12 Lady of the Lake
「ねぇ、お聞きになりまして? 新皇帝陛下のお話――」
あくる日の昼下がり。花盛りを迎えた薔薇園にて開かれた茶会、その片隅で少女達は頬を上気させながら噂話に夢中になっている。
噂の主人公は、先に即位した新皇帝アナスタシア・カーライルだ。同じ年頃の少女が国の頂点に立ったという事実は、ただそれだけで少女たちを夢中させるに足り得た。
「勿論! 『血塗れ公女』なんて酷い揶揄をされていましたから始めは少し怖かったけれど、お話ししてみるととてもお優しい方だったわ」
「もうお話しできましたの? 羨ましいわ……私は訓練場で兵士と試合をしているところをお見かけしましたわ。私たちとあまり体つきも変わらないのに、大男を木刀一つで圧倒していて……とても素敵だった」
新皇帝は諸侯の間でこそ評価は二分――野蛮と蔑み小娘と侮る者と、その才覚を評価し恭順を示す者――するが、令嬢達の間では概ね好評だった。
そんな噂話に花を咲かせる令嬢達の黄色い声を、ティーカップを傾け聞き流す乙女の姿が一つ。
それは少女達の幼い憧れを、流行りの紅茶諸共嚥下するように。
「ヴィヴィアン様もそう思われますか?」
「そうね。……少なくとも、諸侯が騒ぐほど酷い人間ではないように見えるわ」
乙女は口数少なにそう答える。
黒髪の奥で伏せられた翠玉の瞳は、まさに宝石のように無機質なままだ。
乙女の名を、ヴィヴィアン・ル・フェイ。妖精のヴィヴィアン。
その銘からも読み取れるように、善性幻想種の身の上でありながら四代前の皇帝に貴族位を賜った湖の乙女である。更に言えば、幻想種が善性と悪性に分類されるよりも遥か昔から存在している骨董品だった。
ヴィヴィアンの態度は実態こそ無愛想であったが、その一挙手一投足から溢れる気品が後押しし、令嬢達の目には淑女然とした姿に移る。永遠の乙女である彼女は令嬢達の良き手本であり、一つの到達点だった。
彼女は簡潔に答えた後、またティーカップに口付ける。
彼女の沈黙は不満の表れではないことを、その場にいる誰もが理解していた。
故に、ヴィヴィアンの無言を気にかけることもなく、令嬢達は会話を交わし続ける。
「お父様達はあれこれ心無い事を言いますけれど、私はそんなことは信じないわ。むしろ陛下を応援したい。だって、まるであの『魔法使い』みたいなんだもの……!」
『魔法使い』とは令嬢たちの間で今話題急騰中の流行小説、その主人公、銀髪蒼眼の少女であった。
正体不明の作家『モーガン』の執筆した小説。全3巻、最新巻の出版を間近に控えた未完の名作。話題になり始めたのは1年半程前の話であり、何かと移り変わりの激しい令嬢たちの流行として鑑みるのであればプチベストセラーと呼ぶに相応しいだろう。
「貴族でありながら魔法使い。魔獣を倒し民を守る善き魔法使いである一方で、その強さ故に迫害される貴族令嬢。それに何より銀の髪に、蒼い瞳! ふふ、確かに本当にそっくりだわ! やっぱり、私達だけでもお力にならないと」
「本当にね。ああ、陛下が本当に魔法使いだったのなら良かったのに……」
少女達の知る主人公は、賢君として徳を積んでいく一方で、ある時魔法使いであることが露見し迫害されてしまう。更には叔父の奸計により領主の座を追われた彼女は、国外へと逃げ延びるのだった。
深窓の令嬢、もとい箱入り娘の彼女達でもそれがどれほど恐ろしいことかは想像に易い。
勿論、これは恋愛小説。亡命した彼女は過酷な旅の先で運命と出会い、恋に落ち、最後には幸福を掴むのだが――その結末を知ってもなお、やはり少女達は主人公に同情をせずにはいられないのだった。
筋書きとしてはごくありふれた、しかし魔法使いを主人公に据えたという点で酷く特異な、そんな小説である。
