第60話 古き偉人の遺産
シローは耳を澄ましていた。
子供たちからの連絡を今か今かと待ちわびていたが、結局トレイルがあることを提案するまで、連絡はなかった。
「アルゴルンを探すぞ」
前振りなどなく、唐突にその言葉が飛びだした時、シローは悔みの表情を浮かべていた。
「そう言えばいないわね。てっきり物影にでも潜んでるのかと思ってたんだけど……」
「俺たちが散り散りになってから、まだ合流してない。大方、猫たちにでも追われてるんだろ」
大した危機感も感じていないトレイルの口調に、こやつらはアルゴルンと言うものを相当信用しているのか、それともただ単無関心なだけのか、小さな疑問が湧くシロー。
「いや、その可能性はないだろう」
だが、シローの口から発せられた言葉は、そんな二人に多少なりの心配を与えた。
「どうしてそう言い切れるんだ? シロー」
トレイルの問いに、シローは肉球見せるかように腕を広げた。
「周りを見回せばわかる」
言われた通りに辺りを見回すトレイルとシシー。
だが、特に目を引く点はない。辺り一帯にトレイル、シシー、シローの二人と一匹以外の生き物など居らず、唯一不可思議な箇所があるとすれば、トレイルの背に位置する木の幹に出来た跡ぐらいだろう。
三角に近いに丸跡があり、その上に横四つに並んだ小さな丸跡――つまり肉球だ。
肉球跡を見つめ、シシーは微かな違和感を覚えた。
この肉球跡は、トレイルを襲い、シシーを追った大柄な三毛猫がこの木を踏み台に使用した際に出来たもの。
それはつまり……。
「……あ」
「シシーは察したようだな」
その言葉に焦りに焦ったトレイルは、出来る限りの情報を取得しようと、狭めていた視野を極限まで広めた。
そして気が付いた。
ここら一帯には先ほどまでシローの背で腰を降ろしていた猫が、一匹たりともいないことに。
「猫が、いない?」
「ようやく気が付いたか。お主の言葉の通り、今しがた我が子らには『もう一人』の捜索に向かわせていたところだ。余にとっての庭――ケットウッドの中にもう一人がいるのであれば、五分と掛からずに見つけられる踏んでいたのだが……いくら待っても子らから連絡が来ない」
罪悪感を抱いているのか、俯きながら言葉を並べていくシロー。
他人事であるはずのシローが下を向く理由などない。と、励ましの言葉を送ろうとしたシシーだったが、トレイルに先を越されてしまう。
「お前の『子ら』ってのを捜索に向かわせたのはついさっきなんだろ? ならまだ見つけられてないだけだよ。アルゴルンは影が薄いからな」
嘲笑するようなトレイルの笑いにも、シローは眉ひとつ動かさない。
「今し方ここにいた子らは強靭な子――つまり先陣部隊だ。庭を監視している子らは強靭な子らの十倍を居ろう」
この場に先ほどまでいた猫は二、三十ほどだろう。
そう考えると、トレイルはシローの子供の多さに驚愕し、同時にこの猫はかなり軽薄な男――もとい猫でないのかという、疑問の種が生まれた。
「それじゃあ、俺たちが散り散りになった時から、ずっとアルゴルンを探してたのか?」
だが、その疑問を口にすることは生命の危機にすら陥るかもしれない。と考えたトレイルはそれに触れることはしなかった。
「いかにも」
幸い、シローの方もトレイルの疑惑の瞳には気付いて様子だった。
「もう一人――アルゴルンとお主らが呼んでいる者が、真に影に身を潜めることを得意とする者であったとしても、数百といる我が子らの瞳の全てを掻い潜ることは不可能であるはずだ。余の考えでは、アルゴルンはすでにケットウッドから身を遠ざけているだろう」
「身を……?」
腕を組み、静かに長考するトレイル。
いまいち飲み込めていないシシーは、トレイルに助けを求めようとしていた。
「どういうこと?」
「そのままの意味だよ、アルゴルンはケットウッドを出た。てこと」
「どこに?」
「それを今考えてるんだ」
長考の邪魔になるシシーをシローの方に押しやり、改めてアルゴルンの所在を考えるトレイル。
厄介払いされたシシーは剥れながらも、トレイルの邪魔にならぬよう、静かに腰を降ろし、シローの頭を撫で始めた。
