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第62話 怒り任せ

「ゥ……」


 激痛の走る頭部に触れながら、吹き飛ばされるように地面に突っ伏していたトレイルは目を見開いた。

 脳みそがグラリと揺れる感覚のせいでうまく焦点が合わない。少しでもなにかに意識を集中させようとすると、吐き気が込み上げ、辺りの景色が真っ白に変わる。

 そのまま意識を白い景色に奪われるかと思った時、鼻先に冷たい感触が触れ、消えかけていた意識が少しだけ戻り、また消え始めた。

 触れた感触がなんであったか考える暇もなく消えようとする意識に、先ほど触れた感触と同じものが間髪いれずにトレイルの顔に襲い掛かる。

 そのおかげで徐々に意識をハッキリとさせていったトレイルは、次に目の焦点を合わせ、目の前の現状を見た。

 腹元から血飛沫を撒き、仰け反るシロー。

 ただ困惑し、倒れこむ猫を見つめるだけのシシー。

 言い知れぬ怒りを爆発させながら、村の方角を睨み続けるアルゴルン。

 激痛を吐き続ける頭を無理やりにでも捻り、現状を把握しようとするトレイルだが、頭から針が飛び出るような痛みに襲いかかられ、簡単な推測すらさせてもらえなかった。


「シシー……シローは?」


 考えるよりも行動することにしたトレイルは、痙攣けいれんを起こしている両足でなんとか起き上がり、シシーに声をかけた。


「それが……血が……血が出てて……」


 カタカタと震える唇の隙間から漏れ出るのはわかりきった答えだけ。肩にでも手を置き、励ましの一喝を送ろうとしたトレイルはフラリと倒れこむように一歩、歩いた。

 しかし、すぐに足取りは乱れ、受け身も取れずに前のめりに倒れてしまう。

 草と土の香りに混ざった血の匂いにあごを上げると、眼前に不規則な呼吸を行っているシローがいた。


「シロー……」


「……なんだ?」


 思いのほか落ち着いた様子で受け答えを行うシローに少々安心しつつ、それでも消えない不安を声にだす。


「大丈夫……じゃないよな」


「安心しろ、思ったより……痛みはない」


「感覚が麻痺してるんじゃないのか?」


 会話をしていくうちに、頭部の激痛が少しずつ和らいでいき、次第に吐き気も引いていた。


「かもしれんな。それに……出血が少々酷い。トレイルよ、余がどの部位を貫かれたのか見てはくれぬか?」


「わかった」


 合わせていなかった焦点をシローの願いを聞き入れるために合わせようとする。

 ボヤけていた視界に血まみれのシローの輪郭が浮かび上がり、目を逸らしたくなる光景と頭部に響く痛みが重なり合い、再び吐き気が込み上げてくる。

 それでも目を背けるようなことはせずに、必死にシローの全身を見つめ、貫かれた部位が腹元の下、マタジローと言う名の由来でも白い股元であることに気付いた。


「腹の下、白い毛並みの股の部分だ。もっとも今では真っ赤な股になってるがな」


「それは……酷い有様だな」


「とにかく、もう喋らない方がいい。シシーならちょっとした傷ぐらい治せるだろう」


 腹部を貫かれた傷が『ちょっとした』ものであるはずがない。それはトレイルもわかっていた。だが――だからこそトレイルはそんな嘘をついた。

 だがシローは、自分の股から漏れ出る『ちょっとした』傷に見向けもせずに、言葉を繋いだ。


「いや……今は余の傷よりも、遠方から矢を放った者を討て。そやつの目的は余ではなく、トレイル、お前だ」


「そんなことわかってる! とにかく口を閉じてくれ!」


 荒い呼吸を行うごとに、シローの股から漏れ出る液体が量を増していく。それを目にしていたトレイルには、シローの身を案じぬには居られなかった。

 それに、トレイルは仲間を信じていた。

 シシーもいれば、アルゴルンもいる。

 あの二人ならばきっと、遠方から矢を放った者ぐらい、透かさず捕まえだろう、と。


「トレイル……トレイル!」


 その考えが正しいものであると言い聞かせ様に、困惑しきったシシーがトレイルの肩を掴んだ。


「ア……アルゴルンが!」


 それに続く言葉はなかった。

 ただひたすらに村の方角を指差すシシーに、トレイルは頭部の痛みが完全に消えたことを確認し、目を凝らした。

 腰に掛けていた剣を引き抜き、奇声とも言える怒声を張り上げながら村に向かっていた。

 その先にあるのは二つの人影。

 一つは突然の出来事に涙を流しながら悲しむ者。凝らしてみるとそれはカティだった。

