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お飾り皇帝にはお似合いの仕事  作者: 花嵐
第一章 『無知迷妄』

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21/24

20 Heartache




「……いい加減にして」



唐突な糾弾がエミリアの背を貫いた。

深夜、人も世界も眠りについた片隅。息をするのも憚られる静寂の中、王城の回廊で相対した義姉妹(ふたり)の視線が交差する。



「……何の話?」


「皇帝陛下の私物を盗んだ件についてよ」



ナタリアのはっきりした物言いに、エミリアはああと頷いた。

連日連夜――と言うほどではないが、それに似つかわしいスピードで発生している盗難事件。ナタリアはこれに関して文句があるらしい。

エミリアは不思議と己の口角が吊り上がるのを自覚した。



「ああ、それのこと。なぁに? 負け惜しみ? それとも出し抜きたいのかしら。ふふ、これ以上私に先を行かれると困るのは貴方だものね。お父様は実力主義のお方だから、不要なものはあっという間に切り捨てられてしまうわ。貴方も慌ててドレスを盗んだみたいだけど、私の方が上手くできた」



父――ミュゲ伯爵は、娘達を宮廷に送り出す前にいくつか命令を出していた。その内容は宮廷で得た情報を生家に送る普遍的な事から始まり、果ては皇帝への嫌がらせについてまで種々雑多だ。


此度の盗難もまた、ミュゲ伯爵直々の命令である。

義姉(ナタリア)が自身と同じ命令を受けていたとは知らなかったが、それは自身以外の盗難事件――即ちドレスの盗難が証明してくれた。


父は我が娘であろうと使えぬものは切り捨てる冷血漢(ひとでなし)である。

それでいて、こんな小物なことを? と思うだけの余地など、エミリアは初めから持ち得ていなかった。

望まれたことを望まれたように、それがエミリアに求められる唯一の機能だったからだ。



「ま、ドレスが大きすぎるせいで騎士たちに見つかってしまったわけだけど、貴方の立場も分からなくはないからそこは許してあげても――」


「……驚いた。本当に何も知らないのね、貴方は」



軽蔑でも侮蔑でもない。まして糾弾ですらない。

ただ驚嘆と哀れみが滲むだけのナタリアのその声色に、エミリアの吊り上がった口角が強張る。



「……何の話よ」


「あのドレスには毒針が仕込まれていたの。時間がなくて確認できなかったけれど、もしかしたら他のドレスにも。私は殺人に加担するなんて真っ平ごめんだわ。皇帝への叛逆であるというのなら、尚更」


「え――?」



零れた声のあまりのあどけなさに、エミリアは二度驚く。

……そんなの、知らない。聞いていない。


けれど、とエミリアは思い直す。

父が自分に計画を知らせないことなどいつものことでしょう、と。

或いは今までそれで全て上手くいっていたじゃない、と。

そう正当化してみても、背を走る酷く不快な予感は消えてはくれなかった。



「貴方が窃盗の主犯なのは予想がついていたから、毒針の方も貴方が犯人だと思っていたのだけれど――まさか仕込まれている事実すら知らなかったなんて」


「そ…………れは。私は知る必要のないことだったから、教わっていなかっただけ。お父様はきっと『そんなこと知らなくてもエミリアならきっと上手くやれる』って、そう――」


「そうかしら? そうかもね。けれど私は別の意図を感じるわ。……貴方も気づいていないわけじゃないでしょうに」



……やめて。それ以上はやめて……!

そんな絶叫が喉元まで出かかって、しかし声帯は糸で縛り付けられたように思うようには動いてくれない。

零れ落ちるのは悲鳴にも嗚咽にもなれなかった、か細く震える、意味を持たない単音だ。


エミリアは無知であるが愚者でなかった。否、無知であるように無垢であるように、そのように育てられてきた。

その真意を当事者であるエミリアが考えなかったわけがない。


……いや、もし育てられた環境に『子供』がエミリアだけであったなら、考えるきっかけもなかったのかもしれない。けれどエミリアの世界には、いつもナタリアが居た。

本館と別館住む場所は違えど、少なからず顔を合わせる仲。だから、自ずとその違いを知る。

(エミリア)彼女(ナタリア)、おかしいのはどちらだろうか、と。


だが、真実に知ることをミュゲ伯爵は望まなかった。伯爵が望まないということは、即ち世界が望まないということに等しい。少なくとも、伯爵邸という閉ざされた世界ではそれが世の摂理(ルール)だった。