事実はともかくとして、未だ夢見がちな少女達が2人を同一視してしまうのも無理のない話であった。
少女達が創作と現実のあわいで揺蕩う中で、ヴィヴィアンはカチリと小さな音を立ててティーカップを置く。
少女たちは未だ噂話の中で、ヴィヴィアンの異変には気が付かない。
ヴィヴィアンの視線の先には、薔薇園に現れた新しい客人達の姿がある。
栗毛色の髪の少女と、それに寄り添う男。恋人ほど近くはなく、されとて知人ほどの隔たりもない。事情を知らないものならば、どこぞの令嬢とその目付役として気にもとめないであろう2人。
されどヴィヴィアンは、それが新皇帝とその護衛であることを的確に認知していた。
ヴィヴィアンにとって、その2人は異なる意味でそれぞれ天敵であった。
『解析』の理を持つ魔法使いであるアナスタシアには、種族としての劣勢を。
イヴァンとか言う護衛モドキには、人間関係としての劣勢を。
特に後者はヴィヴィアンにとっての永世のライバルであり、越えるべき壁である。
そんなためにヴィヴィアンは忌々しげに護衛を一瞥した後、まじまじと隅の席に腰掛けた新皇帝を見つめる。
もちろんヴィヴィアンは永遠の乙女。淑女の鏡。己の眉が微かに曇っていることを誰かに悟らせるような失態は犯さない。
――いや、正確には一人、気がついているようだったが。
ようやくヴィヴィアンの熱い視線に気がついた新皇帝は、困り顔でヴィヴィアンを見つめ返す。
時間にしておよそ2秒未満。
根負けしたように、或いは後ろめたそうに。新皇帝が視線を逸らすのを見留めると同時に、ヴィヴィアンは己の口元に微かな笑みが浮かぶのを知覚した。
「……ごめんなさい。珍しい知り合いを見つけたから、席を外すわ」
そう一言断って、ヴィヴィアンは席を立つ。その優雅な仕草に見惚れるように少女達は頷いた。
足取りは真っ直ぐにアナスタシアのもとへ。
肩を竦めたイヴァンの引いた椅子に腰掛け、再び相手を見据えるヴィヴィアンと、目を合わせられないアナスタシアはとても良い対比だった。
防音魔術を立ち上げながら、ヴィヴィアンは隠しきれない怒気と悲しみに満ちた声で言葉を紡ぐ。
「……酷い人。親友との再会の場を設ける前に、社交界を遊び歩いてるなんて思わなかった。そんな火遊びを教えたのは誰? あの聖火戦争の英雄かしら」
「ヴィヴィアン――」
苦い顔を浮かべ答えようとしたアナスタシアの言を、イヴァンは遮って嗤う。
「いやいや、それは言いがかりでしょう、ヴィヴィアン・ル・フェイ。社交界において大公女が基本的に自由なのは今に始まった話じゃない」
「貴方には話しかけていないわ。仮にも従者の身分で言葉を遮り、主人の会話に入るだなんて礼儀も知らないのね」
「お言葉ですが、この場では従者ではなく目付役なんでね。周囲に妙な疑念を抱かせる方が護衛役として失敗でしょう」
その姿、さながら虎と龍。早速始まった応酬に、アナスタシアはもう苦笑いするしかなかった。
かたや当代最高の神秘、湖の乙女ヴィヴィアン・ル・フェイ。
かたや人類の模範事例、聖火戦争の英雄イヴァン・フォーサイス。
2人はその成り立ちから背負う運命に至るまで、全ての点において対極に存在する、有り体に言えば水と油のような関係だった。
顔を合わせればいがみ合い貶し合いのこの展開は既に珍しいものではなく、「一周回って仲がいいってやつなのかな?」とアナスタシアはそろそろ勘づき始めている。
とは言え、防音魔術でこちらの会話は周囲に聞こえないとしても、このまま放って置くわけにもいかない。
アナスタシアはヴィヴィアン用のミルクティを準備しながら2人のいがみ合いに終止符を打った。
「2人とも、その辺りで。……ごめん、ヴィヴィアン。今日は急遽時間が空いたから、肩慣らしにお忍びで来ただけなんだ。落ち着いてから宮廷に招こうと思ってはいたんだけど――うん、返す言葉もない」
