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お飾り皇帝にはお似合いの仕事  作者: 花嵐
序 『復讐裁廷』

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6/24

6 Catharina〚2〛




目的の人物は8つ目の扉の先に居た。


先ほどの物音に怯えていたらしい夫人は、穏やかに眠る我が子の揺り籠を揺らしながら扉口(こちら)を見つめていた。

その(かんばせ)に浮かぶのは困惑だ。カタリナのような華奢な娘は、部屋の外を騒がせた犯人とは到底結びつかなかったらしい。


夫人が物を言うよりも早く、カタリナの魔糸が揺り籠に伸びる。

それを見留めた夫人はほぼ反射的にその間に割って入り、その体を盾に我が子を守った。本来赤子に結びつくはずであった糸は、やや不恰好な形で夫人の体を締め上げる。



「……あら。夫人(あなた)を人質にしようと思っていたのに」



カタリナはほんの少しの戸惑いの末、仕方なく夫人を床に叩きつけて気絶させることを選んだ。


……まあ、それでも構わない。人質は一人いれば十分だ。


だらりと力なく床に転がる夫人の四肢。それを蹴りつけて、カタリナは揺り籠を覗き込む。


まるで、この世の幸福を全て煮詰めたようだと、そう思った。

珠のような和肌(にぎはだ)とふくよかな体。纏う衣服は華やかでありながらまだ幼い子を気遣った造りであり、それが並大抵の努力で出来上がったものではないことが一目でわかる。


――あの怪物が、その愛を一身に捧げるもの。

……心の奥で、許せない、と小さく声がした。


あの怪物の血を引くものが幸せであっていいはずがない。まして、あの怪物の幸福に繋がるものは全て排除しなくてはならない、と。


衝動に突き動かされるままにその小さな腕を掴む。

あまりにも脆く柔らかい感触に、カタリナは一瞬だけ戸惑った。

しかし次の瞬間、己の意志を追い抜くように――指先に力が込められていた。


ぽきり、と右腕の折れる音。幼子は束の間の困惑に起因する沈黙の後、警報を思わせるような悲鳴(なきごえ)を上げた。

……知らなかった。赤子は泣くものだけれど、それにしたってもっと小さく泣くものだと思っていたのに。こんなに力強いものだったなんて、とカタリナの背に動揺が走る。


  

「うるさい……」


 

このままだと、異変を察知した誰かがこちらへ来てしまうかもしれない。見張りの兵士は吊るした後、暫く動けないように腱を刻んで来たけれど、数で押されてしまえばカタリナに勝ち目はない。


やはり子供ではなく夫人の方を人質にするべきだったようだ。幸いなことに夫人は未だ目覚めないでいる。このまま夫人を人質にするのでも良いだろう。そうであれば……誰かに気が付かれる前に始末してしまわないと。


カタリナの腕はごく自然に幼子の首に伸び、そのまま力強くも細い生命線を――



「それ以上は辞めたほうがいい。復讐鬼から殺人鬼に転落でもしたら、お前は復讐の正当性すら失ってしまう」



断ち切る前に。

何者かが己の背後に近寄っていた事に、カタリナはその瞬間ようやく気がつく事になる。



「――あ、なたは」



いつから、そこに居たのだろう。

魔糸に触れる呼吸は整っている。脈だって、平常時の人間と何ら変わらない。

それはつまり、この酷く気だるげな表情で戸口の壁に凭れ掛かる彼女は、今この瞬間やって来た訳ではないことを指し示している。


揺れる銀の髪。蒼の双眸。年頃は同じか、少し下程度だろうか。

彼女は私の言に怪訝そうな表情でこちらを見遣り、ほんの僅かに目を見開く。


その動作と殆ど同時に、索敵用の糸が奇妙な反応を見せる。これまでの全てが蜘蛛の巣に獲物がかかった衝撃だとすれば、今のは大気そのものが大きく揺らいだような――?



「お前――」



泣き喚く赤子でもなければ、床にころがる夫人でもなく。確かにカタリナを真っ直ぐに見つめ、そう呟かれた言葉は、それきりもう続いてはくれなかった。

思わず言葉を零してしまった口を抑えるように、彼女の白い指は口元に添えられる。


……いや、そんな事は今はどうでもいい。


問題は、これまでずっと魔糸を張り巡らせていたのにも関わらず、声をかけられたこの瞬間まで、カタリナは彼女の存在を知覚できていなかったということだ。

この女は何らかの方法でカタリナの知覚網を掻い潜って来たことになる。それも、極めて長時間に渡り。


己が体の主導権を得て、正しい意味でこの世界に生きるようになってから初めて出会う難敵に、知らぬ内に喉が鳴る。

一つ、思い当たる節がある。己がいずれ出会うであろう、その難敵達の名を。



「もしかして、あなたが『魔女狩り』でしょうか。……けれど、一人、なのですか? あなた方は複数人でしか行動できない小心者の集まりと聞いていたのですけれど」


「さぁ。私は同業者とは殆ど顔を合わせないから、そっちの常識はよく分からないや」


「盗み聞きなんて、行儀の悪い人」



ゆらりと壁から背を離す女。


纏う黒衣とエプロンドレスはメイドのそれであるが、これが使用人であるならば世も末だ。さらに、右目を覆った眼帯が異様な存在感を放っていた。

おそらくは、仮装舞踏会の参加者だろう。仮装舞踏会においては、道化と巡礼者以外の汎ゆる仮装が許されている。メイドの装いをした参加者が居てもそうおかしなことではない。