だからエミリアは追求をやめた。父に従うことが全て正しいのだと自身に言い聞かせて。

……けれど、思ってしまった事実は消えてはくれない。



「父が愚者と言えども、たかだか嫌がらせ、そんな理由のために大罪である窃盗を犯させたとでも思って? ミュゲ伯爵は貴方の事を手駒――それも最も価値のない、紙切れ同然の消費物だとしか思っていない。このままあの男の言いなりで居るのなら、近い内に貴方はより価値のある駒の為に使い潰されるでしょうね」



ナタリアの言葉は冬の水に似ている。

それ自体に毒性はないのに、痛くて冷たくて苦しい。


……言われずとも分かっている。恐らく、ミュゲ伯爵の狙いは嫌がらせなどではない。それはエミリアも疑問に思っていたことだ。



「(毒針……そんな重要なことを、どうして……)」



どうして、なんて思いながらも脳の片隅には理性的に解釈する自分がいる。


盗難が続く中、毒針による暗殺事件が発生したら誰が一番最初に疑われるかなど言うまでもない。

あの父親がエミリアに物を盗ませたのは嫌がらせなんて子供じみた理由ではなく、単に毒針を仕込んだ時真犯人に辿り着かないよう、最も怪しまれる人物としてエミリアを置いた――そう、考えることもできる。


凍りついた声帯を無理やり動かして、エミリアは言う。

それはナタリアへの返答ではなく、もしかすれば自身への洗脳だったのかもしれない。



「………………知らない。知らないわ。けどお父様はそれを良しとされたの。私にそれを知らせずとも構わないとそう判断されたのよ。その行為がどんな意味をもたらすにせよお父様の命令は絶対なんだから……!」



伯爵(ちち)に抗うことは、エミリアにとって死に等しい。

人は摂理に抗えないように、エミリアは父に抗えない。

伯爵邸においてエミリアの命は父の言葉一つで吹き飛んでしまうほどに軽いのだから。

望まれたことを、望まれたように――それ以外の機能をエミリアは望まれていない。それ以上の機能を得ればエミリアはたちまち脅威として父に消されてしまう。

これまで見てきた、他の者たちのように……!



語気は強い――だが、強いだけだ。

エミリアのその瞳には明確な迷いが浮かんでいる。



「エミリア、もうそろそろ目を覚ます時ではないかしら。両親が何もかも正しいなんて、そんなものは夢物語――」


「――煩い。煩い、煩い煩い煩い! 黙ってなさいよ! 貴方に何が分かるって言うの!」



ナタリアの忠言を遮って、エミリアの絶叫が木霊する。

怒り。憎しみ。悪態。

憤怒に満ちあふれた声の主は、それでいて今にも泣きそうな顔をしていた。



「(……ナタリアにはわからない。わかるわけがない)」



あの屋敷(セカイ)においてエミリアとナタリアの価値には雲泥の差がある。

父はエミリアに優しかったが、それは無知な雛鳥を無知のままでいさせるための麻薬に過ぎない。


ナタリアは少なくとも文字を学び、世を学び、一人で生きていける程度の教育を施されている。

それはつまり、一人の人間として育てられたということだ。


一方のエミリアは、貴族令嬢としての立ち振る舞いから侍女としての仕事に至るまで、果ては『文字を読むこと』すら教わっていない。

純真無垢とは笑わせてくれる。両親にとってエミリアとはよくて愛玩の獣、事実を突き詰めるのであれば無知でより都合のいい消耗品だ。


世の穢れを知らない。善悪を知らない。善し悪しを知らない。――だから、自分が利用されていることも、自分がいずれ使い潰されることもわかるわけがない。

少なくとも父は、そうあるようにエミリアを育てた。


けれど、エミリアにとってそれだけが。たった一つ、生き残るためのか細い糸だったのだ。

それを今ここで否定してしまえばこれまでの人生全てを否定することになる。


だから彼女は、選べない。

その身に振りかかる破滅を知りながら、両親の惨たらしい裏切りを理解しながら、それでも底なし沼から這い出ることができない――……



「……知らない。知らないわ。これ以外に生きる術なんて私は知らない。知ることを許されず、学ぶことを許されず、ただ都合の良い駒でいることでしか生きることを許されない、そんな生活をアンタは想像したことがある……!?」



