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お飾り皇帝にはお似合いの仕事  作者: 花嵐
序 『復讐裁廷』

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5/24

5 Catharina〚1〛

カタリナ・ミシェーレ視点の話になります。

以後は主人公以外の視点の話のタイトルは英語表記にしようかと思っていたり……

カタリナは泥濘の中で目を覚ます。

泥だと思っていたそれがシーツであることに気づくまでに暫くかかった。



「ふ……」



肉体というものは、あの頃想像していたよりもずっと重たくて。これを人は『鉛のよう』と表現するのだろう、なんて考えて少女は微かな笑みを零す。

慣れない肉体。慣れない現実世界。

けれど、思い描いていたよりもずっと、それはなんだか悪くない。

ただ酷く――虚しくて、寂しいだけだ。

その原因は言うまでもなく、それが異常なのか普通なのかさえも少女には理解できなかった。


窓の外は酷い雨模様だった。

窓を叩く雨垂れの音が嫌に煩わしくて仕方がない。

起き上がる気にはなれず、けれどもう一度眠る気にもならず、半身だけを起こして少女は虚空を見つめる。


目を閉じれば、雨垂れの奥に微かに喧騒が聞こえる。

この控室から少し行った先の広間で開かれている夜会の物音だろう。選帝侯会議を間近に控えた今、諸侯は大雨にも憚らず今宵も社交に興じている。


今夜の仮装舞踏会は、これを愛した先帝を偲ぶと同時に主催たるガランサス伯爵の長子の生誕を祝うものであった。

まだ生まれて間もない吾子を抱いた夫人と、それに寄り添い歩くガランサス伯爵の姿は記憶に新しい。デビュタント前の、まだ生まれて間もない子供を連れて参加する――この異例の事態からは、ガランサス伯爵の愛妻と我が子への溺愛ぶりが見て取れる。



「本当に、不思議。他人をそれほど愛せる人間が、一方で人間の尊厳を踏み躙り嗤っていられたなんて……」



カタリナの記憶にあるガランサス伯爵は、主人である第三皇子と共謀し、長年カタリナをストレスの捌け口として暴行を働いてきた、人と呼ぶのも悍ましい怪物である。

騙され、奪われ、利用され、踏み躙られる。それがカタリナ・ミシェーレに与えられたこの国での全てだった。

かつて『カタリナ』だった少女は、その仕打ちを耐え忍び、やがて心を壊し、最後にはあのように使い捨てられた。


あの子は赦そうとした。

何度も、何度も、何度だってその善性を信じた。

いつか気づいてくれるはず。いつかやめてくれるはず。

正しいのは自分で、間違っているのは彼らで、だからこそいつか誰かが助けてくれるかもしれない。或いは神罰が。

そう信じて、二十と幾ばくかのあまりに短い人生を消費の末に終わらせられた。



「そう。赦すなんて方法が最初から間違っていたの」



そうでしょう?と虚無に変わってしまったあの子に語りかける。

改心、善性、公平、神罰――そんな無意味なものに縋った私たちが馬鹿だったのだ。

あの悪性を幾度も見てきたのに、希望に縋った私たちの落ち度なのだ。


だから、今度はもう間違えない。



「死ぬ、だなんて許さない。たった意識をなくすまでの数秒、絶望と苦しみの淵に立たされた程度で十分に罰を受けただなんて私は思わない。私は、私に与えられたのと同じだけの苦しみをアレらに返すの――」



そうして、今日がやって来た。

土砂降りの雨は気が落ち込むけれど、きっと絶叫を洗い流してくれることだろう。



今や間近に迫った復讐(みらい)を思い描き、カタリナは恍惚の笑みを浮かべる。

その甘い幻想から意識を現実に戻したのは、控室に向かい接近する人影を『魔糸』が捉えての事だった。

小さく身体を震わせ、その人物が自身の腹心の侍女であることを再認識し肩を撫で下ろす。身体の主導権を得てからこれまで、何度も魔法を練習してきた成果だった。


カタリナに与えられた魔法は単純明快で、魔力を糸状に形成した『魔糸』を自在に操るものだ。

カタリナにとってこの糸は一つの感覚機関であり、最大の攻撃手段である。

糸を触覚に変えて、人の動きから心拍、会話に至るまで汎ゆるものを感知する能力は、連続した空間であれば魔力が尽きぬ限りどこまでも張り巡らせる事ができる。ただし、壁や扉のような障害物を隔ててしまうと『魔糸』を張れないのが難点だった。

また、より強度の高い糸を織れば人体を断つ事も容易である。欠点を挙げるならばより強い糸、即ちより魔力を消費し物質化した糸は索敵用とは異なり可視化してしまうという点があるが、常人ではまず対応できない。


魔法は強力であるが全能ではない。否、もう少し練習する時間があればより使いこなせたのかもしれないが、それでは機を逃してしまう。その瀬戸際の時間設定が、今夜だったのだ。