用意された紅茶を渋々一口嚥下し、ヴィヴィアンは目を細めた。
そこに怒りはない。一先ずは許してくれそうな空気感にアナスタシアは内心で安堵する。
「……忙しいと言っても、城に入ってから1週間は経ったでしょう。もうそろそろ侍女やメイドは決めた?」
「メイドはもう顔合わせを済ませた。侍女は引き続きクラーラとアヴローラ、それから選帝侯から推薦を受けた数名を新しく迎える予定。ちょうどこの茶会から帰ったら顔合わせだよ。ミュゲ伯家の姉妹と、それから先帝の代から仕えているネルケ侯爵家のエウドキア。知ってる?」
「エウドキア様は悪い話は聞かないわ。ミュゲ伯家は先代の女伯爵様とは面識があるけれど、娘たちの方はあまり。でもそう、ミュゲ伯家の妹の方は……正直、お勧めはしないわ。愛妾の娘だそうから」
「私はあまり気にしないけど」
これはアナスタシアの信条というより、大公家の属性に近かった。血統主義が重んじられる土地がある一方で、大公領は基本的に実力主義。才覚さえあれば平民であろうとも高官に登用されるし、侍女に成り上がった者も存在する。
それが常識で育ったアナスタシアにとって、貴族の極端な体裁やら評価やらというものは、頭では理解できてもどことなく異文化なのだった。
「貴女が気にしなくても、周りは気にするわ。特に、ミュゲ伯家の姉妹は年の差が2カ月だから尚更ね」
「……不義の子ってこと?」
「そうなるわ……それだけではないけれど。当代のミュゲ伯爵は、本来の継承者に継ぐまでの代理人。以前までミュゲ伯爵を名乗っていたのは女性、現在の伯爵の奥方だったの。この意味がわかる?」
ヴィヴィアンの問いかけに、アナスタシアは一拍間をおいて答える。
「入婿が不貞を犯して作った子……」
「そう。先代様が出産後まもなく亡くなられたのを良いことにミュゲ伯家の令嬢として育てられているけれど、本来はその家名を名乗る資格はない。それに、そもそも不貞は神殿の戒律違反だもの。当然、いい顔はされないでしょうね」
なるほど、とアナスタシアは一先ず納得する。
その価値観と自身が適合するか否かは別として、いい顔をされないということはよく理解していた。
だが、今さら姉妹でそんな優劣をつけるだなんて可哀想だとも考える。そもそも、もう数刻後には顔合わせをするのだ。今さらどうこうできる問題ではないし、するつもりもない。
ただ、実に厄介なハズレくじを引いてしまったという事実と、波乱の予感に顔を顰めるばかりだった。
「……はじめからヴィヴィアンに相談した方が良かったかな」
「そうね」
ヴィヴィアンはその白く細い指先で焼き菓子を摘むと、可憐な仕草で口元に運ぶ。その姿は花を喋む小鳥を連想させた。
「ところで付添人はもう決まって?」
「そんな余裕がある風に見えます〜?」
「見えないわ。……それじゃあ、城に戻ったら私宛に付添人の任命勅書を送っておいて。今回の件はそれで忘れてあげる」
それはつまり、貴方のコンパニオンになってあげる、ということだ。
彼女らしい、直球な割にどうにも分かりづらい奇跡のコミュニケーションに、アナスタシアは唖然とする。
「それは助かるけど……何? どう言う風の吹き回し? 前は権力闘争も宮廷も下らないわって言ってたのに」
「別に。ただ、貴方の宮廷なら退屈しなさそうだと思っただけ。それに……」
「それに?」
カチリ、と控えめな音と共にヴィヴィアンはティーカップを摘む。
そうしてゆっくりと、焦らすような仕草でミルクティの大半を喉に滑らせた後、僅かに目を伏せ問いに答えた。
「屋敷の本はあらかた読んでしまったの。城の書庫ならまだ未知の蔵書があるかと思って」
「絶対本命そっちじゃん……」




