4 妖精憑き
『妖精憑き』
神々の悪戯により、一つの体に異世界人の魂と本来の所有者の魂の2つが存在して生まれてくる事例、その古い呼称。
神殿の定義によれば魔法を扱う人ならざるものを幻想種と呼び、そのうち人類に友好的なものを『善性幻想種』と、一方で人類に仇なすものを『悪性幻想種』と区別している。
異世界人は人のカタチをしているが故に『人』と呼ばれるが、定義上は人類ではなく幻想種である。
異世界人はこちらとは異なる文明と知識を持ち、しかし魔法を与えられ、この世界の常識に縛られることのない存在だ。これでは人と呼ぶ方が難しい、というのが神殿側の所感らしい。
このようなことから、異世界の存在を知り得ぬ太古の人類は『妖精』と表現したのだろう。
「問題はここからでな、このような『妖精憑き』は神々の祝福により生まれながらに『魔法』が扱えるそうだ」
そう語るエムリス卿の表情はいつになく苦々しい。
『魔法』は魔術とは一線を画する神秘だ。
魂に刻まれた技能、或いは運命とも。
神々から与えられた特権。唯一無二の奇跡。
幻想種の存在そのものや扱う神秘、或いは人間のうち魔法使いらが操る奇術がこれに分類される。
魔法とは人智未踏の神秘であり、魔術とはこれを理想とした模倣品である。その効力は最低位のものでも優に魔術を上回る。
ただし、神秘と呼ぶように原理が解明され周知されれば、途端にそれは能力を失くしガラクタへと成り果てる。故に『魔法』と。
とはいえその欠点を含めてもなお脅威は依然として高く、数百数千万の人間の中で魔法を扱えるのはごく一握り。帝国内に限れば両手にも満たない程度だ。
そして何より厄介なのはこの魔法使いは外側からは通常の人類と区別できない点にある。常日頃関わっている知人が実は一国を滅ぼせる魔法使いだった、なんてことも理論上はあり得るわけだ。
このような脅威性から、多くの国では自国内の魔法使いを積極的に保護する政策が取られている。それは魔法使いを守るためであり、国民を守るためであり、同時に貴重な戦力を他国に奪われないようにするためでもある。
「一つの肉体に、二つの魂が……その場合、体の主導権はどちらが握ることになるのでしょう?」
「大抵は本来の体の所有者の方だとされているな。身体と魂の結びつきはそう甘くはない。受け入れる魂が一つ増えた程度で緩むようなものでもなかろうよ。そういう理由で、妖精憑きは判別が難しい。オレも長く生きてきたがこのような例は初めて見た」
「……人斬りならお断りですよ、趣味じゃない」
「まさか。なに、我々だって戒律違反はお断りだとも」
笑う翁に私は眉を曇らせる。
殺す対象が異世界人にせよ、人間にせよ、やはり肉体ごと殺す他ないのだから、片方だけを殺し片方だけを生かすなんて芸当はできないのではないか。更に言えば異世界人と殺し合うならまだしも、ただの人間を殺すのは趣味ではない。
幻想種殺しが専売特許の私と言えど、魂だけを殺し肉体だけを生かすなんて芸当は持ち得ていないのだ。
それを、この男は「可能である」と言う。
疑問の渦中に取り残された私を他所に、エムリス卿は言葉を続けた。
「今回の監査対象は、既に一度死んでいるからな」
「――え」
聖典の読み過ぎで気でも触れたのだろうか。
或いは死体いじりでもさせる気か。
当然、死んだ人間が生き返るなどそうありえない。
それこそ神の奇跡か、魔法でもなければ――
そう言いかけて、ようやく気がつく。
やはり朝は良くない。こんな簡単なことにさえ気付けないのだから。
「魔法だろうな。何でも葬儀のために一度棺を空けたら、その時には既にもぬけの殻だったと。神殿側でも、二つあった魂の反応の内片方が消滅していることを確認している。本来の体の持ち主は、肉体の殺害により既にこの世を離れたのだろう。となれば、あとに残るのは『妖精』――異世界人だ」
それはまたなんて面倒で厄介で心躍る敵だろうか。
心なしか、指先も躍る。
「それで対象の名前はなんでしょうか。まだ帝都にいるのですか?」
「恐らくは。彼女の名前はカタリナ・ミシェーレ――第三皇子の元婚約者、だ」
「……それはまた」
もう第三皇子の名前は暫く聞きたくないのだが。
眉を曇らせるこちらの様子に、翁は酷く愉快げな笑顔を返し、こちらに茶封筒を投げて寄越した。
やや厚みのあるそれは、どうやらカタリナ・ミシェーレに関する調査書類であるらしい。背格好から近日の動向、出自や人間関係、果ては異世界人と凡人の魂の波長の違い、なんてものに至るまで詳細に書き付けられている。
カタリナ・ミシェーレ。
先に紹介されたように、第三皇子の婚約者としてこの国にやってきたミシェーレ国の姫君である。そして同時に、第二皇子と第三皇子の帝位争いの最中に急逝した人物でもあった。
