第78話 悪人家族
空腹感が本格的な活動を迎え始め、埃に埋もれた木箱をまくら代わりにしている男は瞼を閉じていた。
寝息を立てているわけではない。だらりと木箱に靠れかかっているが、ピクリとも動かないその男は、まるで魂をどこか遠くへ送り届けているようだ。
メキメキ……。
なにかが軋む音と共に男は瞼を全開にし、辺りに細心の注意を払う。
コンコン。と、二度壁を叩く音が聞こえ、男も縛られた腕をなんとか振り回し、二度の合図を返した。
ベキベキ……。
軋むような音が更に酷くなり、獰猛な魔物がとても固い――木材でも噛み砕く音に変わる。
「お待たせ。トラス」
背後から聞こえてくる声にトラスは身体をくねらせて向くと、二人の女性と少女、それに一匹の土で出来た大口が夕暮れをバックに現れた。
木の壁があった場所には代わりの大口がムシャムシャと木片を噛み砕き、傍には黒いフードを鼻下までいっぱいに隠した少女がよしよしと大口を撫でている。
トラスよりもトレイルよりも、アルゴルンよりもシシーよりも年上の風格を醸し出している女性は徐に倉庫へ足を踏みいれるなり、蜂の群れにでも刺されたようなトラスの顔面に脇目も振れずに笑い転げた。
「おい、うるさいぞアーシー」
怒っているわけではないが、トラスの忠告にはあまりにも親しみが籠っていなかった。それでもアーシーと呼ばれる女性はトラスの忠告通りに口元を塞いだ。
「ごめんごめん、つい……ね」
それでも、込み上げる笑いを抑えきれないアーシーは、今にも笑いが爆発しそうな程プルプルと身体を震わせていた。
「大丈夫?……トラス」
土の大口を撫でていた少女は唐突に前転を繰り出した後で、トラスに容態を窺った。
「何ともない、しいて挙げるのなら腹が減った」
沈みかけていた笑いを再度爆発させたアーシーは、三度程トラスの肩を遠慮なく叩いた。
「こんだけ余裕があれば大丈夫よ、ピシェ」
ピチェと呼ばれる少女は心から安堵し、それを共有しようと土の大口に手を伸ばしたが、ピシェが前転を繰り広げたと同時に大口は土に帰っていた。
「痛いぞ……アーシー」
叩くと言うよりも、殴られたと呼ぶほうが相応しいアーシーの暴力に濁った瞳で反発するトラス。
それでも改心する様子など一向に見せないアーシーは、女性であるとは思えないほど、腹を抱えて笑い苦しんでいる。
「アーシ――」
文句ありげな表情を作ってたトラスは名前を言い終わる直前に突然と硬直した。
同様に、アーシーも他の器官に神経が伝わらぬ様、硬直し、静かに耳を傾けた。
「ピシェ……お願いね」
ギタンより一回り小さいピシェはインパクトさに欠ける小柄な頭を精一杯頷かせ、大口が開けた壁の向こう側に急いだ。
「絶対お前のせいだ」
「うっさいわね、男がつべこべ言わないの!」
アーシーは笑い声よりも一層うるさく感じる怒声を放ち、長髪の全てを押しこんだフードに腕を押しこむ。
ピシェやトラスとは違い、アーシーだけはフードで顔を隠すようなことはしておらず、代わりに地べたに触れてしまうほどの長髪をフードの中に潜ませている。だが、アーシーがフードの中に潜ませているのはそれだけではない。
髪の波を弄ることもなく一つの道具を取りだされた。それはナイフ、柄に黒いユニコーンが描かれたナイフ。
「死にたいんだったら動いてもいいわよ」
「あいにく、俺はまだ死にたくないんでね」
刃の部分にトラスの持っていた矢の先端の毒と類似した液体が塗られてあるナイフを躊躇せずに振るうと、トラスを拘束していた縄が溶け切れた。
「よく髪の毛の中にそんな物を入れようと思うな……」
引き気味にトラスが呟くと、即座にナイフの柄が脳天に激突した。
「うっさい」
一度だけでは怠らず、二度も三度も柄の角で殴打を行い、トラスのおしゃべりな口を閉じさせる。
「……いいよ」
柄の殴打する音にすら負けそうな、か細い合図が二人の耳に入り、トラスは縄を倉庫の隅に投げ、アーシーは液体の塗りたくられたナイフを髪の毛入りのフードの中へと隠した。
「ありがと。ピシェはえらいぞ」
よしよしと、優しい笑みを浮かべながらフード越しに隠れたピチェの頭を撫でるアーシー。だがトラスの方は嫌味な表情を浮かべ、「いいよ……」と呼ばれる先を見る。
「これに飛びこむ……か」
先にあったのは大口を開けた土の塊。倉庫の壁を喰い破ったものよりも一回り以上大きな大口が地面に張り付き、大口で獲物をひたすらに待っていた。
体積以外の違いは、最初に壁を喰い破った大口は地面から盛り上がるように山を描いていたが、こちらの大口は、あんぐりと開いた口内を除けば、唇の形などは全て地面に描かれているだけだ。
「トラスは……嫌?」
フードに隠された表情から唯一見えていた唇を揺らし、ピシェが悲しそうな声色で聞くと、トラスは陰鬱な顔を大慌てでと歪ませ、笑顔を作って見せた。
「い……いや、そんなことはないぞ」
「やっぱり、嫌なんだ……」
「いや」を別の意味でとらえたピチェは震える唇すら見えなくなるほどに俯いたが、アーシーはそれに構う暇もなく二人の背中を押しこむように、大口の中に飛び込んだ。