 もう一つは黒いフードに黒いマントで、困惑と申し訳なさを全面に押し出しながら、ただ突っ立ている者。それはトラスであり、その震えた腕には弓を構えている。

 呪いの間合いなど気にも留めていない様子のアルゴルンは、トラスとの距離を限界まで詰めると、大地を踏みしめ、閃光が通過するかのように黒いマントをひるがえした。

 気がつくとトラスは、手にしていたはず弓を失っていた。

 右手にはつるを握っており、左手には木片を握っている。

 だがそれらは全て弓の一部。他の部分は閃光の通過と共に消え去ってしまった。

 男の背に佇んでいるアルゴルンが、マントを翻すその一瞬に、弓を斬り崩したのだ。閃光のように大地を駆け、すれ違いざまに剣を一振りしていたのだ。

 だが、怒りに身を任せた代償に、弓を斬り崩したアルゴルンの掌からも、スルリと剣が飛んでしまった。

 互いに武器を持たぬこの状況で、トラスは困惑のまま佇み、アルゴルンは呪いに関して躊躇などせず、トラスに殴りかかった。

 器用さなど欠片も感じさせぬほど拳を限界まで捻り、普通なら簡単に見切られるような大振りの一撃を放ち、武器を失ったトラスはそれを避けなかった。

 避けようとはした。だが、底知れぬアルゴルンの怒りの眼差しに、足がすくんでいた。

 ドゴッ! っと、鈍い音が鳴り、トラスは宙を仰ぎながら倒れた。


「ちきしょう……ちきしょう!!」


 すでに視界がかすんでいたトラスは、なんとか起き上がろうと試みたが、すぐにアルゴルンが馬乗りになり、休むことなく――額のカウントを気にすることなく殴り続けた。

 馬乗りになってから、三発ほどでトラスは意識失ったが、アルゴルンは殴るのを止めようとはしなかった。

 顔の形が変わるまで殴り終わる気のないアルゴルンを止めようとする者はいなかった。

 カティからすれば、たとえ友人と呼んでいた人だったとしても、家族と呼び、共に過ごしてきたシローに致命傷を負わせたことは、許し難いことであったから。

 シシーは単純に、恐れていたから。一方的な暴力を振るい続けるアルゴルンを。

 トレイルは、わざと止めなかった。シローの手当てをしなければならないと言う理由もあったが、アルゴルンの拳が正しいものであると信じていたから。

 だが、いくら待てども終わらないアルゴルンの狂った拳に、トレイルも疑惑を感じ始めていた。


「……っ! 止めろアルゴルン!」


 そして、それが確信に変わった。

 アルゴルンがトラスの弓を斬り崩した時に微かに見えた、あの紋章が。それがアルゴルンの怒りの根源であると推測したトレイルは、シローの元を離れられずに、ただ叫んだ。


「止めろ!!」


 だが、いくら怒声を上げようとも、今のアルゴルンは止まらなかった。

 アルゴルンをその手で止めらなければ、しかシローを置いていくわけにもいかない。

 頭の中が爆発しそうな葛藤かっとうに、シローが優しく手を差し伸べてきた。

 言葉は発せずに、しかしその腕はトレイルを押していた。アルゴルンの元に迎えと言わんばかりに。 トレイルは深く頷いた。差し伸べられたシローの腕を深く握りしめ、その肉球の感触を肌に覚えてから、アルゴルンの元に駆けた。


「シシー! シローを頼む!」


 アルゴルンの恐ろしいさまに目を釘付けにされていたシシーは、それよりも遥かに感情的なトレイルの指示に目を覚まし、急ぎシローの手当てを始めた。

 アルゴルンまでの道のりは、トレイルにとってはあまりにも長いものだった。

 一歩、前に踏み出るごとにアルゴルンの拳は降り下されていく。


「アルゴルン!」


 殴られている男の顔が、本格的に歪み始めたころ、トレイルはようやくアルゴルンの元に辿り付き、そのままの勢いでアルゴルンを突き飛ばした。

 馬乗り状態だったアルゴルンの身体は突然の衝撃に、草地の地面を転がり回り、トレイルとの距離がギリギリカウントしない位置で止まった。

 強い衝撃を喰らい、ようやく正気に戻ったアルゴルンは、ギリギリ範囲外にトレイルがいるにも関わらず、額が鳴ることに気付き、辺りを見回した。


「あ……アルゴルン」


 すぐ後ろに佇んでいたカティと目が合い、アルゴルンは有無も言わずに横に飛んだ。

 額のカウントが収まった。


「トレイル……カティ……俺の」


赤く染まった自分の拳を見つめ、アルゴルンは呟いた。


「全部……俺のせいなんだ……」

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