第59話 猫の王
時は少々遡り。
トレイルが降り絞るように伝えた言葉の意味を、ケット・シーは毛で覆われた眉間にしわを寄せていた。
なぜこの者はユニコーンに――ユニコーンの角にこだわるのだろう?
難病の友を救うために万能薬とも表されたユニコーンの角を欲しているのだろうか? 果ては、貪欲に角を狩り取り、競売にでも掛け金儲けを考えているのだろうか?
あれ程切実に訴えかけてくる若者の真意が、後者であると考えたくもないシローは、ひとまず前者――もしくはそれに近しい理由のためであると、考えを落ち着かせ、トレイルに声を掛けようとする。
「お主――」
だが、いくらかの言葉を発すると同時に、人間には聞き取れないほどの高音の鳴き声が遠くから響いてくるのを感じた。
始めは非常に高く、徐々に音を弱らせつつ、一定の音程まで行くと、再び音を上げる。
波打つようなこの鳴き声は、目的を果たし、急ぎ帰還すると言う子供たちの合図であった。
「お主の名は?」
言い知れぬ悔しみのあまり、目尻に涙を溜めこんでいたトレイルは空を仰ぎ、意地を張るように涙を保ちつつ、答えた。
「トレイルだ」
シローは「うむ」と頷き、言葉を繋いだ。
「ではトレイルよ、お主の連れが一時もせぬ内にここへ来る。友の前で恥を掻きたくないのであれば、すぐにでも目元を拭うのだな」
言われた通りに衣服の裾で目元を拭い、トレイルは改めてシローに問う。
「アイツらは無事なのか?」
「いかにも。と言っても、ここへ出向くのは一人のみだ。もう一人がどこでなにをしているのかは、余にもわからぬ」
「どっちが来るのかは、明白だな……」
考えるまでもない結論に時間を使おうとはせず、もうすぐ来る者に対応するため、トレイルは自分の頬を軽く叩き、情けない表情を隠した。
「ところで……」
「む?」
「そこらじゅうに陣取ってる猫たちの形相が、怖いんだが」
シローから三歩ほど離れて場所で、綺麗に横一列を保ち続けている猫たちは皆怒っていた。声を上げぬように口元でだけを動かし、空の威嚇をする者や、今にも跳びかからんと腰を高く上げ、フルフルと震わせている者もいた。
「ム!」
喝を入れるような声色で猫たちを制止するケット・シー。
その猫と言うよりも、人間の叱り方に近い仕草により、周りの猫たちは小突かれのだと恐怖し、皆頭を引っ込めた。
「すまんな、皆お主の余に対する言動が気に食わんらしい」
「まるで王様みたいな待遇だな」
冗談交じりにケラケラと笑ってみると、意外にもシローは深く頷いた。
「いかにも、彼の地ではケット・シーとは猫の王と称されている」
「冗談だろ? こっちじゃ人間喰らいのケット・シーって異名が付いてるの……」
そう言うと、真っ黒の毛に覆われた顔面を真っ赤に染め直し、シローは激怒した。
主君への暴言を聞きいれた猫たちも怒り狂い、主君の号令を待たぬうちに突撃を開始していた。
「今の言葉、余に対する侮辱と受け取っても良いのか?」
荒波のように押し寄せてくる猫たちに揉みくちゃにされながらも、一筋の眼光から発せられた獲物を喰らい尽くす視線を、トレイルは確かに感じた。
怒り狂う猫たちからの鉤爪すらも、シローが発する視線を前にしては欠片ほどの痛みもない。ただひたすらに、シローの送る視線が恐ろしい。
「い、いや……」
恐怖のあまり、唇の隙間から漏れ出たのは擦れるような拒否の言葉のみ。多少の時間だけでも与えられたのなら、もっとマシな答えが浮かんだと言うのに。
「よろしい」
瞳で確認することが難しいほどシローは小さく頷くと、トレイルを踏み倒していた猫の群れも隊列を組み直すようにシローの背に回る。
だが横一列に並んだ猫たちの列に、どの猫も鎮座していない箇所が一つだけあった。綺麗に間隔を開けて並んでいた猫たちにとって、その場所は猫二匹分ほど空いている。人に例えるなら肩から肩へと続く横幅よりも少し広い。つまり人一人が通るに適した空きだ。
「どうやら、お主の連れが来たようだ」
合図を送ったわけでもない。それでもシローの言葉が途切れると同時に、空いた箇所から一番近い茂みが揺れた。
ガサガサと葉っぱ同士の擦れ合うが音が辺りに響き渡り、そこから一匹の猫がひょいと顔を出す。それに続くように何匹もの猫が隊列など気にも留めずに、しかし密集しながら現れた。
少しすると、密集している猫の背を敷き布団のようにし、寝そべっているシシーが見えた。安らか過ぎるその寝顔は、まるで棺の中で永眠に付いているのだと勘違いをしてしまうほど、静かだった。
「シシー?」
名前を呼んだ者がその本人であることは間違えようがなかった。だがトレイルはその名前を呼ばずにはいられなかった。それほど目にした光景が奇怪だったから。
