第91話 急ぎ呪いを解呪せんと
密集した猫の絨毯に横たわり、十日目の朝が来た。
初日の乗り心地は宛ら、幼き頃に乗車した馬車のように酷い吐き気を誘う揺れだったと、空を仰ぎながらトレイルは思いだしていた。
両親と他の村のダンスパーティーを見に行き、単純なステップすら覚えられない自分を尻目に、可憐な舞を披露する両親。懐かしい記憶が微かに蘇るが、それは過去のこと。五日程で身体が酔いに慣れたように、幾年の歳月が過ぎることで、両親の舞は永遠に姿を消すことになったのだ。
「ミャー……ミャー……」
悲しみに暮れるトレイルの心情を汲み取ったのか、猫たちが細々と鳴き出し、唐突に急停止する。結果、トレイルは前方に投げ出された。
「……またか」
二日目だったか三日目だったか、とにかく数回に渡り、今のように猫の絨毯からの転倒を経験しているトレイルは何事もなかったかのように起き上がる。
「お前らも落されたのか?」
見ると、トレイルだけではなく、シシーやアルゴルンまでもが猫の絨毯から身を投じていた。
「そうみたい……」
トレイルのみが落とされるのであれば何一つ問題はない。シシーでもなんとか頷ける。だがアルゴルンだけが転倒しているのは不思議でならない。
九日目の夕暮れ、さすがに疲労が蓄積されてきた猫たちの中で、アルゴルンを乗せていたチームの何匹が不意に列から外れた。それにより全体の統制が利かなくなり、荒波の揉まれるかのようにアルゴルンが転倒しかけた時、あろうことかトレイルを乗せていたチームの猫が一匹を除き、その全身を注ぐ勢いでアルゴルンを転倒から守ったのだ。ちなみにその残った一匹と言うのは大柄の三毛猫である。
それだけに愛を注いでいるとすら思えるアルゴルンを振り下したことが、トレイルとシシーには納得できなかった。
「どうかしたのか?」
しっかりと受け身を取ったアルゴルンは自分を運んでいたチームだけではなく、公平に全ての猫たちに向け、問うが、猫たちは未だ「ミャー……ミャー……」と、寂しく泣くだけ。
「なんて言ってるかわからないか、アルゴルン」
「いや、なにかに脅えているようだが――」
会話の途中で一匹の猫が痺れを切らしたかのように今来た道を辿るように逃げだす。それが口火となり、五十はいた猫が一斉に尻尾を巻いて逃げだした。
「お……おい!」
視線を下の向けると大柄の三毛猫のみがその場に止まっていたが、意味ありげに「ミャオ」と鳴くと、皆の逃げた方角へ歩んでいった。
「……どうするよ?」
三毛猫が見えなくなるまで一頻り見送り、トレイルがぽつんと言った。
「北へ向かうしかないじゃない。もしかしたら猫たちは首都近辺まで来たから帰っただけかもしれないし」
「そうか? どっちかて言うと、ヤバい魔物の気でも感じ取った風に見えたぞ」
「いや、それはないはずだ」
トレイルが口にした見た通りの意見を、アルゴルンは即座に否定した。
「お前がスィスィルを迎えに行っている間にシローから聞いたんだが、我が子らは古聖獣である余の血を半分は受け継いでおる。故にそんじょそこらの魔物には驚きもしない。と言っていた」
筋の通った話しではあるが、現に猫たちは情けない声で鳴いた。
そこに納得のいかないトレイルに、アルゴルンは一つ付け加える。
「それと……仮に怯えるとすれば、それは古聖獣ぐらい。とも言っていたな」
その情報を耳にしたトレイルは機敏に辺りを見た。何度も何度も、首が痛くなるほどに上下左右、舐めまわす様に見回し、ケットウッドとは多少植物の種類に変化があるとだけ気付いた。
それ以外は何も。生物の影など微塵も映っていない。
「もしも、その話が本当なら、俺にとって嬉しいだけだな」
乾いた笑みでそう言うと、猫の逃げた方向とは真逆の道――北を目指して足を進める。
アルゴルンも表情一つ変えずにトレイルの後を追うが、シシーは急ぎトレイルの前に出て、ヘタな笑みを作る。
「それなら、探索してみましょうよ」
自然を装った提案だが、トレイルは足を止めることもなく首を振るった。
「でも、いるかもしれないじゃない、例のユニコーンが……」
ベルとの会話時にトレイルが見せた取り乱しと、先ほどのあられもない姿が重なり、シシーはこの機を逃すまいと強引に言葉を続けるが、トレイルは頑固に首を振り続けた。
「ダメだ、優先順位は変えられない。お前が一番、他の二番。文句はなしだ」
前にそれと同じ意味の、異なる言葉を聞いた時は単純な幸福感が心を満たしたが、今のシシーはそれを素直に喜べなかった。
心髄から欲する想いを封じ込めてまで、愚直に友の呪いを解くことに身を捧げているトレイルが、シシーには切なく見えたからだ。