酷く弱々しい己の声色に、腹の底に澱んだ苛立ちが熱を帯びて非難する。



「……何もできないのなら、放って置いてよ」


「エミリア……!」



……ああ、なんて無様で、醜く、憐れ。

あまりにもみっともない己の態度に耐えかねて、エミリアは走ってその場を後にした。


当てはない。思考もない。ただ苦しさと痛みを振り払いたくて、とにかく走り続けたエミリアは、気がつけば王城の中庭に到達していた。

無音の夜闇に沈んだ庭園はエミリアを視覚的に包み込み、自我までも侵食するようだった。

酷く走ったせいか、痛みは更に増している。



「(……くるしい)」



胸のつかえに目を伏せ、エミリアは茂みにしゃがみ込む。その姿を、雨に濡れた溝鼠のようだとエミリアは自嘲した。

服の裾が地面の芝を撫でる。服が汚れるのも――自由の象徴のように思えてあんなにも大切にしたいと思った筈のあの服が――今はそれを気にかける余裕もなかった。


静寂は、価値のない物思いを引き寄せる。


……思い返せば。この宮廷の日々は夢のような時間だったとエミリアは思う。

変だけど穏やかで、怯えながら顔色を伺わなくても良い主人。

優しい先輩と穏やかな同僚。

侍女としての生活はエミリアに学ぶことを良しとしてくれたし、出来ないエミリアを責めることも無かった。

特に、文字の読み書きができないことを知ったアヴローラさんは、仕事の時間を縫ってこっそり簡単な読み書きを教えてくれた。



自分の窃盗は、ここの人達の信頼と親愛を裏切る行為だと思う。



「(……でも、どうしたら良いというの?)」



……けれど、宮廷(ここ)に居てもなお、エミリアの命は伯爵の手中にある。

子供は親の所有物、貴族であるのならば尚更。

家門のために生き、家系の名誉のために死に、主人の手駒であることは当然だと人は言う。

それができなければ――父の機嫌を損ねればエミリアはまたあの(やしき)の中に真っ逆さま。




……不意に、闇に沈んでいたはずの庭園に一筋の光が差し込む。つられて見上げれば、ある一室の窓が開かれたようだった。

夜闇に目が慣れきっていたエミリアは思わずその眩しさに目を眩ませ――その弾みで、窓辺に立つ何者かが誰であるかを理解した。



「(皇帝、アナスタシア……)」



その瞬間、窓辺に凭れた彼女と視線が合ったような気がした。だがそんなはずはないと思い直す。

あれほど明るい室内から、これほど暗い庭園を見下ろすのだから、きっと草葉の輪郭すら捉えられないに違いないと。


皇帝アナスタシア。自分ともナタリアとも異なり、多くの人に望まれ、愛され、終には帝位まで手に入れた女。

エミリアは、彼女を見るといつも酷い劣等感を感じていた。『血塗れ公女』なんて揶揄されてもその所作には教養が滲んでいたし、その髪の美しさは一朝一夕になるものではないことを感じていたから。


望めば世界の全てが手に入る女。

願わずとも誰もが彼女の顔色を伺い、彼もが彼女の意のままに動く。


彼女を見る度に、己の卑しさを実感してならないのだ。

――だから、そう。エミリアは彼女が妬ましい。

妬ましいから、物を盗むことも、これからすることもきっと胸が痛まない。



「(皇帝アナスタシア、貴方にもきっと分からないでしょうね。ただ生きる、それだけのために幾重にも罪を重ねなくてはならない私のことなんて。私は貴方に謝らないわ。何もかも持っているというのなら少しくらい私の命のために分けてくれたっていい、そうでしょ……!?)」



頭が一際痛んだのは、きっと歯を食いしばったせいだろう。

 

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