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お飾り皇帝にはお似合いの仕事  作者: 花嵐
第一章 『無知迷妄』

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16/24

15 彼の話をするとしよう




盗難事件が発生しても、嘆かわしいことに日々は着々と進んでいく。


皇帝業務というのは複雑そうに見えて簡単で、しかしやっぱり難解なのであった。


朝餐から始まり、朝議では各所領の報告と施策の草案の確認、それから夏の魔獣暴走(スタンピード)に備えた諸々の準備の指示。以後は外交文書や嘆願書の確認と返信。昼餐の後には追加の報告書に目を通し、裁可を行う。

夕刻(アフタヌーン)からは僅かながら私的な時間を取れる事になっているが、戴冠式以後には夜は社交界が控えるようになる、と。

どれも一朝一夕になるものではなかったが、自身の場合は官吏が優秀なので少しはマシだった。



「(けど、『お飾り皇帝』でもこの業務量……!)」



などと、内心で弱音を吐く昼下がり。


報告書自体は捌ききれない量ではないが、事前知識もない私は安易に判子を押すわけにもいかない。であれば当然確認作業が入ってくるわけで、前年度以前の書類と睨み合いをしながら「あれでもない、これでもない」と格闘する。このため非常に時間はかかる……が、適当に仕事をするわけにもいかず、このように資料集めに勤しむのだった。


一つ幸いだったのは、イヴァンの存在だ。


時には資料室の背の高い本棚、その最上部に仕舞われたファイルが必要になる。私は背が低い方ではなかったが最上部の棚にはどうしても手が届かず、泣く泣く台を持ってきて――と大変なタイムロスが起きてしまうのだ。

一方で男性の中でも特に長身なイヴァンは少し背伸びをするだけで自在に本棚に手が届く。本当に羨ましい限りだ。

そう言うわけで、近頃は猫の手ならぬイヴァンの手を借りる日々が続いていた。



「……まさかとは思いますけど、毎度この作業を一人でやってるんですか」


「そうだよ。私は地方や政策についてはまだまだ疎いからきちんと確認しないと。効率が悪いのは分かってるけど、汚職の巣窟になったら目も当てられないから」



次はあれを取って、などとお願いをする傍ら世間話に勤しむ。「真面目なんだか、不器用なんだか……」と呟きながら軽々とファイルを抜き去る姿を見るのはどこか爽快だった。

頑張れイヴァン、これが終わったらクラーラお手製でっかいシフォンケーキを分けてあげるから!



「誰か頼れる官吏は居ないんです? もしかして人望が足りないとか?」


「文官はみんないい人だけど、彼らには彼らの仕事があるでしょ。迷惑をかけるわけにはいかないから。……その点、聖火戦争の英雄サマは給金分しっかり使い倒さないと損でしょ? えっと……定額働かせ放題?」


「くそ、労働待遇の改善を求める! ……言うようになったな、アンタ」



元気そうで何よりですよ、なんて付け加えてイヴァンは顔を背ける。その顔にはどこか喜ばしそうな表情(いろ)が浮かんでいたことを私は知る由もないのであった。

受け取ったファイルを積み上げながら、私は『頼れる文官』の言葉にふと思い出す。



「頼れる官吏といえば、違う意味にはなるけれど飛び抜けて優秀なのが一人いるよ。結構癖が強い人だけど、慣れれば面白いし」


「変人のアンタに変人って言われるなんて……可哀想に」



この減らず口、なんとかならないだろうか――?

笑顔でイヴァンの頬を軽く抓り遺憾の意を表明する。

しかしこの慇懃無礼さがなくなったらそれはそれで寂しいので口には出さない、そんな自分がとてもズルく思えた。



「本当だし。初日で『その目でジロジロ見ないでいただきたい、不愉快です』『折角、目を持っているのに使わないなんて宝の持ち腐れですね。天に返上されては?』『何も知らない癖に一人で判断できると思わないで下さい』なんて言ってくるから凄く驚いた。……まさかとは思うけど、帝都流の挨拶とかじゃないよね?」


「……第一印象がそれでよくソイツと上手くやっていこうと思えましたね」


「悪い人じゃないんだよ、ちょっとお互いにコミュニケーションに難があるだけで……。それに、彼の言っていることは正しいと思う。私は官吏達に比べたら何もできない小娘(みじゅくもの)なのには違いないし」



大公領の仕事と皇帝の政務では、似通った部分はあれど異なる点も多い。そもそも求められる地域量と分野があまりにも違いすぎる。

国の上澄みである官吏達に肩を並べられるとは端から思ってはいないが、だからといって、それは努力しない理由(いいわけ)にはならないと思うのだ。

……だから、彼の言うことは正しい。一言負け惜しみを言わせて貰えるのなら、「もうちょっと言い方何とかならなかった? 我一応皇帝ぞ?」と思わないでもないが。



「ところで、どうやって懐じゅ……打ち解けたんです、ソイツと。正直そこまで好感度が低い奴とは不可能だと思うんですけど」


「ん? いや、何事もまずは相手を知るところかなって思って、色々調べた。本人と直接話すのも手だとは思ったんだけれど、まず本人に聞く前に最低限の勉強は必要かなと思って」


