第82話 遅れて登場する者にロクな者はいない
「私だっていますよ、トラス君」
頭部の激痛を抑えながら振り向くと、そこには優しげな笑みで拳を握り締めるガナスがいた。
「ガナス……さん」
「トラス君、私にはなぜ君が呪操師にこだわるのかわかませんし、仮に呪操師と言うものがどれほど君を惑わせる存在だとしても、君は呪操師を止めるべきです。それは大人としての忠告であり、ギタン君の心の内をひっそりと聞いた者の願いでもあります」
「ギタンの心の内……」
パチパチと銀色の雪のようなものが視界にちらつく中、トラスはギタンに目をやる。そこには口にしたくともできない悔しさを噛み締めるギタンがいた。
「君たちはモンスター・パニック後の荒れ果てた北部で生きていた。それは私が知ることのない過酷な環境なんだろうね。でも、だからこそ『呪い』なんてものに縋っちゃダメなんだ。ギタン君は呪いが悪だとアルゴルンさんに教えてもらい、それを断ち切ろうと君たちに会いにきた。辛い環境で汚れた仕事を行い生きてきたからこそ、君たちは豊かな土地で真っ当な仕事についてほしい。私は心の底からそう願っているんだ」
これほどガナスが心の底から呼びかけようとも、トラスは首を縦に振ることはなかった。
人生の大半を――いや、全てと言っても過言ではほど劣悪な環境で過ごしてきたトラスには、真っ当、豊か、と言った言葉はもはや夢物語でしかない。これまでも、そしてこれからもそれがなくて当たり前と考えているトラスには、ガナスの言葉はあまりにも壮大過ぎたのだ。
「もう、この道しか俺たちには残されてないんです……」
口に出した言葉は相手と言うよりも、まるで自分に言い聞かせるようだった。
「違う、おいらたちはまだやり直せるよ! 絶対に――」
「なにが絶対だ!」
なんの根拠も無いギタンの説得を怒号で制止するトラス。その表情は怒りと言うよりも、苦痛の感情に近い。
「そんな淡い期待を抱いて、俺たちが何年の間雪原を生き延びてきたか忘れたのか!? 凍え死にそうな俺たちを救ってくれた王への恩を、お前は忘れたのか!?」
「それは……」
『王』と言う単語が出た瞬間、ギタンは言葉を詰まらせた。
「俺たちのしていることが悪行だってことぐらい知っていた。アーシーも、ピシェだってな。知らなかったのはお前だけだ、ギタン!」
ギタンは言葉を失った。
自分だけが王と呼ばれる者のピエロで、それをトラスやアーシー、ピシェは知っていた。それでいてあえて教えてはくれなかった。
ギタンの純粋な心を壊さないようにとの、彼らなりの優しさであったのかもしれないが、ギタンにとっては自分だけが仲間外れであることの方が何倍も悲しかった。
「アーシー、武器をよこせ!」
間髪容れずにトラスが叫ぶと、アルゴルンの背後から黒い柄のナイフが弧を描くように跳んでき、地面に突き刺さった。
「無闇に振り回さないでよ。こんな悪い人じゃない人に使うような物じゃないんだから」
フードの中に納めた長髪を整えながらアーシーは忠告するが、トラスはなんの反応も示さなかった。まるで聞いてすらいないかのように。
「バンダナの剣士、そこを退け!」
ナイフを手にしたトラスは獰猛にアルゴルンを牽制する。その隙にカティン村側に取り残されたアーシーとピシェがこちらに来ると考えたからだ。
「断る」
頑固なまでにアルゴルンはその場を微動だにしなかったが、そんなことは想定の範囲内。この硬直状態の間に、あの二人がどうにかギタンの下まで行ってくれれば、後は目の前の相手を適当にあしらい、この場を離れるだけだ。
しかし、逃亡する前にトラスは一つだけ知りたいことがあった。それがトラスが動かない本当の理由なのかもしれない。
一度距離を取ったガナスは再度トラスの頭部を叩こうと思い、すぐにその考えを改めた。
トラスが至近距離を得意とするナイフを持っており、近付けば刺される危険性があると判断したのも原因だが、要因はあれ程トラスと意見の食い違いを起こしていたギタンが腕を掴んで放さなかったからだ。
