第71話 少年は決意し
「……言い訳、聞いてくれよ」
「ああ、いいぞ」
額にバンダナを巻き直していると、ギタンはすっぽりと空になった天井を見つめ、昔話を始めた。
「寒いとこに住んでたんだ。年中雪が降るような場所で、食料もないし、街とか村とかも全部壊れてる。そんな場所で生まれて、一人ぼっちのおいらをトラスとアーシーが拾ってくれた。少ししてピシェとも出会って、家族が出来た」
単調で、具体性に欠ける説明であったが、アルゴルンはひたすらに耳を傾けた。
「生きる場所なんてなくて、獰猛な魔物に脅えるような暮らしを続けてたら、王さまがおいらたちを家に案内してくれたんだ。食べ物をくれて、呪いの勉強を教えてくれて、最後にこのマントをくれた」
なんの捻りもない真っ黒のマント。だがその背には例のマークが刻まれている。
「悪い人を懲らしめたら王さまがお金をくれたんだ。だからおいらたちは一生懸命に呪って、今日まで生きていた。だけどおいらたちが懲らしめてきたのは悪い奴だけなんだ。ほんとなんだよ」
「わかってる」
全て聞き、アルゴルンは少しだけ考えた。
それは単純に彼らの住んでいた土地。雪が降り続けり土地など南部には存在しない。あるとすれば……北部しかない。
だが北部は五十年前の『モンスター・パニック』で壊滅状態に陥ったとトレイルが口にしていたはず……。
「お前は、北部出身か?」
「……うん」
確認を取り、アルゴルンはこれ以上この少年を責める気になれなかった。
過酷な環境を生きてきたのだから、多少なりの悪行も仕方のないことだと、思ってしまった。そして、一度込み上げた怒りを根本にぶつけようとした。
『モンスター・パニック』だ。
それそのものが少年の心を捻じ曲げ、呪躁師という悪行に誘惑したのだ。
「ギタン、もう一度聞かせてくれ」
だからこそ、二度とこの少年に過ちを犯させない。
「仲間は今、どこにいるんだ?」
そう決意した。
だが、簡単にギタンが頷くわけもなかった。普通に考え、仲間の位置をばらすのは家族を売るのと同等か、それ以上の罪なのだから。
「言ったら捕まえに行くんだろ? みんなを」
なにも言えなかった。
とっさ的に口が否定の言葉を吐きそうになったが、開いた唇はビリビリと痺れるように痙攣し、偽りの言葉を黙らせた。
「捕まえない」と言えばそれは嘘になる。だが理由が最初の問いと今の問いでは全く異なる。復讐のためと、救済のため。アルゴルンはその違いをうまく言い表せなかった。
「……そうだ」
短く答えると、ギタンは頬を膨らませるように背を向いた。
寝息を立てているわけでもないのに、ギタンの後ろ姿からは、起きている者の雰囲気が出ていなかった。
「ギタン!」
「……」
声を掛けても、その身体はピクリともしない。一度剥れ、そっぽを向いた子供の機嫌を取ることがいかに難しいことか、アルゴルンには想像もできなかった。
だが、面と向かわせるだけの策ならあった。それは賭け。更にギタンの機嫌を損ねる結果となることも充分にありえる。
「ここに来る前、古聖獣を狙った呪躁師を一人掴めたところだ。名前はトラス」
それでも、アルゴルン言った。この少年のためと信じ。
「トラスが……!」
案の定、ギタンはこちらに顔を向けてきた。
獰猛な表情で牙を尖らせ、腕に、足に絡み付いた縄を引き千切ろうとする。それでも簡単に縄が解けるわけもなく、怒りに身を任せ、アルゴルンに唸りを上げる。
「トラスを返せ!」
「落ち着け」
アルゴルンの言葉も聞かずに、トラスはブツブツとなにかを呟き始めた。