先帝は彼女の継承するフォトルバーグ港の利益を見込んでその婚約を結んだそうだが、第三皇子としてはそれは納得のいかないものであったらしい。
なにせ彼は先帝や2人の兄の存命中から帝位を狙っていた、筋金入りの野心家だった。帝位を本格的に狙うのであれば、選帝侯家の姫君を婚約者に迎える方が効率がいい。
かくして彼は先帝に、また神殿にこの婚約の破棄を申し立てていたがいずれも棄却されたと聞く。
その死因は表向きは事故として処理されているが、社交界では「権力争いの中で、第二皇子に殺されたのではないか」とまことしやかに囁かれているらしい。第二皇子が第三皇子の最大の後ろ盾を潰したという憶測は、無謀な話ではあるが理には適っている。
しかしこんな始末であるために、一部の貴族の間ではカタリナ姫の死因は第二皇子の差し金ではなく、第三皇子が直々に手を下したのではないかとも噂されている――いつの日か父上はそう語った。
「対象の動向はある程度こちらで調査済みだ。どうやら古い縁を頼って、今夜のガランサス伯爵の仮装舞踏会に参加する心積もりらしい。詳しい話と招待状はその書類の中に挟んである」
「今までずっと姿を隠していたのに……」
ペラペラとページを捲りながらそうぼやく。
死者蘇生がいかなる絡繰かは会ってみないことには分からないが、少なくとも以後失踪しているということは隠し立てしておきたい理由があるのだろう。
そして、そんな人間がまた表舞台にやってくるということは、間違いなく事態が動き始める合図だ。
「そうだな。むしろ姿を隠せる仮装舞踏会を選んだのかもしれん。第2皇子の婚約者との接触も報告されているが、これはお前の仕事には関係のない話だな。……ああ、そうだ。追跡を任せている密偵からは『今夜、復讐に踏み切るだろう』と報告を受けている」
「復讐?」
「ああ、お前はあまりこちらの事情には詳しくなかったか。カタリナ嬢が孤立無援なのをいいことに、第三皇子とその取り巻き――ガランサス伯爵とその双子の弟、ヘンルーダ子爵が、彼女に暴行を行っていたらしい。彼女の殺害もあの三人の犯行だと仮定すると、十分にあり得る話だろう」
それって国際問題なのではと苦い顔を浮かべると、あちらもそれに呼応するように深い溜息を吐いた。
「言っただろう、あれはとても王の器ではないと。我々としても、仇討ち程度であるのならば黙認するつもりだったが――そこから5ページ分捲ってみろ」
言われた通りにページを捲る。指定されたその書類にはリスト形式で氏名が書き連ねられていた。
そのページの記載が事実であるのなら、これからカタリナが実行するのは、復讐対象に何か危害を加えるのではなく、また己の受けた辱めを公表するのでもないということになる。
どうやら彼女は、復讐対象の周囲に対して危害を加え追い詰めていくつもりらしい。
「三日前、ヘンルーダ子爵の元に手紙が届いた。差出人の言うことには『三日以内に己の罪を悔い改め、公表しないのであればお前の親しい者に危害を加える』と。差出人は言うまでもなくカタリナ・ミシェーレだろう。おそらくになるが他2名の元にも同様の物が届いているはずだ」
「神殿がその情報を掴んでいるということは、ヘンルーダ子爵は近い内に公表を行うのでしょうか?」
「ああ。当人もその方向で進めているようだ。だが、ガランサス伯爵と第三皇子はそうはいかないだろうな。……伯爵は勿論、まして第三皇子ともなれば危害を加えるのは難しい。実に現実的な報復ではあるが……神殿としては容認できない。復讐が黙認されるのは、与えられた苦しみと同等のものを当事者に返すからだ。他を巻き込むつもりであるのなら当然止めてやらなくてはならないだろう」
今のカタリナでは、第三皇子、並びにガランサス伯爵とヘンルーダ子爵に実害を加えるのは難しい。むしろ脅迫状を理由に、警護を固めている可能性すらある。
当然他の貴族らは、死んだはずのカタリナの訴えを聞き現在の権力者を糾弾するよりも、死者の戯言と黙認しようとするだろう。まして相手は次期皇帝とその側近なのだから尚の事だ。
そうなれば法的な手段で復讐を行うのはあまりにも現実的ではない。
故にカタリナが連中に一矢報いるためには、無防備な状態で誘き寄せ実害を加える他ない。
そのための人質候補があのリストに書き連ねられていた人々なのだろう。
「そうなると仕事内容は殺しですか、それとも保護でしょうか」
「保護が一番理想だろうな。どのような魔法であれ、人格であれ、損なわれるのは惜しいものだ。だが少しでも抵抗するようなら殺してしまって構わない。……ああ、この際だ。壊してしまっても構わないぞ」