「シシーよ、しばしそのお守りを見せてはくれんか?」
「タリスマンを? いいけど……取らないでよね」
「ただ眼前でそれを拝んでおきたいだけだ」
その言葉に安心し、撫でていた腕とは反対の――タリスマンを巻いている方の腕を伸ばした。
「やはり……ガデオの遺品であったか……」
ガデオ。その単語にシシーはどこか古めかしいなにかを感じながらも、そのままどこかへと流してしまった。
「カティン村に戻るしか……」
独り言なのか、シシーたちにも伝えようとしているのか、そのどちらとも取れるようなトレイルの言葉に、シローは素早く同意した。
「それが得策だろうな。アルゴルンが余の庭を歩み通り越したとは考えにくい。ならばあやつの向かった先は、必然的にケットウッドの入口に位置する村、カティンのみ」
「あ……ああ、だな」
決まりの悪い返事を返すトレイル。
本心ではシローの言葉のような、深い考えがあってカティン村に戻ることを提案したわけではなく、単純に一度体勢を立て直すかどうか悩み、つい滑るように出てしまっただけの言葉であったからだ。
「よ……よーし、このままカティン村に直行だ!」
一人で勝手に気まずくなったトレイルは、カティン村を目指し、一人で勝手に駆けだして行った。
「行っちゃった……そういえば、シローはなんで家出なんかしたの?」
と、トレイルの向かった道を追うように歩いていたシシーが疑問を浮かべながらシローに聞く。
「家出とは失礼な、猫とは元々放浪する生き物なのだぞ」
放浪。その言葉にトレイルの姿がボンヤリと重なり、トレイルが旅を――放浪をしていることを再認識した。
そして、旅の解呪師の給料は無償にすら等しいと、ふっ切った笑いを浮かべながら口にしていたことも思いだした。
なぜトレイルは旅の解呪師を?
過去に一度だけ問いた疑問が再度湧き上がり、近くにでも問いただそうと、シシーは決意した。
「……それに、余は一週間ほど庭を散歩していただけだ」
付け加えるように口にした言葉は自然とシシーに耳に入った。あまりにも当たり前であると言わんばかりのその言葉に、シシーはつい相槌を打ち、そして驚いた。
「一週間も家を開けてれば、誰だって心配するでしょ。それにあんたの家の人は皆、あんたを本物の家族みたいに――」
思っている。心配している。愛している。
そんな言葉が頭に浮かび、口にする前に消えていった。
シシーには、今の言葉を口にするだけの自身と資格を持ち合わせてはいなかったからだ。
火炙りの際、両親は武器を手に十字の丸太を目指していた。村の掟に背き、娘を守るためではなく、村の掟に従い、娘を討つために。
あの日の、あの光景が思い出されることで、シシーは次の言葉を選ぶことができなくなっていた。
シローも口籠るシシーを待たずに、言葉を選んだ。
「……思ってくれている。とでも言いたいのだろう。たしかにそれは事実であるし、余もあの者たちを深く愛している。だが――」
二足方向しているとは言え、普通の猫の身長であるはずのシローの眼は、シシーの眼を対等に――もしくはそれ以上に高い位を示すように睨みつけた。
「失礼ではないか」
「え?」
自覚のないことを突然指摘されるシシー。
理解できずに困ったような表情を作るも、シローは甘えなど与えぬと言った態度でいる。
「二度だ。お主は二度余から瞳を逸らし、どこか遠くを見るように物思いに耽った。一度目はまだ疑問を解こうする程度のものであったが、二度目はただの悲観であった。余に限らず、誰かとの会話でそのような瞳をすることは、相手を侮辱していることと同じだ」
「……ごめんなさい」
己を悲観している最中だったシシーにとって、シローの説教はかなり堪えたようで、いつも以上にか細い声で謝った。
叱られたことにより悪くなり始めた空気。それを壊そうとするかのように、前方から人の形をした影が現れた。
影は全速力でシシーたちに近づくと、シローを踏むギリギリで急停止し、声を荒げた。
「どっちだ!」
影はトレイルだった。
全速力でカティンに向かったはずのトレイルが、全速力が舞い戻ってきた。
「カティン村はどっちなんだ!」




