22 不幸は蜜の味
今回前半部はイヴァンの視点、後半部はアナスタシアの視点のお話になります!
さて。時は少し遡り、エミリア達に罠を仕掛けた日からちょうど3日が過ぎた頃の話である。
本日のイヴァンは、世にも奇妙な臨時休暇を味わっていた。
というのも、護衛対象であるアナスタシアが急遽神殿に出向くことになったためである。本来ならば同行するべきだが、他ならぬアナスタシアの提案で一日ではあるが臨時休暇となった次第だ。曰く「働きすぎ」とのこと。
「(働きすぎったってな……別に戦闘があるわけじゃねぇし、むしろ欠伸が出そうって言うか)」
特にやりたいこともなく、しかしただぼんやりと時間を浪費することを疎んで、イヴァンは回廊へと繰り出た。
アナスタシアの周囲は盗難、毒殺、政治的な駆け引きなど話題に事欠かないが、一転してイヴァンの職務にはあまりに代わり映えがない。
朝アナスタシアを叩き起こして、仕事をする彼女の背後で警護を行い、空き時間には城の兵士に訓練をつける。その繰り返し。良く言えば平穏、悪く言えば退屈だ。
いっそ刺客の1人や2人くらい送り込んでくれればいいんだが、とイヴァンは欠伸を噛み殺す。
日々は薄ら寒さを感じるほどに穏やかに、かつ淡々と過ぎ去っていく。澱んでいる、とも言う。末恐ろしい、とは少し違うが似たようなものだ。
護衛、社交界、戴冠式の準備。やるべきことは山積みだが、これと言った障壁はない。
従って、目下の問題は――
「ふふ、聞いた? あの女、昨日も護衛騎士を部屋に招いて朝まで遊んでいたそうよ」
「やだぁ! 皇帝になってまでやることが男遊びとか、これだから南の蛮族は嫌だったのよ! 宝石を買うとかドレスを買うとかそういうのならわかるけど、ねぇ?」
「ふふ、流行りの服も知らない田舎者ってことじゃない? それとも政治も財政も握らせて貰えないから、虚飾の権力で八つ当たりしてるとか? ……そうそう、何でも皇帝陛下は臣下への八つ当たりが酷いんですって。なんでもこの間は紅茶が温いことに腹を立てて侍女を殴り飛ばしたとか!」
「え! それ本当?」
「本当よ! だって侍女のエミリア様直々に聞いたんだもの。エミリア様も、皇帝の我儘ぶりには辟易してるって、このあいだお手伝いに呼ばれた時に言ってたわ」
…………これである。
宛のない散歩の先で出会ったメイド達。彼女らは掃除の手を止め、箒片手に人目も憚らず盛んに主人の陰口を叩いている。なんと大胆な犯行だろう。彼女に気付かれれば、あっという間に諸共首が飛ぶ――比喩的にも物理的にも――というのに。
これですら、前回の社交界で喧嘩を売ってきた青林檎達には及ばないが。
「(確実に広められているな……)」
……ちなみに、昨晩は執務室で別れているのでアナスタシアの部屋には同行していない。更に言えば、アナスタシアという人間はとても聖人君子とは言い難いが、流石に彼女たちの噂する程は極悪非道我儘悪逆ではない。
紅茶が温い程度で手をあげる、なんてどこから湧いて出たのかも分からぬ幻想だ。
噂の快楽には、事の真偽はそう重要ではないということだろう。
「(……はぁ、しかも噂の出所はエミリアか。これはまた面倒な)」
曲がりなりにも皇帝、引いては惚れた女の悪口を聞くというのは気分が悪い。だが、だからといって飛び出して弁明するのもなんか違うか、と曲がり角に潜む。
人気のない離宮であったのが幸いして、イヴァンの奇行を見るものも、彼女らの噂話を遮るものも存在しない。
腕を組み、壁に凭れ掛かりながら耳を澄ませば、彼女らの会話がはっきりと聞こえた。
「それにしても毎日毎日よく飽きもしないわね、あの女! 今日も神殿に行くとか言ってたけれど、そんな人間が大神殿長様と懇意にしてるとか絶対嘘よ! 花街にでも遊びに行ったんじゃなぁい?」
「ふふ、そんな淫らな女なんですもの。もう人間ではなく悪性幻想種にでもなっているんじゃない?」
「私知ってるわ、確か白面金毛の狐……だったかしら? 男を誑かして国を傾けた九尾の妖狐よ」
「やだ、あの女狐にそっくり! ……あ、もしかして悪魔祓いのために呼ばれたのかも!」
……話が飛躍しすぎて、もはや人ではなくなっている。
1週間もすれば邪神にでもなっているんじゃなかろうか。
何はともあれ。ひとまず、怖いもの知らずの顔を拝んでやるかと目を凝らしたところで、イヴァンは言葉を失った。
