8 違和感の正体は
「なにを……」
痛みはない。苦しみはない。
だが確かに、身体が内側から崩壊していくような、奇妙な感触が広がる。
カタリナの敵だった女はただこちらを一瞥し、「わかった」と呟いただけだ。ただそれだけの事だった。
されど索敵糸は、それでも巨大な異変を感じ取っていた。いや、むしろその警鐘がなければカタリナは異変が起きていることにすら気がつけなかったに違いない。
しかし、迷っている暇はない。既に間合いは縮められ、切先はカタリナの首をかき切らんと伸びている。
糸を張り、上昇と後退で刃先を回避する。
同時にあの女の進路に糸を張り、自ら罠に飛び込むよう図ろう。
それは、カタリナに出来る最良の選択に違いなかった。
結果、カタリナは敵の一撃を避けた。
否、カタリナは予定通り回避したのではなく、その身体が一閃を受け止めるよりも早く彼女を支える糸の尽くが崩壊し、墜落を始めただけの話だった。
2度目の異変に気がつく。
――できない。糸が張れない。それどころか、他の糸の感覚すら解け落ちるように消失していく。
放たれた解析の魔法が、水が流れ行くようにゆったりと、カタリナの綴織の如き魔法式を容易く刻む。体を支えていた糸が露と消え、その身は地面に墜落を始める。
「――まさか」
たった一瞥で。あの宣言一つで、己の魔法の何もかもを理解し解明したというのか――!?
***
2階の螺旋階段の終着点、その手摺に跳び移った私は対極に墜落するカタリナ・ミシェーレを見送った。
まだ崩壊を免れていた糸達が彼女を受け止め、幸運にも即死は免れている様子だ。されど、とても跳ね上がって即座に戦えるような状況でないのは明らかだった。
「(シャンデリアを落とす、か――?)」
あの状況であればまず回避は出来ないだろう。
今このシャンデリアを切り落とせば、まず間違いなくあれを死に至らしめることは可能だ。
その思考を私は愚かなことを、と棄却する。
それは効率的ではあるが、美学に反するものだった。
かつり、かつりと失った体力を戻すようにゆったりと歩み寄るような動作で私は1階へ繋がる螺旋階段を下り始める。
私に与えられた魔法は、決して攻撃性を持たない。
それどころか、単に「明かす」という効能であれば魔術で容易に再現できる。
強力で優秀な魔法使いとはとても呼べず、汎ゆる戦闘において自身の戦闘技能を強く要求される。殊、対人戦においては何の役にも立たない。
『鑑定眼』――それら魔術の原型にして、最新の魔法。
それは汎ゆる神秘への絶対優越権。視界に捉えた神秘の絡繰を明かす、それだけの魔法だった。
鑑定眼の類の魔術と異なるのは、この神秘を解き明かすという効能だろう。
カタリナの魔糸を視認していたのはあくまでこれの副産物に過ぎない。
「ぁ――」
悲鳴にも似た嗚咽を零して、カタリナはこちらを睨めつける。
もうあの魔糸は張られない。武器をなくした彼女は逃げることも叶わずただこちらを見あげるだけだ。
魔法使いとしての価値をなくした彼女は、もう神殿の厚遇は受けられない。
一度死した筈の王女が生きていたら困るのは、神殿もスヴェルタ帝国の上層部も皆同じだ。良くて神官として死ぬまで僻地の修道院に追いやられるか、悪ければ『元々そうであったように』事故死を装って殺されるか、と言ったところだろう。
怪物の末路は往々にしてそういうものだった。
「何故――」
カタリナの呟きを聞く。
「どうして……どうして、私を殺すのですか。私が異世界人だからですか。それとも貴方が第三皇子の従姉妹だからでしょうか。私はただ、生きていたいだけなのに。自分に与えられた苦しみをそっくりそのまま返してやりたいだけなのに」
「違うよ」
回答は簡潔に。
殺害命令は動機に違いないが、結局のところ最後に手を下すのは私であるのだから、『他人の命令』は彼女の問いの答えにはならない。
