第70話 善行(ぜんぎょう)
「これでいいですか?」
拘束道具である縄を持ってきていたガナスは、寝入っている呪躁師の腕を縛り、足を縛り、そそくさと毒矢を加えた猫を抱き抱え、距離を取るようにボロ小屋を後にした。
「ああ、後は俺がやる」
変わるようにボロ小屋に入ったアルゴルンはいまだに寝息を立て、気持ち良さそうに寝ている呪躁師に呆れた。
まずは起こすことから始めなければならないのだが、接近せずに寝入っている者を起こすのはなにかと面倒だ。
「おい、起きろ」
試しに声を掛けてみるも、むにゃむにゃと口籠るだけで起きる気配が全くない。
こんなことで大声を張り上げるのに断固拒否の姿勢を取るアルゴルンだが、他に方法が見つけられない。
考えに考えを重ね、ふと手にした剣が水面の奥深くに突き刺さっていることに気が付き、引き上げてみた。
泥は水面に顔を出すよりも前に掃われており、剣の表面に付着しているのは沼地の水のみ。これはいい、と瞬時に閃きを開花させたアルゴルンは、切っ先を呪躁師の真上に合わせ、水滴が落ちるのを待った。
一滴、二滴、三滴と滴が呪躁師の顔面に着地し、ついに深い眠りに陥っていた呪躁師は瞼を明一杯引き締め、そのすぐ後に開いた。
「ようやくお目覚めか」
「……ピシェ?」
「違う」
寝ぼけている呪躁師は身体を起こそうともせずに首を捻る。アルゴルンは短く否定し、剣を突き立てた。
「だ……誰だよ、お前……」
ようやく事態が自分にとって良くない方向に向かっていることに気付いた呪躁師は、立ち上がろうとする。だが、全身が縛られていることに気付いていなかったらしく、体勢を崩し、ベットから転げ落ちた。
水しぶきと共に呪躁師はもがき苦しむ。そんな姿を見て、アルゴルンは一人の人間としての良心を働かせ、溺れている者を救出した。
水中から引っ張り上げ、担ぎ、ベットに降ろしたことにより数秒のカウントが減り、呪躁師から距離を取りつつ舌打ちをするアルゴルンだったが、助けられた者は感謝の心に瞳を潤わせていた。
「助かったよ。ありがとな」
「どういたしまして」
あしらう程度に返事を返し、さっさと本題に入ろうとするが、呪躁師に先手を打たれる。
「ほんとに助かった。おいらはギタンだ。颯爽のギタンとでも呼んでくれい」
ギタンと名乗る男――いや、顔立ちや身長を見る限り、少年と呼ぶ方が相応しいだろう。ギタンはびしょ濡れでベットに横たわりながらも、ニカっと爽やかな笑顔を見せた。
「そうか。それじゃあギタン、今お前が置かれている状況を理解できるか?」
「うん? 絶体絶命だけど?」
言葉と理解が正反対に訪れたギタンは腕を、足を動かそうとし、ピクリともしない現状に今さら危機を感じ始めた。
「なんでおいら縛られてんの?」
これ以上丁寧な説明を行うのは時間を無駄に消費するだけ。と、アルゴルンはため息交じりに確信した。
「呪躁師を駆逐するため。と言えばわかるか?」
再度、水に浸かった切っ先をギタンの頭の上に合わせ冷徹に、そして簡潔に答える。
「……じょーく?」
「本気だ」
みるみる内に青ざめていくギタンだったが、泣き叫んだり、許しを請うような真似はしなかった。それはアルゴルンにとって、些細ではあるが、心に余裕を持たせる結果となっていた。
「みんなは……みんなは無事なの?」
冷静さを欠いたギタンが口走った言葉を、アルゴルンは見逃さなかった。
「みんな」とは複数であり、アルゴルンが知りうる呪躁師はトラスただ一人。それはここではないどこかに、ギタンの仲間が潜んでいることを意味する。
「その質問に答えてほしければ、『みんな』が今どこにいるか答えろ」
アルゴルンは剣を頭上に翳し、脅しに掛かる。だがギタンは刃物を突きつけられる恐怖だけで仲間を売ろうとは考えなかった。
むしろ、アルゴルンの問いを分析し、仲間が全員無事であると確信までしていた。
「ヤダよ。お前なんかに教えてやるもんか」
