3 お嬢さんは山へおつかいに
スヴェルタ大神殿は、この帝国における信仰の中心である。
建国以来の歴史を持つこの神殿は、初代皇帝の時代より戴冠式が執り行われる由緒正しい神殿であると同時に、旅人と国民に愛される地域に根ざした施設だった。
特に正門を通り抜けてすぐの聖堂にあしらわれた、花を思わせる壮大なステンドグラスは幼年期からのお気に入りだ。
ただし今回の目的地はこの聖堂ではなく、より奥――神官たちが寝泊まりする宿舎にある。
早朝だと言うのに足繁く通う敬虔な信徒を横目に、私は歩みを進める。
そうして人の波を外れ歩を進めていると、不意に背後に響いた鳥の羽撃きに空を振り仰いだ。
――猛禽類。
一対のアシンメトリーが頭上を悠々と旋回する。
ふと思い立って腕を差し出してやると、そのコチョウゲンボウは幾度かの羽ばたきをもって私の腕に止まった。
野生ではないことははじめから知っていた。これが先ほどから私を追いかけていたことを承知済みだ。首からかけた神殿の紋の刻まれたペンダントが、彼の羽繕いの動きに合わせてちりちり揺れる。
「こんにちは、アンブロシウス大神殿長」
私の呼び声に応えるように、コチョウゲンボウはその白とも黒とも思える嘴を開く。
「ようこそ、大公女。朝から敬虔なものだ。神殿は、救いの手を求める信徒を決して見放さない。――その信徒の正体が、魔法使いであったとしても」
私はその煽り文句に答えない。
「……このままそちらに向かっても?」
「ああ。話し合いはミサの時間までに終わらせよう」
たった数往復の遣り取りを終え、コチョウゲンボウは再び空へと戻っていく。
先導するように空を駆るその後ろ姿を眺めながら、私は神殿の奥へと足を踏み入れた。
宿舎棟はその権威を保つ一方で、聖堂の装飾に比べ清貧さを思わせる質素な造りとなっている。それは宿舎棟の最奥、大神殿長の書斎もまた同様だ。黒壇の大扉を前に私は自覚もなく息を零す。
始めてその扉を叩いた日のことを思い出す。
人の身でありながら『魔法』なる奇術を扱う異端――魔法使い。
そうは言っても自分の場合、魔法は先天的なもので「お前は魔法使いなのだ」と言われてもあまり自覚はない。
人間は主観でしか世界を測れない。故に異常者は自身が異常であることを自覚できない、と言うやつだ。
私の場合は更に与えられた魔法が攻撃性を持たないものだったことが災いし発覚が遅れた。
それが、ようやく年齢が二桁に上がろうとする頃の話。
生まれた時から何一つ変わらないのに、ただ魔法が使えると発覚したというだけで、私に与えられたラベルは凡人から魔法使いになってしまったのだ。
幸いなことに、私の生活はそう大きく変わりはしなかった。神殿の監視下に置かれながら、時たまこうやって神殿から指示される依頼をこなす。それは私が大公領で迷宮に潜り、魔獣を狩る作業と何ら変わらない。
大公女に魔法使い、おまけに次期皇帝候補なんて我ながら設定盛りすぎというかなんというか。
むしろこれ以上の称号なんて勘弁願いたいというか。
「……でも、それが現実だ」
思わず頭を抱えたくなる衝動をぐっと抑えながら、私はその扉を強く叩いた。
暫くもせず、扉越しに入室許可の声が響く。
扉を押し開けると、一陣の春風が頬を撫でた。
どうやらバルコニーに面した硝子窓を開け放っているようで、舞い込む風に誘われて柔らかなカーテンが中に身を躍らせる。
書斎の内装は部屋の主の性質を示したように清貧でいて、上品さを感じさせる。
長く働き、手入れされた書き物机。滑らかな椅子。
机の傍らにある止まり木には先のコチョウゲンボウが止まり、熱心に羽繕いをしている。
無駄な物は一切排除されていて、しかし生活の温かみの残る空間。
アンブロシウス・エムリス・クラークという男は、そういう翁だった。
「来たか、予想よりも早かったな」
革張りの椅子に腰掛け私を迎え入れた好々爺は、それは愉快げに笑う。
彼こそが、アンブロシウス・エムリス・クラーク。
スヴェルタ大神殿の神殿長にして、7人の選帝侯の内の一人。大陸を統べる神殿の枢機卿の号を冠する聖職者。魔術卿の異名を持つ魔術研究の第一人者。
言うまでもなく、この世の権力をこれでもかと煮詰めたような御仁だ。
そして何より、神殿における『魔女狩り』の統括者――つまるところ私にとっては直属の上司に当たる。
『魔女狩り』はかつては魔法使いを排除するための組織だったが、今はその在り方を変え、魔獣を始めとした人類の脅威となる存在――『悪性幻想種』を狩る事を目的としている。
神殿に保護された魔法使いがこの組織に運用されることはそう珍しいことではなく、私もまたその一例だ。
「ふ…………それにしてもお前さん、麻袋はないだろう! 詰めるあちらもあちらだが、大人しく麻袋に詰められる大公女だなんて聞いたこともない。はあ、本当にお前さんが帝都に居ないことが口惜しいな。こちらに移り住めば毎日愉快で退屈しないだろうに……」
このように、急激に帰りたくなるアナスタシアちゃんなのだった。
「お前を運搬したあの男は……たしかイヴァン・フォーサイスだったか。先の戦争の報償に新大陸の辺境伯領の統治を任せられた、聖火戦争の大英雄。お前たちが旧知の仲だとは思わなかったぞ」
「彼は大公家の傍系の出なので。父が彼の武才を買って、面倒をみていたんです」
「ふむ。となればお前が魔法使いであるという話も知っているのか?」
「うーん……特段説明したこともないですし、説明を求められたこともないのでなんとも。父が話していれば知っているんじゃないでしょうか。神殿から依頼を受けていることは話しましたが……」
生憎こちらは時間との勝負であり、口惜しいことだがお喋り好きの好々爺の世間話にそう長く付き合っている暇はない。そのため、努めて簡潔に説明する。
「……それで、『おつかい』の内容はなんですか?」
「ああ。今回は随分と変わり種でな。上手く行けば、存外お前好みかもしれん。なにせ、今回の調査対象は『妖精憑き』だそうだからな」
「妖精憑き?」
「ああ。最近はこう言った方が伝わりやすいだろうか――異世界転生者、或いは憑依者と」
だいぶ用語が混み合ってきました。
次回、覚悟してください。




