17 侍女たる者
弾みで、後方へ転倒する青年。それは指弾自体の威力によるものではなく、腰が抜けたと言った様子だった。
侮辱に継ぐ侮辱、そして最後の指弾に耐えかねて、彼らは周囲へ助けを求め――そこでようやくどちらが正義であるか思い至ったようだ。
皇帝の権力はただそれだけで当人に正義をもたらすだけの影響力を持つが、今回の場合はそれを使うまでもない。
それを脳の片隅で理解してもなお、彼らはどうにも納得のいかない様子でこちらを睨めつけている。
青年たちは己の非を未だ認められないでいた。
周囲の様子から自身が劣勢であることを辛うじて感じ取っているだけで、まさか今自身が首の皮一枚繋がっているところまで追い詰められているとは夢にも思っていないのだ。
何か、何かこの女を黙らせる方法はないか――と。
彷徨わせる視線。周りの大人はろくに取り合ってはくれないだろう。青年たちにとって最大の悲劇は、この場に駆けつけて無理やりにもで頭を下げさせてくれる親がいないことだった。
そこで最も背の高い青年は、丁度広間の扉口から現れた一人の男に目をつけた。彼こそが、最後の頼みの綱であると信じて疑わずに。
「――オーカディア辺境伯閣下……!」
縋るように、願うように――或いは勝利を確信するように。
例え自分たちが劣勢であっても、指弾という攻撃行為は皇帝に非がある。七選帝侯が一人である彼は、明確な攻撃行為がある以上は必ず味方をしてくれるはず。それが青年達がぼんやりと思い描く貴族の姿であるために。
男は青年の呼びかけに応えることはなく、ただ無言のまま、迷いのない足取りでこちらに向かってくる。
見るからに上品な服を、どこか無造作に着崩した中年の男。
ヴラディスラウス・オーカディア。
七選帝侯が一人にして、『黒の森』に棲む魔獣から帝国を守る北境騎士団を率いる将軍。
彼は困ったような笑みを浮かべながら舞台の中心へと進み、青年達の元へ――留まることはなく、皇帝の傍らに立ち、略式ながらも礼にて最大の敬意を伝えた。
「――よう。居心地が悪いのはお互い様だな、アナスタシア。いつもの斧槍使いの二人組侍女は連れてきてないのか?」
***
「アイツらも、最後の頼みの綱がまさか皇帝と旧知の仲だとは思わなかっただろうな。全く、可哀想なほど運がない」
「順序が逆だよ、イヴァン。私とオーカディア辺境伯がたまたま知り合いだったんじゃなくて、知り合いだったから私がここに居るんだ。そうじゃなきゃこの忙しい中わざわざ来たりしないもの」
深々と溜息を吐いて戻ってきた私を、ナタリアの用意した炭酸水が出迎える。
それを一気に煽って渇いた喉を労りながら、私はイヴァンとそんな会話を交わした。
オーカディア辺境伯の執り成しで、文字通り一命を取り留めた彼らはようやく飛んできた親と主催側のオーカディア辺境伯夫妻にこっぴどく叱られているらしい。
親は言うまでもなく、オーカディア辺境伯夫妻にとっては主賓の機嫌を損ねたも同義だ。
下手をすれば諸共首が飛ぶ状況なので当然と言えば当然だが、彼らの監督役は可哀想なくらいに憔悴していた。
それでもなお「あっちが先に攻撃したんです」と食い下がる彼らに「撃つか振り下ろすかでは、振り下ろす方が先だっただろうが」とヴラディスラウス将軍より拳骨が下される様は見ていてちょっぴり爽快だった。
「……ま、私も別に首を飛ばしたいわけじゃないし。『1年しっかりご両親のもとで勉強し直したら?』と提案だけして退散してきたってわけ」
「要は今年一年は社交界出禁ってことですか。ま、事のデカさを考えたら甘い処罰ではあるんでしょうけど」
これまで青年たちの周囲には、ああして他人を嘲笑って愉しむ事を諌める人間は居なかったのだろう。
それはこれまでの青年たちを取り巻く世界では、親に次いで彼らが最も偉い存在だったからだ。
馬鹿にする対象も、彼らを取り巻く人物たちも、一様に自身よりも下の身分だった。
だからこそ、青年たちには分からない。
分からないまま、今日に至ってしまったのだ。
それを、哀れだと呼ぶ他に表現できる言葉を、私は知らなかった。
何はともあれ、オーカディア辺境伯夫人には騒ぎを起こして申し訳ない気分でいっぱいだ。侍女たちに勧められて夜会に参加したことを後悔する気持ちがじわじわと湧いてくる。
何か謝罪の品を送らないとね、などと言葉を交わしていると、イヴァンが不意に顔を上げた。