「シシー!」
もう一度名前を呼ぶ。
今度は確かな確信を含むように叫び、肩を大きく揺らす。
「ん……トレイル?」
シシーがぼんやりと目を覚ますと、背の預けるようにここまで運んでくれた猫たちは一斉に散り始め、急に預けるものが無くなったシシーは地面に落とされた。
「よかった、少しだけ死んでるかと思ったぞ」
トレイルの言葉に、背中から地面に激突していたシシーは顔をしかめながら答えた。
「ホントね。あんたもあの世に来たんじゃないかって錯覚してたけど、どうやらそうじゃないみたい」
起き上がり、腕を大きく捻り、背筋に当ててみる。
ズキズキと背中が痛む。この痛みはたしかにシシーがこの世に留まっていることを教えてくれる。
「誰かが助けてくれたのかな? 誰かが……」
誰か……その誰かはたしかにいたはず。
気絶するまでの、ほんの数分の出来事を必死になって思い出そうとする。腕を組み合わせ、握り拳を額に当てながら考え、ようやく思い出した。
あたしを助けてくれたのは、霧の住民。夢の中でのみ現れるはずの住民。ジャズだ。
そこまで思い出し、自分は今まで気絶していたことを別の意味で理解した。
つい先ほどまでの夢の時間に、あたしはジャズに出会っていたはずだ。少なくともジャズの言葉が真実であれば。
だがシシーはなにも覚えていなかった。
霊友と化したジャズとの微笑ましい会話どころか、唐突に場面が変わる、意味のない夢すらも。
「シシー?」
三度目になるトレイルの名前を確認する呼びかけにも、シシーは答えなかった。いつ頃から夢を見なくなったかを、思い出すために。
そして気付いた。トレイルからツレツ木の木片を受け取ったあの日から、途切れるように夢を――夢の記憶を失ったことに。
「ジャズ!」
叫び、手首に巻いたタリスマンを睨む。
だがタリスマンは光り輝く粒を放出させることもなければ、懐かしき友の声を発することもなかった。
「ジャズに会ったのか?」
初めからジャズの存在を知っているかのようにトレイルは質問してくる。
シシーは何度も頷き、タリスマンを力強く握った。
「ジャズがいたの……あたしの知ってるジャズがいたの。だけど今はいない」
両の手で深く握りしめるシシーの様は、天に祈りを捧げることと何一つ変わらなかった。
「居らぬことがそれほどに心細いのか?」
トレイルが慰めの言葉を考えていると、不意にシローがシシーに声をかけた。
「猫? 喋る猫……」
「余の存在など今は微々たる事。真に知らなければならぬのはお主の心情のみ。もう一度問う、お主はジャズという者が傍に居らんと、心細いのか?」
「え……ええ」
猫と思えないほどのシローの威喝的な表情に、シシーは誘導させられるがままに頷いた。
「それはトレイルが傍にいてもか?」
「え?」
虚を付く質問に、シシーは固まった。
答えなどない。どちらも等しく、心を許せる友なのだから。
「お主にとってトレイルは友。それは余にもわかる。そんな友が眼前に一人いると言うのに、お主はそれに飽き足らず、いまだに貪欲を望むのか?」
「それは……」
「余にも友はいた。余と同じ古聖獣の友。人の友。だが古聖獣の友はいつの日からか、忽然と姿を消し、人の友は皆、天寿を全うしていった。余の友は長い年月を掛け、少しずつ減っていき、今では全身の毛から頬の髭ほどになってしまった……」
全身の毛はともかく、髭の数は、絵本に描かれているような左右にそれぞれ三本ずつの計六本などではなく、疎らにそれぞれ十数本は生えていた。だがシローが言いたかったのは「余には友が十数人はいる」ではなく「数えきぬほど居た友も、今では虚しくも数えきれる程しか居ない」であろう。
そんなシローの説教を受け、シシーは自分が酷く傲慢を欲していたのだと思い、つい謝罪の言葉を口にしかけた。
だが、トレイルはその考えに賛同しなかった。
シローの頬から生えた髭を一本だけ掴むと、シシーがしていたように、もう片方の髭も一本だけ掴み、徐に引っ張った。
「古聖獣の感性を人間に植え付けようとするな。シシーはただ、会いたい奴に会いたい。そう願っただけだろ? それを他人にいけないことです。だなんて言われる筋合い、古聖獣にだってないはずだろ?」
髭を引っ張られたシローは、暫しの呆気に取られていたが、再度怒りを頂点に達した猫の群れがトレイルに襲いかかろうとするのを感じを、大急ぎでそれを止めた。
「酷く……我儘な願いを口にするのだな、お主は……」
「まあな」
方頬のみを吊り上げ、余裕を表す微笑みで頷くトレイル。
「だが……良き童心も持ち合わせている」
「褒め言葉……って受け取ってもいいのか?」
「無論」