「まあ悪くない心がけなんじゃないすか? それで成果はどうです」



イヴァンの問いかけに私は思わず遠くを見つめた。

こほんと一つ咳払いをし、喉の調子を整える。



「ケイロン・ルベリウス。出身はセントーレア領になっているけど、恐らくはそれよりも南部の流民の系譜。一族としては毎代ではないけれど三、五、七代前の宮廷に仕えていた記録がある文官の家系」


「なるほど、それは――」


「それから、飲み物は珈琲よりも紅茶派。と言うか珈琲は苦手で飲めないみたい。酒も賭け事も嗜まない徳者。休日はもっぱら読書か二胡を嗜むインドア派。趣味は朝食のパンを小鳥に分け与えること」


「……それ、要ります?」


「利き足は右だけど利き手は左。虫を殺せないほど慈悲深いのか、触れないほど虫が苦手なのかは不明。最近卵を片手で割れるようになった。目玉焼きは半熟派。

…………あ、肉や魚は好まないけど食堂でオムライスセットが出た日は必ず注文してるみたい。それから――」


「うん、わかった。わかったから。もういい。

…………………情報自体よりその情報を本人に聞かないでどうやって集めたのかの方が気になるな」


「執念、かな……」



逃げられたなら追いたくなる、隠されたなら暴きたくなる、それが人間というものだ。

はじめは売り言葉に買い言葉状態だったが、途中から悪ノリが過ぎて今やこのザマである。

『解析』の魔法は性根まで蝕むのだろうかと嘲笑する。



「あっちがあっちならアンタもアンタだな……これでよく仲良くなれましたね」


「スタートの好感度がそもそもどん底だったからね、あとはもう何しても上がるだけだよ。お陰様で、今ではほどほどに仲良しかな」


「仲良しっていうか、多分向こうが根負けしただけだと思いますけど」



そう言ってイヴァンは最後のファイルを抜き去った。 積み重なり山なりになったその頂上を最後のファイルが飾る。



「はい、これで全部ですか?」


「そう! ありがとう、私じゃ台がないと手が届かなかったから本当に助かった」



抱え上げたファイルの山は重さは持てぬ程度ではなかったが、一方でその高さは視界を遮るに達していた。

台車を持ってくるべきだったか? と半ば後悔しているとイヴァンの手が伸び、その大半を持っていく。



「持ちますよ」


「でも」


「折角高い給金払ってるんですから、どんどん使ったほうがお得……でしょ?」



そう意趣返しのように言って笑うと、イヴァンはそのまま資料室を後にしてしまった。私は慌ててその後を追う。


無駄に広く長い廊下は、南向きの窓から初夏の日差しを受けてぽかぽかと暖かい。

長い冬が終わりを告げ、極北のこの国にもようやく春が訪れようとしている。青々しい緑染まった中庭から廊下に再び視線を戻すと、執務室から一人の男が出てくる姿が見えた。


紅梅を思わせる赤髪の男。梅を思わせるのはその髪に留まらず、瞳、また体躯も同様であり、その細腕に幾ばくかの書類を抱えている。



「――陛下」



男はこちらの姿を認め、更にイヴァンを見遣るとその端正な顔を曇らせた。

表情をそのままに彼は恭しく頭を下げる。その仕草が彼の故郷のものだとイヴァンは知らない。



「ケイロン、探した?」


「いえ……はい。追加の資料の確認が終わりましたので奏上を、と」


「ありがとう。この書類の確認が終わり次第、そちらにも手を付けるから」



ケイロンに手を差し出すと、彼は躊躇いがちに書類をこちらへ引き渡し、視線をイヴァンからこちらに戻した。

長髪の下から覗く、物言いたげな視線に耐えかねて思わず私は目を逸らす。

神が利き手で描いたに違いない極めて端正な顔立ちの浮かべる無表情は、それだけで得も言われぬ圧があった。


彼は時折そんな表情で、何か話題を振るわけでもなくじっとこちらを見つめてくる事がある。否、その視線は、何かを伝えようとして、けれど結局諦めてしまう素振りに似ていた。


元を正せば、私はその真意を暴きたくて彼のことを調べ始めたのだ。しかし進捗は思わしくない。

これは何も珍しい事ではなく、この部屋で執務に就くようになってからの恒例行事であった。

だからきっと今日も彼はこのまま何を言うこともなく己の席で職務を全うするのだろうと、そう思っていたのだが。



――しかし。今日の彼は一味違った。




「……僭越ながら陛下。本日、盗難事件に纏わる私物改めがあると聞きました」



彼にしては異例の行動に私は返答が一拍遅れる。

彼が自ら書類の話以外をするのは極めて珍しい。

受け取った書類を取り落としそうになったのを取り繕いつつ、私は勤めて平静な顔で彼の言葉を肯定した。



「そ……そう。騎士たちに全使用人の部屋と私物の改めを依頼した。もう城の外に出されてしまっているだろうから、あまり期待はしてないけど……」


「ワタシはそうは思いません。もしお調べになられるのなら空き部屋なども改められたほうがよろしいかと」


「……それは何故?」


「以前城内の治安管理の仕事に携わって居ましたが、その頃と方式が変わっていなければ、城を出入りすれば少なからず記録に残ります。戴冠式の準備のために多くの者が出入りしてますから、平時に比べれば目立たなくはありますがあまりにもリスクが高い」