互いの睨みあいが痺れを切らし、辺りにピリピリと電撃的な空気が流れ始めたと時、ガナス、ギタンの両名の背後からなにかを引きずるような音が聞こえてくるのに気付いた。
地面に叩きつけられ、擦りつけるように運ばれるその音にガナスは警戒し、ギタンは当然と振り向く。それは眩い光を放ち続け、こちらに向かっている。
光は辺りに影を作り、その影の形を見たギタンはますます首を捻った。
地面を駆ける一つの小さな影と、それに跨り光源の源を握り締める大きな影。
一見すれば、危機的状況に颯爽と現れた救世主に見えなくもないが、その小さな影に跨っている大きな影はその身体を少しも小さな影に預けることができておらず、乗りこなすと言うよりも、半分以上小さな影に引きずられているのだ。
ギタンの疑問は、徐々に面白おかしい笑いへと変わっていく。
そんな笑いに気を取られ、ガナスも一瞬だけの気持ちで振り向くと、思わずだらしない声が漏れてしまった。
「ト……トレイルさん?」
小さな影である大柄の三毛猫に乗っていた(引きずられていた)トレイルは急な停止に身体中打ちつけるように跳びだし、汚れや擦り傷なんかでボロボロになった全身をゆっくりと起こす。
「御苦労さん、猫。だけど次からはもう少し丁重にしてくれよ、頼む」
一頻り頭を下げ終わったトレイルは振り返り、ガナスの声に応えた。
「はい、実の方はなんとか確保しました。時期にルナさんが実を抱えてやってくるでしょう」
トレイルの言葉は、妻がケットウッドの森を一人孤独にさ迷っている。とガナスに広言しているのと同じだった。
途端に妻の安否を心配しだしたガナスは目の前の惨劇に目もくれずにトレイルの肩を掴む。
「妻は……ルナは大丈夫なんですか? 薄暗い夜の森に迷っていませんよね?」
今にもケットウッドへ向かいそうなガナスにトレイルは落ち着かせるように言う。
「大丈夫、時期に大所帯で戻ってきますよ。俺の方は本当に酷い扱いでしたが、それだけにルナさんの方は丁重に扱われます。それよりも……」
トレイルはガナスと共にいたギタンを横目で窺い、松明代わりに灯していた杖の先端の光を増やす。
「か……解呪師」
睨まれたと感じたギタンは恐る恐るトレイルを職名で呼び、瞼を薄めた。
「ここの一人と、そこの一人、後の向こう二人の計四名。それら呪操師の捕縛が先決ですよ」
そう言うと手にした杖に神経の全てを集中する。
杖は先端から全身へと光を増し、眩しさで目も当てられない程の光線と共に光の糸が飛び出した。
辺りが光の糸に薄眼の目線を送り始めると、糸は一度天高くに舞い上がり、急降下と共に四本に分裂し、それぞれギタン、トラス、アーシー、ピシェ呪操師四名を捕らえた。
「な、なんと……」
息をする間もなく変貌した風景と戦局に感嘆が湧き、誰に言うわけでもない驚きがガナスの口から零れる。
「トレイル、助かったには助かったんだが……これでは……」
剣を納めたアルゴルンは申し訳なそうな顔でトレイルを見るが、トレイルはそれどころではない異変を感じた。
杖越しに伝わっていた四人の感覚が忽然と消えたのだ。
閉じ込めたはずに光の牢獄の中を弄るように糸を何本か徘徊させるが、やはり中に誰も居らず、糸は虚しく空に触れるだけ。
「トレイル! トラスさんを放しなさいよ!」
光の牢獄から脱獄した四人の行方を必死に探り、考えていると、どこからか聞き覚えのある怒号が響き、ついトレイルは意識を杖から遠ざけてしまった。
「カティじゃないか! ここは危ないから、家に戻りなさい」
ガナスがルナを心配する時に見せる表情より、若干抑えめな心配顔で言うと、何よりも先に光の糸がトレイルの手元に戻っていった。
「え?」
トレイルを除いた三人が手品のような光景に声を揃えた。ガナスの忠告を光の糸が実行したからではなく、光の牢獄の中にいなければならない人間が誰一人としてそこにいなかったから。