輪の中心に居るのは栗毛色の髪の少女。いかにも楽しげな表情で言葉を交わしていた彼女は、メイド達の中でただ一人、イヴァンの視線に気が付き顔を強張らせる。その蒼い瞳は、悪戯がバレた子供の表情に似ていた。
特徴的な銀髪は栗毛色の鬘に覆い隠され見る影もないが、顔立ちに声、何よりその蒼い瞳を幼馴染のイヴァンが見間違えることはない。
「……んな、馬鹿な」
そこには、今日は神殿に居るはずの――己の休暇の原因である人物が、自身の悪口を広めていた。
***
その悪口の輪に私が――アナスタシアが遭遇したのは、本当にただの偶然だった。
神殿に行く、なんてのは他の使用人達の目を欺く口車で、実際は調査から戻ったクラーラの報告を聞くために城下に出る予定だったのだ。
城に戻ってきてからでも問題ないが、どこに耳があるかは分からない。それならば、城下の飲食店などで会話をしたほうがよっぽど安全だと言うのが事の成り行きだった。
クラーラとの約束の時間は昼過ぎ。時間には随分余裕があるからと、使用人の格好に変装した私はそのまま城下をみて回る心積もりであった。
そこで、遭遇したのがこの集まりである。
当初は何でもない顔でそそくさと通り過ぎる予定だったが「ね、貴方もそう思うでしょ?」などと声をかけられてしまえば無視するわけにもいかない。
曲がりなりにも王の御わす居城、見知らぬ顔のメイドがいても彼女たちは特段疑念を抱いたりはしないらしい。否、そもそもこの城の抱えるメイド全ての顔を覚えるということの方が無理がある。
そんなわけで、退屈潰しがてらメイド達の輪に入っていたというのが事の顛末である。
お陰様で着実に悪女街道を駆け上がっている。
「自分の悪口を自分で言いふらすとか、どんな度胸してんすか。ほんっと、アンタの図太さには敬服しますよ」
「いや……でも結構癖になるよ、これ……!」
「なるな、やめろ」
後はご存知の通り、見知らぬとはとても言えない視線に気が付き、「もうすぐ時間だから行くわ」なんて言い訳をしてこれまたそそくさと輪を抜けた――ところをひっ捕らえた、そんな次第である。
「こほん……別に、私は悪口の輪に参加してたけど、私が積極的に広めているわけじゃあないし」
確かに悪口の輪に参加していたが、新しく何かを広めた訳では無い。あくまでエミリアの流した噂に私が乗っただけだ。
ヴィヴィアン曰く、先の暴力の話に限らず、放蕩皇帝な噂は王城の使用人達の間でのみ盛んに交わされている噂であり、社交界の令嬢達の界隈には広まっていないらしい。ということは、放蕩皇帝なんて誹謗中傷を流布している人間がこの王城の中にいるということだ。
その噂が城内にそんな話が流れ始めたのは、件の社交界の事件以後の話である。仮にあの社交界の一件が発端だとすれば、犯人はあの場に居た人物――その筆頭はエミリアだ。
ただし、どれもこれも根拠のない話。更に言えば、犯人を特定したところで大した利益は得られない。
出処の特定に本気になる気はない以上、この話題はあまりにもこちらに分が悪い。
私はそう判断して、さりげなく話題をすり替えるのだった。
「と、ところで今日は臨時とは言え休暇でしょ? こんなところで貴重な休みを浪費してる暇はないんじゃない?」
「ええ。どこかの誰かさんが『せっかくの休みなんだから稽古とかは禁止ね、それ仕事だから』とか言いやがったせいで俺の貴重な趣味がないないしちゃったので、油売り放題ってわけですよ」
……言った。確かに言った。
けれど、これは私にのみ非があるわけでもないだろうし、と意地を張って謝罪はしなかった。
私の沈黙を良いことに、イヴァンは腹が立つくらい素敵な笑顔でこちらへ迫る。
「あーあ、趣味なくなっちゃったからなー。これじゃどっかで副業するくらいしかできることないなー? そうだな、城下までの護衛とかうってつけなんだけどなー?」
イヴァンは 仲間になりたそうに こちらを見ている!
「ん。時間外勤務手当は大して出せないよ」
「いくら出します?」
「……コインいっこ」
私はそう笑ってピンッとポケットから取り出したコインを指先で弾く。それを危なげなく受け取ったイヴァンは、表面を指の腹で撫で、顔を顰めた。
その怪訝の理由は恐らく、そのコインに描かれた模様が市場に流通しているものと大きく異なっている為だろう。
「……なんですこの硬貨?」
「即位記念硬貨……の試作。昨晩届いた見本品の3枚のうちの1枚。レア物だよ」
「でもまだ使えないじゃないですか」
「……記念硬貨は物品交換じゃなくて記念のために使うものだよ」
こうして、イヴァンが 仲間に加わった!