それがなにか知らないわけがないアルゴルンは再度バンダナを解き、額の数字を見せつけた。
「くそ……」
悔やみながらも、ギタンは自分たちと同じ職の者が植え付けた呪いに目を背けようとはしなかった。
「恨みだけでお前の仲間たちを捕まえよう思ってるわけじゃない」
「え?」
「説得したいんだ」
もう一度、今度は口に出し決意を固め直す。
「なにを説得させるんだよ」
「過ちを、だ」
「それじゃあ、わかんねえよ!」
伝えられない苛立ちと、伝わってこない苛立ちが、負の螺旋を作り上げようとしたが、一匹、たったの一匹の介入によってそれは防がれることとなった。
毛並みの荒い猫がギタンのいるベットまで飛び、手近な鼻をガブリと噛み、そのまま大きく跳躍すると、アルゴルンの頭上に着地し、爪を立てた。
「あでっ!」
「っ!」
突然の痛みによって、苛立ちがどこがへ消えて行った二人は、痛みを逸らす様に元凶である猫を睨んだ。
睨まれた時には既に、アルゴルンの頭上から扉の前で気楽な笑顔を浮かべているガナスの肩に乗り移っていた。
「二人とも、そんな顔をしないでください」
ガナスはアルゴルンの呪いの範囲に入ることもなく、ギタンから呪いを受ける範囲にも入ることなく淡々と喋り始めた。
「申し遅れたねギタン君、私はガナス、ガナス・マナと言うんだ。カティン村で全身真っ黒だけど、股だけが真っ白の猫を飼っている、ただの猫好きなお父さんだよ」
ペコリと丁寧なお辞儀をすると、肩に乗っかっていた案内役の猫がバランスを崩した。高所から落ちそうになった猫は爪を立て、ガナスの肩にしがみ付く。そんな痛々しい行動にも、ガナスは気楽そうな笑顔を保ち続けた。
「真っ黒で白い猫……それっておいらたちが捕まえれるよう言われた猫だ……」
「なんだと?」
アルゴルンにとってギタンが漏らした情報は一点のみ、不可解だった。トラスが遠方から放った一撃は、シローを――古聖獣を仕留めるものではなかったのか?
しかし、今の言葉を聞く限り、呪躁師の本来の目的は古聖獣の捕縛であると聞き取れる。
「うん、外から会話は聞いてたけど、シロー――私の飼っている猫の名前ね。シローは君のお兄さんにいじめられて、怪我をしたんだ。それでこの人が君のお兄さんを捕まえた」
事実であると言う保証などどこにも存在しないと言うのに、ギタンは大きなショックを受けたらしく、謝罪の言葉を探す様に傾いてしまった。
「怪我のことは心配いらないよ、今この人の友達が必死に治療してくれてるから。それよりも、今の説明でこの人が一個人の恨みで君のお兄さんを懲らしめたわけじゃないって分かってくれた?」
傾いたままのギタンは、顔を上げようともせずに首を縦に振る。
確かに、一個人の復讐だけでトラスを傷つけたわけではないが、必要以上に痛めつけてしまったのは、アルゴルンが呪躁師と言う存在を酷く憎んでいるからである。
「場も落ち着いてきましたし、アルゴルンさん、後はお願いしますよ」
落ちそうになっていた猫を支えるように抱いたガナスは、アルゴルンにそれだけを伝え、ボロ小屋の外に消えて行った。
「ギタン」
「ん……」
「どんな理由があろうとも、誰かを呪うことは悪だ。お前たち兄弟――いや、家族はそれすらも気付けずにいる。だから俺はそんなお前たちを説得したい。呪躁師なんて止めろ。もっと真っ当に生きろ。俺はお前たち家族に、そう伝えたいんだ」
出し切った。どれ程の思いが伝わったのかはわからない。それでもアルゴルンは思いの全てをギタンにぶつけた。
「…………」