「貴方の復讐は正当だ。見ていて気持ちがいい、もっとやってしまえと思うことすらある。だけど――貴方は無辜の子供を手に掛けようとした。使用人を壁に叩きつけ、見張りの兵士の腱を切り刻んだ。あなたを苦しめた者に相応の報いを与えるのは結構だけど、彼らへの干渉は復讐の一線を越えている。それはただの加害行為だ」
腕を折られた赤子。肌と髪を切り刻まれた侍女。腱を傷つけられ再起不能になった兵士。
例え水薬一つで治るとしても、その罪は軽くなりはしない。
あの瞬間、彼女は被害者のまま加害者に成り果てたのだ。
「道を踏み外したなカタリナ、余計なことをしなければお前は正義のままでいられたのに」
「私が――――――加害者?」
「そう。だからダメなんだよ、復讐は。加害者と被害者が入れ代わり立ちかわり。結果、犠牲者ばかりが増えていく。人間にはあまりにも難しすぎる」
何の罪も、謂れもない。先の侍女や兵士とは異なり、間接的な復讐の対象ですらない。抵抗すら許されない、力なき幼子を傷つけた。
それを、加害者と呼ばずして何と呼ぼうか。
――それは最も、自分が嫌悪したもののはずなのに。
殺してやりたいと、思っていたもののはずなのに。
だが。それを認めてしまえば、何もかも壊れてしまうことを彼女は理解していたに違いない。故に。
「違う……違う、違う違う違う! 私は、違う! そんなはずがない!」
そんなはずが、あってはならないと少女は絶叫する。
悲痛なまでの否定は、やがて憎悪へと成り果てた。
身を震わせ、よろめきながらカタリナは立ち上がる。彼女のどこにそんな余力が残されていたのかと、思わず息を呑んだ。
「『魔女狩り』……人殺しが道を説くなんて笑わせないで。お前達は神の名を騙って殺してるだけ――ただの殺人者のくせに! 道を踏み外したのはお前も同じはずなのに、偉そうにして!」
「半分は正解で、半分は不正解だ。私は一度も人間を殺していない。殺すのはいつだって悪性幻想種だけだから」
崩壊寸前の魔糸が放たれる。形は歪で、脆く儚い。
秩序立っていたあの頃の姿は見る影もなく歪み、曲がり、大小すらも多様なその魔力塊は、皮肉な事に更に茨のそれに似ていた。当然、そのような歪な魔法では、先と比べ物にならない量の魔力消費を求められる。
完全に消滅するまでの刹那を決死で生きるように伸びる茨。それは死に瀕した獣の足掻きに似ている。
糸ほどの自在性はないにせよ、圧縮された魔力は十分に命を刈り取るだけの威力があった。
「ふ…………ふふ、あはは! 貴方ってば本当に馬鹿な人! 最後まで自分が踊らされているのに気が付かないなんて」
「……なに?」
「私を童話の悪役と同列に扱わないで下さい。私が一人で計画を実行しているわけがないでしょう? 私の目的は復讐でも、復讐が成されるのであれば最後の一手が私でなくとも構わない。私ははじめから捨て駒、貴方との交戦は時間稼ぎに過ぎないのですもの!」
何がおかしいのか、それとも自分自身ですら何に笑っているのか分からないのか。狂ったように笑いながら、カタリナは高らかに勝利を宣言する。
「私がここで勝とうが負けようがそんなものは最早関係のない話。だって今ごろ第三皇子はもう、冥府に送られているはずなのですから……!」
「……そう。でも、私の仕事には関係のない話。私は第三皇子が死のうが生きようが心底どうでもいい」
最後の茨が鼻先を掠める。しかしそれは終ぞ私を傷つける事なく、魔力の粒子となって宙に掻き消えた。
間合いは既に十分に詰まっている。
交差する身体。カタリナの狂乱を横目に、私はその首筋に己の剣柄を叩き付けた。
そうして魔力の尽くを使い果たした少女は、酷く満足げな面持ちで死に限りなく近い眠りへと転がり落ちていった。
己の感情を知覚するよりも前に、倒れ伏した彼女の体を剣先で転がす。彼女の胸元に光る灰緑のブローチが外れ、月光を受けて静かに煌めく。
初めに相対したその時からずっと抱いていた違和感の答え合わせをするように、私はカタリナの身体、その最奥に蠢く魂のカタチを一瞥した。
「……やっぱりだ。神殿の目も節穴だね、これのどこが『異世界人』なんだか」
