう。
それに気づいたりくの視線がわずかに動く。
モニターの数値が反応する。
教授が小さく声を出す。
「なるほど」
ももかは気づかない。
「今の何もしてないじゃないですか!」
りくは静かに言う。
「反応は発生している」
「どこでですか!」
ゆうたは楽しそうに続ける。
「笑ったよね今」
「笑ってないです!」
否定するほど、数値が動く。
ピヨ助が反応する。
「感情残留値上昇」
「もうやだこの機械!」
ももかは頭を抱える。
りくはモニターを見たまま言う。
「昨日より安定している」
「どこがですか!」
そのとき、りくがふと椅子の近くに来る。
ももかの肩に付いていた小さなセンサーを直す。
ほんの少しだけ指が触れる。
ももかは一瞬止まる。
「……」
数値が跳ね上がる。
「また!?」
ももかは赤くなる。
りくはすぐ離れる。
「問題ない」
「問題しかないです今の!」
ゆうたは笑っている。
「なんか今日もいい感じに壊れてるね」
「壊れてません!」
ももかは叫ぶが、誰も真剣には止めない。
教授は静かにデータを見ながら呟く。
「感情は残る」
その言葉の意味は、まだ誰にもちゃんと理解されていなかった。
ただ一つだけ確かなのは、昨日よりも今日のほうが、この研究所は“普通ではなくなっている”ということだった。