舌を突き出す。と言ういかにもな挑発を繰り出すギタンだった。
尋問。ということに慣れていないアルゴルンは剣を納め、一度話題を変えた。ギタンが仲間の情報を漏らすように試みようと思ったからだ。
「よほど仲間のことを信頼しているようだな」
「おうよ!」
青ざめから一変し、想像以上にギタンは元気よく返事をすると、自慢するかのように仲間の情報を漏らしだす。
「ピシェにアーシー、ついでにトラス。おいらたち四人は一心同体の家族みたいなもんだ! トラスはオマケだけどな、あいつ性格暗いだろ?」
「ああ」
ボコボコにした相手のことを話題に触れられ、何と答えていいのかわからず、つい相槌を打ってしまったが、トラスがカティン村で拘束されている情報を知らないギタンに対し、トラスのことを知っている前提で話すのことはミスだった。
「だよな!」
だがギタンは日ごろの欝憤を晴らすのに夢中だったためか、そのことに気付いてはいなかった。
「ピシェはいい子だ。おいらと同い年だけどすっごくいい子なんだ。アーシーはうるさいかな、ちょっと寝坊しただけでガミガミ説教するんだ。それからな――」
ピシェと呼ばれる少女、アーシーと呼ばれる――言動から推測するに恐らくは女や、トラスの悪口などを愉快そうに語り明かすギタンに、アルゴルンは本来の目的を忘れそうになるほど聞き入っていた。
「なあ、なんでお前は呪躁師なんてやってるんだ?」
会話の内容にピシェの名が多く登場することに気付き、アルゴルンはどこか微笑ましい気持ちになりながらも、ふと思い出した本来の目的を果たすため、目を合わした。
「え……?」
横たわるギタンの瞳の先にあったものは、『呪躁師』に関する質問そのものに対する疑問だった。
「そうだけど……なんで?」
「呪躁師とは人を呪う仕事。それは一言で言うならば『悪』だ。俺はそんな悪を目の前にしながら、見て見ぬふりができるような人間じゃない。だから聞いているんだ」
「悪? なんで?」
ギタンは露骨なまでに眉間にしわを寄せると、背を壁に腰かけるようにし、なんとか起き上がった。
「人を呪うことは、その者の人生をどん底に突き落とすことになんら変わりはない! お前だってそれぐらい覚悟の上で呪躁師になったんだろうが!」
「違うよ、お前間違ってる。おいらたち呪躁師は悪い奴なんかじゃない。だっておいらたちは悪い奴しか呪ってないもん」
善悪の区別すらつかない子供に、アルゴルンの怒りは頂点に達した。
「ふざけるな!」
バンダナを解き、額の奥に隠されたカウントをさらけ出したアルゴルンは、ギタンの胸倉を力任せに掴むと、カウントを焼きつけさせるように頭突きをした。
「これが呪いだ! お前たち呪躁師に刻み込まれた負の紋章だぞ! 俺はこいつのせいで穏やかな生活を奪われ、この身を誰も近寄らない霧深い森の最深部に静めたんだぞ! 俺は悪者か? お前は善者か? 答えてみろ!」
眼前に蠢くカウントを目の当たりに、ギタンの思考は回った。あちらこちらに命令を下し、アルゴルンの言った言葉さえなんだったか、わからなくなっていた。
「おいらは正しいんだ……だって王さまがそう言ってたんだ。『悪い奴を懲らしめろ』って。それで俺たちはお金を貰って、生きてきたんだ」
「それじゃあその口で宣言してみろ、『目の前の剣士は悪者です』ってな!」
「め……目の前の剣士は……わ……悪者…………」
言えなかった。
たった一度だけ、助けてくれたこの人物を、ギタンは悪者だとは思えなかった。
息をすることさえも忘れてしまったギタンの口をアルゴルンは掌でソッと包みこみ、口走るかもしれない言葉を塞いだ。
「わかった。もういい」
泣きじゃくる赤ん坊をあやす様に囁き、ギタンから距離を取った。
「俺は悪者なんかじゃない。そしてお前のしていることも全てが悪行ではない。そう言うことにしないか?」
ギタンは深く頷き、力尽きるように横たわった。




