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第80話 姉妹

トラスが闇に溶け込んでから、カティはただ呆然とその場に腰を下ろしたままだった。

 目の前に見える大口に慣れ、西に存在していた太陽が無くなった夜にも慣れ、それでも去っていたトラスに頭が慣れていなかった。

 善でも悪でも、どちらでも関係のないトラスを想い描くと、自分自身の身体がどこか別空間に吸い込まれていくような感覚に陥り、必死になって逃れようとも、すぐにトラスのことを考え、再びなにかに吸収されそうになる。

 そうやって、放心したままのカティはその場を動くことや、トラスの逃亡を誰かに伝えると言った選択を考えることすら出来ずにいる。

 だが、それでは困る者は迷いながらも登場を決意していた。

 再度、土の大口が目の前のカティを食しようと大口を開き、中に出来た空洞から女性と少女が一人づつ現れた。


「え……ええ!?」


 悲しみに涙を流していた先ほどとは違い、正常な判断を行えるほどに精神が回復していたカティは二度目の出来ごとに今さら驚く。


「ええと……お名前を聞いてもいいかしら?」


 爽やかな笑顔と共に開口一番で質問を行ったアーシー。

 相手に土の中から現れた女。と言う悪印象を与えないように、思い切り軽いあいさつしようと策略したのだが、肝心の相手の名をトラスが口にしなかったため、根本から知るハメになった。


「カティ……あたしはカティ」


「カティちゃんか、あたしはアーシー。で、こっちがピシェ」


 唐突にバトンを手渡されたピシェは動揺し、おろおろと辺りに腕を伸ばした。最初は誰もいない虚空ばかりを掴んでいたが、次第にアーシーに近づき、黒いマントの裾を握ることができたピシェは勢いよくアーシーの背に隠れた。


「ピシェは恥ずかしがり屋さんなの、気を悪くしないでね」


 ピシェのおろおろにカティも負けず劣らず、ぎこちなく頷く。


「えっと、アーシーさんは……何者? 土人間?」


 その問いにアーシーは身も反り返るようなショックを受け、次にがくんと項垂れ、最後にカンカンと怒り、カティの肩を掴んだ。

 その一連の動作を見届け、カティのこの者が感受性豊かな者だと感じ、同時に悪い者ではないとも悟った。


「さすがに土人間は酷くない? トラスだって地中から現れたわよね? それなのにあたしだけ土人間なんて納得できない。せめてトラスにもその言葉を投げかけてよ」


 グワングワンと肩を揺さぶるアーシー。

 カティは目まぐるしく揺れる脳みそをなんとか動かし、思った。

 この人は面白い人だと。


「アーシー……この人、苦しそうにしてるよ」


 無我夢中で揺さぶっていたアーシーはピタッと腕を止めると、片手だけを眼前に立て、苦笑いと共に頭を下げた。


「あれね、あたしが何者かって聞きたかったのよね?」


 反時計回りに回転する頭に釣られる形で頷くカティ。若干、目が虚ろ虚ろとしている。


「なんて言えばいいかしら……そうね、トラスの家族。とかかしら?」


 自分の言葉に疑問を浮かべるアーシーだったが、虚ろとしていたカティの目がはっきりと冴える原因になったのは、家族と言う単語だった。


「か……家族!? アーシーさん、トラスさんのお嫁さんなの!?」


 あまりにも飛躍的な妄想を耳にしたアーシーは一瞬、目を丸くしたが、次の瞬間にはそこらじゅうをゲラゲラと笑い転げた。


「心の、って意味だと思う……」


 アーシーと言う隠れみのを失ったはピシェはポソッと付けくわえ、おろおろとした足取りで倉庫の中へ消えて行った。


「心の、って意味よ。あたしもトラスもなにもない所で住んでたから、毎日を助け合って生きてきたの。だから血はつながってないけど、あたしもトラスも、ピシェもギタンも家族ってこと」


 ピシェの囁きを聞いていなかったアーシーは土埃の中起き上がり、ダブったところも含め、しっかりと言葉の意味を説明した。


「そっか、そうなんだ……」


 なにもない所、を必死に思い浮かべようとしたカティだったが、自分の周りには常に猫がいる、と言うことを今さら気付き、そんな猫たちになにもない所の想像を邪魔されてしまい、結局、カティにはなにもない所すら想像することができなかった。


「っで、カティちゃんは?」


 自分の話が終わった途端、急にカティに急接近するアーシー。互いの鼻先がぶつかりそうな近さでニンマリと笑う。


「な……なにが?」


 皆目見当もつかない質問に首を傾げると、アーシーはニンマリとしていた笑いを更に歪ませて答えた。


「なにって、決まってるじゃない。カティちゃんがトラスのことをどう思ってるかってことよ」


 鈍器で殴れたような言葉に心臓が痙攣を起こすが、口元は案外早くに活動した。


「なにも!」


 怒声のような否定が辺りに響かせ、カティはようやくこんなにも心臓を激しく鼓動させているかに気付いた。


「そっか……そうなんだ、あたしって――」


「めっ!」


 アーシーはカティがそれ以上の言葉を口にしないよう、ピンと張った人差し指を唇に押し当てた。


「言わなくてもよろしい」


 アーシーは、楽しみにしていたプレゼントをあえて箱から出さずに、わかりきった答えをわくわくしながら想像するのが大好きな性格だ。

 逆に、心の内を言葉として発する時に得られる解放感を何よりの至福であるカティは重大な事実を途中で中断させられ、ヘソを曲げている。


「もっとお話ししたかったけど、そろそろ行かないとトラスがかわいそうだから」


 アーシーはそれ以上言わず、笑顔で手を降る、と言う単純な方法で別れを告げる。

 何度も左右に振られていた手は次第に方向を変え、倉庫を方を向くと、左右から前後への動きに変わり、ピシェを呼んだ。


「ピシェ、帰るよ」


 倉庫内からピシェの姿が見えるよりも早くに腕を下ろすと、おぼろげな足取りで現れたピシェの下まで行き、ギュッと腕を握った。


「さようなら……」


「さよならはこっちよ」


 カティへと向けられていると思える別れの言葉はカティのいる場所とはまったく違う的外れな方向へ向いており、アーシーはそんなピシェを身体全体の向きを変えさせることで直した。


「さようなら……」


「さようなら、ピシェちゃん」


 視線しかこちらを向いていないように思えるピシェの挨拶にも、カティはしっかりと返す。

 アーシーは一頻り、別れの挨拶を身守り、それが終わるとピシェの腕を取り、仲の良い姉妹のようにトラスが消えて行った方角へ歩き出す。

 ピシェも両腕でアーシーの手を強く握り、歩き難いほどに身を寄せている。

 二人の影が夜の闇に消え始め、カティは倉庫の中に戻ることを考え始めていた。シシーとシローになんと言い訳をしようか……、そんなことばかりが頭の中を占領し、良い案が思いつかないまま影から目線を逸らそうとした時、遠方から射し込む眩い光が瞳を襲った。

 あまりにも強い光源だった為、一瞬意識が遠退きかけたが、それをなんとか踏ん張り、カティは光の下に駆けた。

 激し過ぎる光の根源を知るために。そして、光の放たれた方角はアーシーにピシェが、何よりトラスがいるから。

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