殺し合いの許可自体は望ましい条件である。
下手に加減すれば命が危ういのはこちら側だ。
だが、それにしてもいつになく強気な神殿の判断に思わずそう疑問を零す。
神殿は冷酷だが残酷ではない。救えるものは救いたいし、繋げる手は繋いでおきたい――それが魔法使いであっても、異世界人であっても。それが神殿の在り方だと理解していたものだが。
「異世界人というのは我々の常識が通用しないのだ。そもそも持ち得ない、というのが正しいか。言葉通り、異なる世界に生きた者の魂だからな。そして大抵、彼らの常識は我々の常識と適合出来ない。神殿が観測した限り、彼らの行動はいつも最終的に文明に破滅を齎す。既に幾つも前例のあることだ。例えばそうだな……先の戦争を覚えているな? イヴァン・フォーサイスが英雄になったあの戦争も、異世界人が主導した革命が事の発端だ。お前さんも記憶に新しいだろう?」
「それは、まあ。あれは復興にかなりの時間がかかりましたから」
「あれと同じことが異世界人が現れる度に発生している。であればあれは我々と同じ『人間』ではなく、排除すべき人類の敵だろう。故に、少しでも抵抗を見せるなら殺してしまうよう神殿法に定められている」
従うならばそれでよし。そうでないなら排除する。
それはどこか、かつて自分が立たされた状況とよく似ていた。
理不尽ではあるが、それは社会という秩序の当然の理だ。現体制に従えない爆弾は、ただ危険であるからという理由で処理される。力なき人々を守るために、或いは既得権益のために。かく言う自分も、そのように審問をかけられて服従を選んだ側だ。
だからもし殺し合いに発展するとなれば、それはもう互いに生きるための戦いだ。
あちらはこの世界を受け入れず、ただ自分を歪めぬまま在る為に。
こちらはその秩序を受け入れ、ただ自分の価値を証明し続ける為に。
そこに善悪は無く、責任も無い。正しさは己の力量で証明しなくてはならない。
だから何も憂うことはない――そのはずなのに、己のやる気がゆっくりと削がれていくのを感じる。
胸の奥は高揚で蕩けるようなのに、相対して酷く冷めきった理性。
それもそのはず、私は未だ『異世界人』なる存在を怪物として認識できていない。
「(……困ったな)」
こんな油断で致命傷、なんて笑い話にもならない。
簡単な話だ。あちらが神殿の提案に首を縦に振ればいいだけの話。むしろ、従わない理由の方がないだろう。
先に異世界人が起こした大災害は記憶に新しい。
それだけの爆弾が自由に動き回る事を、貴方は見過ごすわけには行かないでしょう――?
そう自分に喝を入れてみるがやっぱり気分は晴れないままだった。
「……っと、もう行くのか? 性急な事だ、そんなに暴れたかったのか」
「はい――いいえ。あまりじっとしてると恩を売ろうとしてくる輩がいるので」
それなら、外を彷徨いていた方が幾分かマシだろう。
或いは少しくらい動き回れば気分も晴れるかもしれない。
エムリス卿はそんな私の返答をいたく気に入ったようで、それは上機嫌そうに目元の皺を深める。
「そうか、では健闘を祈る。報酬は選帝侯会議での第三皇子への投票でいいのだな?」
「はい、よろしくお願いします」
「……お前も、変わり者だな」
アンブロシウス大神殿長はそれ以上は追求しなかった。
それはこちらを理解してのことだったのかもしれないし、或いは駄々を捏ねる子供を優しく見守っているだけのことだったのかもしれない。いずれにせよ、私には詮無いことだ。
「そうだ、アナスタシア。もしカタリナ姫がブローチを持っていたら回収しておいてくれないか」
「ブローチ、ですか?」
「ああ、灰緑色の魔石のだ。あれは先帝からカタリナ姫に貸し与えられたもので、装飾品であると同時に周囲の映像を記録する魔術具でもある。記録が残っていれば、カタリナ姫が受けた暴行や殺害時の証拠品になる。ただ、カタリナ姫の失踪以後行方知れずでな、恐らく持ち去られているのだろう」
「なるほど、気にかけてみます」
私は茶封筒を片手に、元来た扉を押し開ける。
一歩廊下に踏み出したところで、はたと思いつきアンブロシウス大神殿長を振り仰いだ。
「そうだ。アンブロシウス大神殿長も今夜の仮装舞踏会においでになるでしょう? もしそうなら、伝言をお願いしたいのですが」
「それは構わないが、今オレに頼み事をするなら、見返りにこちらの要求を呑んでもらうかもしれないぞ。帝位とか帝位とか、あと帝位とか」
「……すみません今のナシで!」
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