「文句あるわよ。そんな素っ気ない答えで済まそうとしないで、ちゃんと理由を語って。そうじゃなきゃ納得なんてできない!」
進行を妨害するように両手を広げるシシーに、トレイルは空白に感じる説明を行った。
「仮に古聖獣がこの近辺にいると仮定するのなら、よりここを離れた方が良い。確かに古聖獣は人語を操る、だがそれだけで人間の味方ってわけじゃない。シローみたいなお気楽な古聖獣もいれば、人間はただの食糧と考える古聖獣もいる。これが古聖獣を探さない理由だ、文句はあるか?」
筋は通っている。だがシシーは納得出来なかった。
「本当にそんな理由なの? トレイルともあろう男がこんな……危ない可能性があるかもって、ただそれだけの理由で、背くの?」
長いとは決していえない時間を共に過ごしてきたシシーでも、トレイルの言動は絶対に信じられなかった。だからこそ、しつこいほどに問い質すが、トレイルは苦痛を味わっているかのように表情を歪ませるだけで、言葉を吐こうとはしない。
「止めろ、スィスィル」
傍でない場所にいたアルゴルンは我慢できずにシシーを制止するが、それはトレイルによって阻まれた。
「いや……いいんだアルゴルン」
力のない言葉でトレイルは続けた。
「俺が急いでいる本当の理由はなシシー、最初に言った通り、お前の呪いを早く解きたいからだ」
「え……?」
予想するまでもない、予想外の結果にシシーは戸惑いの声を漏らす。
「初めて会った時に説明したと思うが、『モンスター・チェンジ』の呪いは対象が完全に魔物と化した場合、解呪の難度が上がる」
当時、冷汗を流しながら一言一言、耳に押し込んでいたシシーは今の話を確かに覚えていた。それでも、シシーは納得しきれていない。それを察するように、トレイルも重い言葉運びを続ける。
「そして……俺は過去に『モンスター・チェンジ』で愛する友が、完全な魔物になる瞬間を見たんだ。それを久々に思いだしてな、それでちょっと急かしてるんだ」
なぜトレイルが頑固なまでに他人の呪いを解こうとするのか、シシーは完全に納得できた。
過去に起きた惨状が今の現状を侵食するのではないかとトレイルは恐怖し、そうさせまいと躍起になっているのだ。
「大丈夫よ。あんたは一度、あたしを救ってくれた。だから焦らなくたって、もう一度あたしを救ってくれる」
改めて、自分のことを第一に考えてくれているトレイルに、シシーは感謝の気持ちを伝えるかのようにトレイルに告げ、それはトレイルの心に大きな救いを齎した。
愛する友は優しかった。肉体の魔物化を隠しきれぬ事態に到達するまで打ち明けてくれなかった程に友は優しく、それは逆にトレイルにとって頼られぬ惨めさでもあった。
優し過ぎるが故に求められることのなかった救いを、シシーは求めている。それがトレイルにはどれほど幸福なことか。
「ああ、絶対に救ってみせる」
自分への決意を今一度、堅い揺るがないものにしたところで、改めてトレイルは北を目指し、進行を再開した。
「それにしても、猫たちが逃げた理由ってなんだったんだろうな?」
決意を新たにしたことにより、頑なに触れまいとしていた問題がトレイルの心内で再浮上し、それが不意に零れる。
「だから、古聖獣でしょ?」
先ほどに到達したばかりの答えをシシーが告げると、トレイルは今さらのように首を捻る。
「百年も前に絶滅した種族がこうも連続に登場していいのかよ……」
誰に言うでもない愚痴に呆れるだけのシシーだったが、アルゴルンは急に首の角度を変え、上下左右、目に見える範囲全てを睨み通した。
「トレイルっ」
アルゴルンとは思えない、震えた声色に呼ばれたトレイルはもちろんのこと、シシーまでもがアルゴルンに目をやり、そのままアルゴルンの瞳が訴える先に視線を動かした。
「あ――」
「……ん?」
視線を送ってから一秒と経たぬ内に声を荒げたシシーに代わって、トレイルは数秒の猶予がありながらも首を傾げることしかできなかった。
「居た! 居た居た! トレイル、見えた!?」
飛び跳ねながら肩を掴んでくるシシーだが、『なにか』を発見できなかったトレイルは戸惑いながらもひたすらに木々の向こう側に視線を送り続ける。
「行くぞ! トレイル!」
「行くわよ! トレイル!」
思わず腕を伸ばしそうになったアルゴルンや、思いっきり腕を伸ばしたシシーに導かれるがままに、トレイルは今までの通りの北へ疾走する。
「なにが居たんだ!?」
疾走がてら、シシーにそのハイテンションのわけを尋ねると、更にテンションを上げ、応えてきた。
「ユニコーンよ! ユニコーンが居たの!」