俯いたギタンはそのままの体勢を維持したまま、なにも喋ることはなかった。ボンヤリと沼地に張った水を眺め、その先にいる自分の顔を見続けた。
不意に訪れた突風が穴だらけのボロ小屋を通過し、ヒュウっと笛のような音を奏でる。その風はギタンが見つめる水面をも揺らし、水面の先に映った表情はグネリと歪ませた。
「……ィン村に行った」
「なに?」
「カティン村に行ったんだ。アーシーとピシェは。トラスの帰りが遅くて」
全てを吐き出し、ギタンが第一に感じたのは裏切りへの罪悪感だった。
口にする前は呪躁師に対しての罪悪感だったが、口にした後では家族を売ってしまったのではと言う裏切りへの罪悪感だった。
こんなにも胸の奥がズキズキと痛むのであるならば、最初から言わなければよかったと、頭のどこかで考えてしまうギタンだったが、アルゴルンが感謝の籠った笑顔をしながらワシャワシャと髪を撫でてきたせいで、少しだけ心が安らいでしまった。
「ありがとうな」
数秒も経たぬ内に遠ざかって行くアルゴルンに、ギタンも慌てて一つの決意を胸に刻み、アルゴルンを呼びとめた。
「おいらも行く!」
すでに扉の前まで来ていたアルゴルンは振り返り、聞き返した。
「なに?」
「おいらも行く、行かせてくれ。お前の言葉がおいらをわからせた。だからおいらも、おいらの言葉でみんなをわからせたいんだ」
眼差しは鋭く、しかし見ているものは目の前のアルゴルンではなく遠方で悪を働こうとしている仲間たち。
「信じていいのか、お前を」
「おう!」
力強く頷くも、アルゴルンはくどくもう一度聞いた。
「お前は呪躁師だ。お前をカティン村へ同行させれば、道中でガナスさんを呪うこともありうる。それでもお前を信じていいのか?」
「お前がおいらを信じなくてどうすんだよ」
「……それもそうだな」
微笑みと共にアルゴルンは剣を抜いた。水の流れのように軽やかに一振りを行うと、腕を、足を縛っていた二本の縄がはらりと解ける。
「行くか、ギタン」
「おうよ!」
合図と共にギタンは跳び起き、アルゴルンは勢いよくボロ小屋から外に飛びだしたが、ハッとなり立ち止まった。ベットから飛び降りたギタンはボケっと立ち止まっているアルゴルンの背中に、鼻から激突した。
「ハ、ハナが……なにボ~ッとしてんだよお前。ピシェじゃあるまいしよ」
「それだ……」
アルゴルンが呟くと、ギタンはギクリとたじろぎ、慌てて言い訳を考えた。
「いや……ピシェは妹みたいなもんで――」
「なにを言っているんだギタン?」
「……なんでもねえよ!」
なぜ怒鳴られたのかを疑問を思いながらも、アルゴルンはすぐに頭を切り替えるよう、前に出た。
「一つだけ忘れていたことがあった。名前だ。ギタン、お前に名前を教えてなかったよな?」
「そうだっけ?」
予想を遥かに下回るしょうもないことを打ち明けてくるアルゴルンに、ギタンは気だるそうに答える。
「そうだ」
だが、アルゴルンはそのことを重要視するようにはっきりと答え、背筋をピンと伸ばし、自己紹介を始めた。
「俺の名は、アルゴルン・セドルだ。お前の名は?」
「は? ギタンだって言ったじゃん」
危ない人を見るような眼でアルゴルンの顔を覗き込むが、その先に見えたのはニヤリと片頬を吊り上げる奴が一人いるだけだった。
「それもそうだが、それがお前のフルネームってわけじゃないだろ?」
してやった、と言いたげな表情でギタンの返事を待つが、思いがけない一言が返ってきた。
「忘れた。そっちの名前なんて向こうで生き抜くのに必要なんてなかったし、それを知っている奴も皆もういないし」