女はさも煩わしげに己の真白のエプロンを解いて捨てる。


無言で間合いを詰める女と、その気迫に気圧され後退りするカタリナ。

しかし女はカタリナに到達する手前――揺り籠の中の赤子を抱き上げると、そのまま傍らに打ち捨てられた夫人の半身を起こしてやった。

その様子は、まるでカタリナなど眼中にないといった素振りだ。



「……貴方、もう起き上がれる?」



ようやく意識を取り戻したらしい夫人は、必死に数度頷き女の問いかけに肯定の意を示す。



「そう、じゃあ子供を連れて馬繋場まで走って。そこに神殿の人間が待っているから治療を受けるといい」



その一連の遣り取りをカタリナは無言で見つめる。

否、それ以外の行動をカタリナは取れなかった。

恐怖か、困惑か、或いは罪悪感か――まるで金縛りのようにカタリナは身動きが出来なかったのだ。


夫人が我が子を抱きかかえ、よろめきながら走り去るのと同時に、女の視線が再びカタリナに戻される。


射殺すような冷たい一瞥。カタリナの索敵糸が、再びあの奇妙な感覚を訴える。女が何かをしているのはあまりにも明白だった。

……魔術、ではない。触媒はおろか、詠唱や短杖を振る素振りもなかった。

であれば。本当に、信じ難いことだけれど。

カタリナにはその女が自身と同類の怪物に思えてならなかった。


カタリナの緊張の一方で、アナスタシアは淡々とした声色で言葉を紡ぐ。



「意味のない質問だろうけど、聞いておく。神殿は魔法使いとしてのカタリナ・ミシェーレの保護を望んでいる。大人しく従うのであれば、貴方を魔法使いの一人として受け入れ身の安全を保障する。投降する気はある?」



提示された条件自体はそう悪くないものだ。

既に一度死したことになっている己は、復讐後は野垂れ死ぬ他ない。深窓の令嬢として育てられた己には市井で生きる力など何一つなく、社交界における居場所は既に完全に消失しているのだから。

魔法使いとして保護を受けられるのであれば、多少の束縛はあったとしても以後の人生は安泰と言えるだろう。


だが、今のカタリナにその質問はあまりにも愚問であった。

何故ならば、一度復讐鬼と成り果てた者が復讐を超えた明日(みらい)を案じ、思い描く事など万に一つあり得ないのだから。



「……神殿に従えば、第三皇子を殺すことはできますか?」


「できない。私がこの仕事を終えれば、神殿側は第三皇子をスヴェルタ皇帝として支持する契約になっているから」



つまり、この女はこう言う訳だ。

己の命か、復讐か――今ここで選べと。


意味のない質問。なるほど、この女の言い分は正しい。



「そうですか。では、交渉は決裂です。一度復讐を始めた者が、その程度の対価で復讐をやめることなどあり得ない」


「理解している。その覚悟に敬意と憐れみを。――では『異世界人』カタリナ。貴方の処刑命令が発令されている。大人しく刑を受け入れるでも良し、抵抗するでも良し。いずれにせよ、結果は変わらない」


「どうでしょうか。試してみればわかるのでは?」



身が沸騰するような錯覚。

復讐を邪魔された怒り、或いは殺戮を愉しむ悦び。何れにせよ、カタリナにはもうそれがどちらであるかなど区別はつかない。


女のエプロンドレスに連なる釦の列が、ぷちり、ぷちりと思わせ振りに解かれる。黒衣から露わになる白磁の肌に浮かび上がった黄金の亀裂。かくして、一際大きな裂け目から顕れる光の束は、やがて一つに収束し――



「長剣……?」



よく見る長剣のそれとは異なり、やや湾曲した刃。

片刃であるらしいその刀身の厚みはカタリナの知るそれより遥かに薄く、叩き斬る衝撃にはとても耐えられそうにない。

 


「贔屓にしてる鍛冶職人の試作でね、なんでも『日本刀』というらしいよ。使った感想が欲しいんだってさ。……そうだ、たしか彼も異世界人だと言っていたっけ」



初陣だよ、と女は幼気な少女のように微笑む。

水平に一閃した銀刃が、ただその一振で魔糸とカタリナの接続の尽くを断ち切った。

カタリナは、思わず渇いた喉を鳴らす。



「最後に聞かせてください。貴方は私と同じ……なのでしょうか?」


「……魔法使いかという質問なら、そうなる」



女は、宙を見上げながらそう答える。

……また、あの感覚だ。きっとこの女は今、何らかの魔法で不可視であるはずの――術者のカタリナでさえ見ることの叶わない索敵用の糸を見ている。

カタリナを守るように聳えるそれを、雨垂れのように蠢く金糸を、美しいと溜息を吐くように。

次の瞬間。雨垂れが己の首を狩る凶器に変わるその瞬間まで。



「そうですか、それは残念です。私たちは出会う場所さえ違えばきっといい友人になれたでしょうに。同胞を殺すのは本意ではありません。でも乱暴には不慣れですから……うっかり殺してしまったらごめんなさい?」


「そう。それじゃあ不慣れ同士、仲良くやろう」



嘘つき、とカタリナが呟くのと、女が走り出すのは同時だった。

この章は全11話の予定なのですが、本日もう1話更新するか迷い中です


それから皆様のおかげで日間異世界恋愛ランキングの下の方にちょろっと乗れたみたいです!本当にありがとうございます!このまま伸びてくれたら嬉しいなぁと願うばかりです……

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