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第90話 急ぎ足

「フシャッ!」


 激昂の号令と共に放たれたシローの子らは、トレイルの露出した肉体を的確に噛みつく。どうやら、トレイルの提案はシローのご機嫌を著しく損ねるだけの結果となったようだ。


「近頃の解呪師は余の五体すらも満足にさせてくれんようだな」


「ち……ちが――」


 否定の言葉を口にしようとも、五体への痛撃を怠らない猫たちのせいでまともに喋ることすらできない。


「足が欲しい、と言ってもそれそのものではなく、移動手段が欲しい。と、トレイルはそう言いたかったんだ」


「ふむ……」


 アルゴルンが代弁すると、シローは緩やかに一息ついてから、子らを引かすように鳴いた。


「最初からそう言えばよいものを」


「わかるだろ、普通……」


 猫の呪縛から解放されたトレイルは限りなく細い声でぼやくが、聞こえたのはアルゴルンだけのようだ。微かに彼の頬がゆるんでいる。


「しかし、何故そのような願い事を余のような小さき古聖獣に頼むのだ? それこそユニコーンの背中にでもまたがった方が得策ではないか」


「紹介を受けんだよ。師匠のべルべーグ・ワーズからな」


「なにぃ……!?」


 瞳孔を開かせるほどの驚きを見せるシローだが、歓喜や祝福のそれとは大きく異なり、嫌悪や怒気が強く込められているように見える。


「あの礼儀知らずで生意気な餓鬼からの紹介だと!?」


「そう、礼儀知らずで生意気な餓鬼からの紹介」


 シローの神経を逆なでするように、同じ言葉をわざとらしく繰り返すトレイル。それを口にする姿はさながら礼儀知らずで生意気な餓鬼を彷彿とさせるいやらしい笑みであった。


「しかもトレイルよ、主があ奴の弟子であると?」


「いかにも」


 シローに真似するかの如く口振りで宣言すると、あっけないまでにシローは頷いた。


「通りで、余に対する信仰心が薄いわけだ。あ奴が弟子に礼儀作法を教え込んでいるとも思えんし……」


「ないな、確かに」


 ワーズと出会ってから解呪に関する事ばかり教え込まれたトレイルはそれを不思議と取ることもなく答え、本題を聞き直した。


「んで、足は貸してくれるのか?」


 もはやワーズの弟子だと知った時点で生意気な言動に腹すらも立たなくなったシローは、本題について真剣に悩んだ。頬から生える髭を何度も揺さぶらせ、黒一色の尻尾で頻りに地面を叩く。

 眼前の小僧は憎き若造の弟子であるが、命を救ってくれた恩人の一人でもある。そもそもあの若僧解呪長も、余と戯れるつもりで余に様々な恥辱を行ってきたのかもしれん。

 それでも、思い出しただけで腸が煮え繰り返りそうな記憶がふと浮かんでしまい、決断力が鈍る。


「……何故、余の足を欲するのだ?」


「仲間がな、呪いで苦しんでるんだよ。そこのアルゴルンとか、まだ寝てるシシーとか。俺はそいつらを助けなきゃいけないんだが、ちょっとだけ時間が足りないんだ。だから頼む、お前の足を――力を貸してくれ」


 にごりのない澄んだ瞳から繰り出される土下座は、やはりトレイルとシローの間に絶対的な力関係を示している。だが、それを凌駕するほどにシローは心を揺さぶれる。


「よかろう、主の師との間柄と、主の懇願は別者である。ゆえにその願い、聞き入れよう」


 脚部の全てを大地に降ろし、黒みがかった朝空に高らかなまでに鳴き続けるシロー。その音をトレイル含め村人全てに聞かれることもなく、無音のまま『足』は召集させた。


「直に足は揃う。それで、主らをどこに運べばよいのだ?」


「ありがたい。首都だ、首都アルン・バルン」


 感謝の意を越してしまうほど、力強く答えると、シローは頬元を緩ませ、森に目を移した。


「それは勝手のいい。ケットウッド内を辿れば首都になど十日で着く」


 徐々に徐々に、シローを取り囲んでいた普通の猫たちが数を増やしていき、トレイルが掌を叩く頃には円の中に収まらない程にまで増殖していた。


「それならさっさと出発だ。アルゴルン、ちょっとシシーを起こしてくるからそこでシローを見張っててくれ。逃げないようにな」


 返事を待たずして、朝日が顔を出し始めた方角へとトレイルは駆けて行った。




 一度、倉庫の外壁修理に勤しんでいるガナスに顔を出し、その後改めてマナ家の扉を開いたトレイルは、食欲を掻きたてるベーコンの香りに足を止めた。


「あら、アルゴルンさんはご一緒では?」


 解呪師一行に呪操師一行、そしてマナ一家の合計人数分のベーコンエッグが机上に所狭しと並べられている光景に目を奪われ、ルナの質問を流し掛けそうになる。


「……あ、ええ」


 なんとか簡潔な答えを済ませると、椅子に腰掛け、ギタンやピシェと共にナイフとフォークを握り拳で掴み、食事時を今か今かと待ち焦がれているシシーに指差された。正確にはナイフで差されただが。