その視線の先には、先と同じように迷いのない足取りでこちらに向かってくる男の姿があった。
「悪かったな、アナスタシア。招待客のことで迷惑をかけた」
ヴラディスラウス・オーカディア。
彼との縁は、かつて彼が跡目争いを疎んで大公領に居候していたところから始まる。そんな男が今となっては選帝侯の一人だというのだから、人生は分からないものだなとしみじみと思う。
私と、居候の彼と、騎士見習いのイヴァン。
懐かしい幼年期が蘇る一方で、しみじみと懐古の念に浸れるような気分ではなかった。
「こちらこそごめんなさいヴラドさん。折角の夜会だったのに……ジャンヌ様にも後で謝らないと」
「まさか。むしろジャンヌの方が『アーシャちゃんが怖い思いをしてないといいけど』って嘆いてたぞ」
ジャンヌ様とは、件のオーカディア辺境伯夫人、つまるところこの夜会の主催者である。
私が出不精人間であるためにお会いしたのは片手で数えられる程度であるが、それでも彼女が聖人に分類される側の人間であることを私はよく知っている。
「そう……今回は災害みたいなものだったと思って、痛み分けってことで許してもらえると嬉しいんだけど」
「そりゃ願ったり叶ったりだが……ま、お言葉に甘えるとするか。しっかし、あのおチビさんが皇帝とは、運命の女神はへそ曲がりらしい。俺としては『皇帝なんて無理!家出してやる!』とでも言い出すかと思ってたが思いのほか物分かりがよかったな」
「しないし、そんなこと。私も大人になったということです!」
そう虚勢を張ってみると、矢のようなイヴァンの視線が痛んだ。
ちょっと屋敷を抜け出してみたりなんかはしたが、家出はしていない。嘘は言っていないので良しとしよう。
「大公領から離れることになったのは口惜しいですが……うん、だらだらゴロゴロスローライフは別に宮廷でできないわけじゃないし。スローライフ奪還に向けて、新たに味方を増やしつつ日夜邁進中ってわけです」
「お前そんなこと考えてたのか。……と、それじゃあそこの侍女達が新しい味方ってわけか?」
ヴラディスラウスの問いかけに私は一つ頷く。
「そう。クラーラとアヴローラは別の仕事を任せて来たから。彼女達は――」
「あの、もしかしてオーカディア辺境伯様ですか!?」
私の話を遮って、エミリアが瞳を輝かせ身を乗り出す。
その瞬間、背後でナタリアの視線が僅かに揺れたのを見逃さなかった。驚いたような、或いは咎めるような厳しい一瞥。
当のエミリアはそれに気がつく様子もなく、期待に満ちた瞳を辺境伯へ向け続けている。
「そうだ。ヴラディスラウス・オーカディア。お嬢ちゃんみたいな若い娘さんが俺みたいな無骨な武人を知っているなんて珍しいな。そっちの聖火戦争の英雄様の方が何かと話題だろうに」
「いいえ――いいえ! その……奥方様との恋物語を、昔よく母が語ってくれて……」
その言葉に、シャンパングラスを持つ手が僅かに揺らいだのを自覚する。胸の奥で、何かがかちりと噛み合った。
一方で、ヴラディスラウスはエミリアの行為を気に留めることもなく、「ははぁ、そいつは俺たちも有名になったな」と気恥ずかしそうに頬を掻く。
そうしてその情を振り払うようにイヴァンの肩をぽんぽんと叩きながら話題を変えた。
「……んで、だ。お前も出世したな、イヴァン。俺が稽古をつけてた頃から可愛くねぇガキだったが、今となってはあのクソガキが英雄サマか! くそ、やっぱりあの時カーライル大公に喧嘩を売ってでもお前とアナスタシアを攫うべきだったな」
「お陰様で今日は番犬をやってますよ、可愛くねぇのは変わらずでしょうけど。何せ物好きな飼い主がいるもんで」
そう言ってイヴァンはこちらを振り返る。要は以前の『イヴァンがいないなら皇帝なんてなる意味ない』的なアレについて言っているのだろう。
仕方がないので私は渋々その視線に言葉を添える。
「そんな事ない。イヴァンは可愛くないところが可愛いのに」
「大の男に可愛いはないでしょーが」
「それやってたらもう全人類可愛い判定にならないか?」
四方からの全否定に思わずむくれ顔になる。
良いじゃないか、別に男の子がかわいくたって。……いや、そうなるとイヴァンは可愛いことになる? でも可愛くないところが可愛いのであって、でもそうであるならばやっぱり結論は可愛いのであって――?