そう暫くもせず、雨垂れの喧騒の中に遠慮がちなノック音が響く。



「お嬢様、お加減は如何ですか」


「問題ありません。そもそも控室に戻るための方便だったわけですし」



それは、そうなのですが――と、眉を曇らせる侍女。

恐らく、これからのことを憂いてのことだろう。

彼女の生来の心配性な気質が、カタリナには愛おしい。

この国にやってきて以来、カタリナの味方は彼女を含めた僅かな使用人のみであったのだから。



「例の手紙についてですが、返答があったのはヘンルーダ子爵のみでございました。」


「……そう。ヘンルーダ子爵は兄とは違って小心者だったものね。双子、双子と言っても根本は他人。同じ環境で育てられたとしても、本質的なところは違うのでしょう」



手紙とは、カタリナが最後の慈悲として送りつけた自白勧告のことである。己の悪事を悔い改め、それを公表するのであれば命を見逃してやる――そういった類の内容だった。


カタリナに心積もり許すつもりなど万に一つあり得ない。

――しかし。その『赦し』とはかつて共に在ったあの子の人生でもあるのだ。

それを真っ向から、何もかも否定するほどカタリナは落ちぶれていなかった。

だからもし、この最終警告で命くらいは助けてやろうとそう思っていたのだ。仮に命惜しさで口先だけの改心を行うのであれば、追って手を下せばいいだけの話、と。


だが、結果はどうだ。

第三皇子、ガランサス伯爵、ヘンルーダ子爵の3名に同様の手紙を送りつけ、実際に悔い改めたのはたったの一人。


やはりあれは人のカタチをした、悪魔だったのだとカタリナは舌舐めずりする。

悪魔であるならば、やはり残酷な復讐が似つかわしい。

これでようやく気兼ねせず、アレを絶望の淵へ追いやることができる。


カタリナは緩んだ口元を隠す素振りもなく、傍らの侍女の手を優しく掬い上げて言った。



「ここまで長い間付き合ってくれて、ありがとう。貴方の親愛と奉仕に心からの感謝を。私はこのまま、復讐の鉄槌をあの悪魔共に下します。その場に貴方が居れば、要らぬ迷惑を被らせてしまうでしょう。既に御者には話を通しています、このまま乗り込み祖国へ戻ってください。僅かではありますが宝飾品と路銀を馬車内に用意していますので、どうかそれを受け取って。それで、貴方の仕事は全て終わりです」



侍女の瞳には多くの葛藤が浮かんでいた。

主人を一人で死地に赴かせること。主人の復讐を止められない弱さ。そしてこれまで何もできなかった己への怒りと後悔。

しかし、彼女はその全てを受け止め、呑み込み――最後に「ご武運を」と祈るように呟いて主人の命令を全うした。




カタリナはその背を見送って、その場を後にする。

広間を迂回し、人質候補――ガランサス伯爵夫人と赤子の居る控室を探し始めた。

『魔糸』で障害物を超えま探知ができない事実がいたく歯痒い。こうなると、カタリナは一部屋一部屋巡って、人質候補を探さなくてはならなかった。


一つ。二つ。三つ。――外れ。

四つ。五つ。六つ。――外れ。


そうして七つ目の扉に手をかけた時、索敵用の糸が人影を捉えた。

運が悪いことにこの廊下はその構造上、逃げ込む場所がどうにも見当たらない。

部屋に駆け込むほどの猶予もなく、カタリナは瞬きの逡巡の末、口止めを決意した。



「――お客様? どなたかお探しですか?」



気の良さそうなメイドが、気遣わしげに声をかける。

カタリナは返答のかわりにその胴に魔糸を巻き付けると、そのまま吊り上げるように壁に叩きつけた。

咄嗟のことで受け身を取る暇はおろか、衝撃に耐える時間もなかったらしいメイドは、大きな衝突音と共に意識を手放した。



「あ……」



そんなに騒がしくするつもりではなかったのに、とカタリナは感嘆を零す。

殊の外、加害に長けたその魔法をカタリナは見くびっていたのだ。

当然、物音に気づいた兵の姿が索敵用の糸にかかる。



「(やはり、全てここで眠っていただく他ない、ですよね……?)」



そうして少女は、今度は極めて慎重に、迫りくる魔糸をその首に括り付けて吊るした。

そうすれば、今度はどんなに手足を動かそうとも物音一つ立てず無力化することができる。ぶらりと天井から垂れ下がる人体。藻掻きに合わせてくるくると動くさまはどこかモビールに似ていた。

兵士たちに発声の余地は残されて居ない。そうして呆気なく、彼らは一人また一人と驚愕と苦悶の表情を浮かべ意識を手放した。



「……なんだ、こんなに簡単だったんだ」



それは、あまりにも無垢な感動だった。

指先が歓喜に震える。早鐘を打つ心臓に、上手く息を吸うことができなかった。


はじめからこうしていれば、殴られることも蹴りつけられることもなかった。

冬の湖に叩き落とされることも、這い上がろうと藻掻く頭を水面下に沈められることもなかった。

こうしていれば、あの子が死ぬこともなかったのに。


腹の底に蠢くこの激情が、怒りであるのか殺戮への高揚であるのか、少女にはわからない。

わかる、わけがない。

けれどその口元は確かに――彼女に暴力を振るったあの時の男たちと同じように、歪んだ弧を描いていた。

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