その言葉に何か引っかかりを覚えたような気がして――しかしそれが何であるか言語化するよりも前に、違和感は流れていってしまった。

若干の違和感を覚えながらも、彼のきっぱりとした口振りに私は微かに微笑みを浮かべる。

どんな理由であれ、彼と話をできた事実が、それがほんの僅かでも距離が縮まった証拠のようで嬉しかったからだ。



「であれば貴方はまだ城の中に物が残っていると、そう考える?」


「はい。先に申し上げました通り、現在は陛下が入城されたことで多くの者が行き交っておりますので、常にない行動をしても疑われる可能性は少ないでしょう。例えば、一度空き部屋に物品を隠し、監視の目が緩くなった頃に戴冠式の準備のために出入りする商人と共謀し、荷に紛れ込ませて外に持ち出す――ワタシならそうします」



特に、組織的な犯行であるのなら尚更、と彼はそう締め括った。


彼の言葉に目が覚めるような思いだった。

どうして今までこの発想に至れなかったのだろう、と。

確かに中に住む人間が城の外に出るには『理由』が必要だが、商人が外に出るのであれば疑われない。当たり前のことだが、入ってきた人間が出ていくのは当然だから。

……なるほど、組織的な犯行であるという仮定が正しければ、犯人一人にやらせるのではなく商人(きょうりょくしゃ)を送り込む方が余程効率的だ。気がつけなかった己の未熟さが酷く気恥ずかしい。



「……空き部屋、か。なるほど盲点だった。ありがとう、鍵の管理記録の照合と他の部屋の改めを騎士達に頼むことにする」



その返答にケイロンは満足そうに――することはなく、再び不満げな表情(かお)に逆戻りしてしまった。


くそ、またか! またバッドコミュニケーションなのか……!

どこで返答を間違えただろう、と頬の内を噛む。

彼の伝えんとしていることは理解したはずだ。その上で私ができることを提示したのに、何故……いや、どこで?


割と短気であるらしい私は今にも彼の肩をガクガクと震わせて口を割らせてやりたくて堪らない気分だった。

……が、これでも淑女。『血塗れ公女』でも公女であることには違いない。今はレベルアップして皇帝だが。

そんな塵芥よりも小さな矜持にかけて私は猫――いや、獅子(ライオン)を被り直し、その衝動をぐっと飲み込む。


そしてそれは、彼も同じだったらしい。

喉元まで込み上げた言葉を彼は飲み込み、また感情(いろ)のない表情で「……はい、そのように」と呟いて踵を返す。


窓から差し込む初夏の日差しが照らし上げる、彼の赤髪が目に痛かった。



「……どうやら前途は多難らしいですね。また資料取りに行きましょうか?」


「ああ、ううん。これは大丈夫」



イヴァンの苦笑いが含まれた問いかけに、私は自信を持って首を横に振る。


ケイロンから奏上された、一番上の書類は北原高原の魔獣対策予算案と題されていた。

通常ならば先の資料のように前年度の数値と被害の規模を確認するために書類を探し始めるが、今回ばかりは確信を持ってページを捲る。


そこには予想どおり、必要な情報を簡潔に纏めた付箋と添え書きの姿があった。

彼が奏上する書類はいつもこうである。彼が奏上する書類だけは、いつも素早く裁可することができた。

そこからは生真面目かつ仕事に熱心で、気遣いのできる人柄が伺える。



「……確かに、悪い奴ではないみたいですね」


「うん。そうなんだ」



恐らく、悪い人ではないのだ。呆れられてしまっているかもしれないが、決してこちらに悪意があるわけではない。

私は自身の席に戻ったケイロンに視線を遣る。


しゃんと伸ばされた背に、襟の整った衣服。

その姿はしかし、どこか老木を思わせる。

机に遮られぼやけた影が、黒く蠢いているのを見て私は視線を逸らした。


彼を調べて、一つよくわかったことがある。

彼の経歴は、いつも途中で追えなくなるのだ。彼の一族の話、後援者の話は追及できるのに、彼自身の幼年期の話はとんと出て来ない。それは作為的な不自然さを感じさせる。そして何より、誰もがそれを疑問に思っていない。

そうして彼を一つ一つ紐解くと、ああして時折、化けの皮を剥がすように違和感を抱くことがある。

一昨日には突然発光し出して、しかも周囲はそれに目もくれず、一人焦ったものだった。



「(……あれはどう見ても人間じゃない、よな)」



それはまさに、神秘を暴く時のような――


誰に相談できる筈もない疑問は、穏やかな陽だまりに溶けて消えた。

明日は2話更新します

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