「トレイル、あんたどこ行ってたの? 昨日は背中の治療、ちゃんとできなかったんだから、今日は早めにやっとくわよ」


 手にした食器を置くと、なぜか剥れながらトレイルへと近づき、手首を取った。


「外でするのか?」


「当たり前でしょ。誰もあんたの背中なんて見たくないし、アレを食事の前に見せつけられたら、皆食が細くなっちゃうじゃないの」


「ならよ……」


 呼吸の一部と捉えられるほどにか細く、消えてしまいそうなトレイルの小声にシシーは思わず足を止め、外を目指していた身体をトレイルへと向き直す。トレイルは先ほどの言葉よりも更に音量を下げ、呟いた。


「いっそ、もうこの村を出ないか……?」


 シシーとトレイルの瞳が重なり、その声を聞いた――その瞳を見つめたシシーはトレイルがどんな気持ちで今の提案をしたのか、ますますわからなくなった。

 暗闇の深層から漏れ出たような言葉と、瞳の輝き。それは本来、人目に晒されることのあってはならない闇の一部。トレイルがそのような言葉を、瞳をしてはいけない現象。

 シシーの口から声にならない声が溢れ出る直前、握ったはずの手首を本人に握り返された。握手とも違う手首の取り合いを通じ、二人は微かではあるが、繋がった。


「いやなに、本当なら昨日の晩にでもシローから足を拝借して首都を目指そうと思ったんだがな、思わぬトラブルに遭っちまって一晩無駄に過ごしただろ? だからよ、なんて言うかもう、待てないんだ」


 瞬く間に変貌したトレイルの古生意気な笑みはシシーの心を安堵させたが、最後の言葉に込められた言い知れぬ想いが再度シシーの心に重い重い不安を背負わせた。


「ふーん……ずいぶんと急ぎ足みたいね」


 寝床で横になったままのアーシーがまぶたを全開にさせながら呟くと、隣でカティの介抱をしていたトラスが茶々を入れてくる。


「大方、低俗な呪操師なんかと一緒に居るのが嫌なんだろう。解呪師様はプライドの高いからな」


 恐らく、解呪師の中で一番プライドと言う概念を持ち合わせていないであろうトレイルは、トラスの言葉を豪快に笑い飛ばす。


「いやいやいや、待つのがちょいと嫌いなだけだよ。と、言うわけでルナさん、せっかく朝食まで用意してもらって申し訳ないんですが、俺たちは先を急ぎますんで」


 突然の決断にルナは朝食が駄目になってしまう心配よりも、作り過ぎた朝食の行き先に悩んでいた。


「そうですか……わかりました。旅の無事を祈っています」


 瞼を閉じ、頭を下げるルナにトレイルも頭を深く下げる。


「それならさ、あたしたち呪操師グループも連れて行ってくれない?」


「はぁ?」


 トラスの盛大に嫌気を纏わせたため息をトレイルは無視し、アーシーに簡潔な質問を行った。


「理由は?」


「理由もへったくれもないわよ、だってあんたたちとあたしたち、目的地が一緒じゃない。どっちも首都アルン・バルンを目指してるでしょ? だったら別々に行動することないじゃない」