その瞬間脳裏に駆け巡った惨たらしい卵鶏論争から逃れるために、私は一つ咳払いをした。
「そうだ、ヴラドさん。エウドキアの推薦ありがとうございました。彼女のお陰で宮廷の作法もなんとか切り抜けられているから……」
「エウドキア? ……ああ、お前につけた侍女か!」
ヴラディスラウスは始めは首を傾げていたが、そのうち合点が行ったように何度か頷いた。
「俺も、懇意の仲ってわけじゃなくてだな。一人くらい宮廷に詳しいやつが居たほうがいいかと思って、古参の女官で評判のいい奴を親族から探したんだ。少し血筋としちゃ離れてるが、その分宮廷での暦も長いし機転が利くだろうからってな。だから俺の戦果ってわけじゃあないんだが……ま、上手くやってんなら良かった良かった!」
エウドキアの働きは勿論、彼の気遣いには頭が上がらない。お転婆公女が何とか宮廷でお飾り皇帝として生き仰せているのはひとえに彼らの働きがあってこそなのだから。
彼らへの感謝にしみじみと浸っているところで、ヴラディスラウスがその体躯を窮屈そうに屈めこちらに耳打ちする。
「ところでさっきの娘が、『ナタリア』か?」
「いいえ? エミリアの方です。ミュゲ伯爵家の長女の……」
私の回答に「でも……」と小さく呟いたヴラディスラウスは、しかしそれ以上の言葉を紡ぐことはなかった。
その間もヴラディスラウスの視線はエミリアとナタリアの間を生き来している。
「(……やっぱり、何か知ってるんだ?)」
元より嘘が得意な人ではない。だがそれでも自分よりは長く社交界にいる人だ。何か違和感の鍵を握っていても、それ自体はそうおかしなことではない。けれど生憎その表情からは、彼が一体何を思ったのかまではとても汲み取れなかった。
耐えかねた私がヴラディスラウスを問いただそうとしたその瞬間、間の悪いことにオーカディア辺境伯邸の侍従であるらしい男が彼に声をかける。
……どうやら、今日は尽くツイてないらしい。
一言二言、こちらに聞こえぬ程度の短いやり取りを交わした後、ヴラディスラウスはこちらに向き直り口を開いた。
「……わかった。騒がせて悪かったな、アナスタシア。ジャンヌの支度が終わったみたいなんで一旦戻るわ。また後で挨拶に回るから、そん時にでも。重ね重ね迷惑かけたな」
「……ヴラドさんに迷惑をかけられるのは慣れてるので別にいいですよ」
「はは、こいつめ。……ま、なんにせよウチが親新皇帝派なのには違いない。迷惑をかけた分も含めて、困ったことがあったら気軽に相談してくれ」
イヴァンはそう笑って、軽妙に片手を振りその場を後にした。
ジャンヌ様がいる場ではとても追求できないだろうな、と苦々しく思っているところで、イヴァンが口を開く。
「追求しなくていいんですか?」
「そうしたいけど……今回は『収穫』もあったし、貸し一つってことで我慢かな」
ま、疑念も増えたんだけど――などと呟きながら、私は静かに侍女二人を見遣る。
そこにはやはり、どうにも似ていない姉妹の姿があるのだった。
違和感の火種を手に握りしめながら、夜は刻一刻と更けていった。
12話でヴィヴィアンが言っていました、ね