カタリナの身体で緩やかに拍動する魂は、異世界人のそれとは全く違うカタチを――我々と同じカタチをしていたのだ。
『妖精憑き』とは1つの身体に2つの魂を収めた人間であり、その主導権は大抵、体の本来の所有者が握るとアンブロシウス大神殿長は語った。しかし同時に、その説明の主はこういったのだ――『大抵は』と。つまりは、暗に例外についても視野に入れておけという警告だったのだろう。むしろその線が強いと疑っていたからこそ、わざわざ調査書に魂の波長の違いなどを記録していたのだ。
異世界人の魂と我々の魂というのは魔力の波長が違う。
こちらに優位に働いたとすれば、私は文面だけでなく既に一度異世界人の魂を見た経験があったということだろう。魔力刀の製作主がまさにその彼である。
彼女は『妖精憑き』の中でも例外――本来の身体の持ち主ではなく、異世界人の魂がその主導権を握っていた事例だったのだろう。故に第三皇子一派に殺されたのは異世界人の彼女であり、今ここに残されているのはようやくその主導権を取り返した本来の持ち主だ。そう考えれば全ての辻褄が合う。
即ち、彼女は悪性幻想種ではなく、魔法を副産物として獲得しただけのただの人間だったと。
つまり。私が彼女を殺すに至れないのは、勝負が始まった時点から確定していたのだ。
「私は人殺しはしない。……命拾いしたね、カタリナ姫」
『異世界人』であるならともかく、ただの人間であるのならもうこれ以上甚振る理由もない。
限りなく気絶に近い魔力枯渇症に落ちたカタリナ姫の傍らに座り込む。この場に父上が居たならば小言の一つや二つが飛んできそうな粗雑な仕草だ。
「はぁ……それにしても時間稼ぎ、ね。呆れた。神罰に先を越されたか……」
先は強がってはみたものの、こたえるものはある。
第三皇子という男はあれだけ人を利用し、殺したのだ。これを神罰と呼ばずして何と呼ぼうか。
或いは。仕事を放って、殺し合いを楽しんだ私自身への罰かもしれない。
朝の段階で『伝言』をイヴァンに伝えていれば少しでも結末は変わったのだろうかと、もう悩んでもどうしようもないことを考える。
互いに殺し合う前――言葉を交わしたあの時から、既に予兆はあったのだ。
凡人が、普通に生まれて死ぬだけならば『魔女狩り』という組織の存在を知る術はない。神殿は己の体裁を過剰なまでに酷く気にする。だからその存在を必死で隠し通そうとするものだ。それが例え『妖精憑き』と呼ばれる存在であっても、だ。監視対象に己の素性を晒す愚者がどこにいるというのだろうか。
なら、少なくとも彼女に『魔女狩り』の存在を教えた者がいる。
それが可能なのは極めて国の上層にあり、神殿との繋がりを持ち、かつ外側から眺められる者だ。その中で第三皇子に対して怨恨を持ち、カタリナ姫に協力を持ちかけるような人間となれば、もう答えを言っているのと同じようなもの。
恐らく。
その共犯者の名は、ヴェロニカ・クライェス。
権力争いにより殺された第二皇子、その婚約者だ。
これだけヒントがあったのに、と。
現状は、それに気がつけなかった己の失態と言えよう。
……いや、言えない。そも、そこまで気を回してやる義理はない。こちらとて万策を尽くしたのだから、あの男の死の責任をこちらに向けられるのはやっぱりお門違いというものだろう。
ただ、あの男が死ぬということは、ここまでの自分の努力は――帝位から逃げるために尽力した全ては無に還るといわけで。やはりその観点で言えば、紛うことなき己の失態なのだった。
どっと疲れが押し寄せる。座ったのがよくなかったのだろう。精神的にも肉体的にも疲労困憊である。とても、立ち上がれそうにはない。
私はそんな体の要求を大人しく聞き届け、壁に背をつけ、遠くからやってくる足音を静かに聞いている。
カツン、カツン、カツン、と。規則正しい音は次第に大きくなり、やがて穏やかな声が束の間の静寂を晴らした。
「――ふむ、殺さず『保護した』のか」
アンブロシウス大神殿長は、その自慢の髭を撫でつけながら口元を笑みに歪めた。