「確かにな……」


 だが、団体での行動はその数が増すほどに進行速度が低下する。それにシローの言う足がどのような手段なのかわからない以上、無闇に受け入れるわけにもいかない。

 しかし、注意深く検討するトレイルの姿は、トラスの目には嫌な奴をどう跳ね除けるか策略している風に取られてしまい、トラスは悪態をついた。


「ふざけるなよ、なんでこんな奴らと肩を並べて旅をしなきゃいけないんだ」


「トラス、あんまりわがまま言わないの。お姉ちゃん困っちゃうじゃない」


 陰気なトラスを調和するように、陽気なアーシーが冗談交じりに止めに入り、なんとか冷やかな雰囲気になるのを防いだが、安易に口を開こうとする者はいなかった。

 ギタンは自分ごとのように不貞腐れ、ピシェは俯き、カティは未だに起きようとしない。


「あの……」


 以外にも先陣を切ったのはルナ。解呪師一行分のナイフ、フォークを手に取り、恐る恐る問いかけた。


「トラス君たちは、朝食を食べるのですか?」


 予想の斜め上をいく質問にトラスは頓狂とんきょうな表情を晒してしまう。しかし、この質問、答え方一つで解呪師一行を遠ざけられる。

 そのことに気付いたトラスは不快な笑みを浮かべ、頷いた。


「もちろん」


 寝床から朝食が盛りつけられたテーブルまでおもむろに移動し、トレイルの瞳を掠めるように窺う。


「なるほどな……それじゃ俺も朝食をいただこうかな」


 トレイルの大胆な宣言にトラスはギョッと反応したが、反対にルナの喜びに耐えきれず、口元を隠しながら微笑んだ。


「なんだと?」


「急いでるんじゃなかったの?」


 アーシーが言うと、トレイルは杖を突きだし、頷いた。


「ああ、だけど腹ごしらえぐらいはしとかないと、って気付いた。だから、外で食ってさっさと出発することにした」


 なぜ外でなのかイマイチ理解できなかったルナだが、とりあえず三人分の皿を外まで運ぼうと腕を伸ばす。だが、突然として現れた眩い光にその手を跳ねのけられ、器用に皿の上のベーコンエッグだけを三つ、掠め取られてしまう。


「運ぶのは俺がします。一晩泊めていただき、ありがとうございました」


 杖の先から伸び出る光の糸を保つため、頭を下げるといった動作は行わず、口だけで礼を伝え、ゆっくりと外を目指す。


「それと呪操師、首都で会ったらもう少し愛想良くしろよ」




 朝の陽光が空に掛かった闇を掃うのと同等な光を繊細に操作しているトレイルに対し、シシーは腹の内に溜め込んでいた思いを吐き出した。


「あんた……どんだけ頑固なのよ」


 猫の形をした扉を閉めるや否やに口を開いたのだから、室内ではずいぶんと我慢していたのが見て取れる。


「俺が頑固?」


 思いもよらない言葉に光に包んだオマケ付き太陽を落としそうになる。


「ええ、自覚ないの? いくらあたしの呪いが時間制限だからって、皆で朝食を取るぐらいいいじゃない。確かにトラスとか言う奴の言い方は癇に障るけど……」


「俺は別にトラスと肩を並べるのが嫌で飯を外に運んだわけじゃないぞ?」


「じゃあ、なんでよ?」


 トレイルはアルゴルンが待つ方角を見つめ、答えた。


「アルゴルンだよ。あいつだけは皆と輪になって飯を食ったりできない。だから俺はどこまでも伸びる特製テーブルに飯を乗っけたんだ」


 言うと、ベーコンエッグを包んだ光の束が一つだけ群を抜くように先行した。


「なるほど……」


 単なる私情の張り合いでないことにシシーは感嘆の声を漏らす。


「まあ、ナイフとフォークはないけどな」


 落ちを付けるかのようにトレイルが欠点を暴露すると、シシーは今さら気付いたかのように見開き、激しい光の束を直視してしまう。


「っ……どうするの?」


「頭上から落し、一口で平らげる」


 なんともはしたない手段を口にすると、今までの慎重な足取りから急変し、シシーを取り残さんとばかりに駆けだす。


「トレイル! 待ちなさい!」


 視界にチラつく銀色の斑点が消えきっていなかったシシーは必死にトレイルを追いかけるが、途中でバランスを崩してしまい、思うようなスピードが出ない。

 結局、食事方法に文句の一つも言えないまま、アルゴルンとシローの待つ場所まで付いてしまった。


「ようやく来たか、待ちわびたぞ」


 胡坐を掻いたアルゴルンの膝の上でくつろいでいたシローが出向かいの言葉を掛ける。その周りには何十――いや、何百もの猫が会同している。


「足が揃ったらしい。もう行くか?」


「いや……どこにあるんだよ、足」


「主の足元だ」


 トレイルの足元にはやたら足首に自分の身体を擦り付けてくる猫が数匹いるだけ。


「もしかして……猫か?」


「いかにも。気絶したシシーを我が子らが運んできたであろう、それと同様に主らも子らの背中に乗せ、首都まで運ぶと言うわけだ」


 一度、一匹の猫にそれと似た、だが虐待的である体験を味わっているトレイルは身を震わせる。


「と、とりあえず食事にするぞ。腹が減ってはなんとやらって言うだろ?」


 やや無理やりに食事の宣言をすると、三つの光の束をそれぞれアルゴルン、シシー、トレイルの頭上に合わせた。


「俺の合図で糸の中からベーコンエッグが降ってくる。しっかりと口でキャッチできたらそれでごちそうさま。だが、失敗したら猫の餌になるから気をつけろよ」


「なんだと?」


 説明の不足、と言うよりも説明そのものが理解できなかったアルゴルンは聞き返すように疑問を口にしたが、トレイルはそれを無視した。


「準備はいいか?」


「はぁ……これが済んだら白水の治療をするからね」


 呆れめるようにそれだけを伝えると、シシーは上を向き、大きく口を開いた。


「んじゃ、行くぞ」


 ひとかけらも理解できなかったアルゴルンだが、瞬間的に悟り、シシー同様、大慌てで大口を開く。

 三つの太陽が若者たちに口内目掛け、降下された。

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