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第58話 小さな迷いと大きな代償

 トレイル救出から呪躁師捕縛に目的を変えたアルゴルンとカティは、すぐにトラスを発見した。

 フラフラと、まるで目でもつぶっているかのようなはっきりとしない足取りは、目的の場所に到着するのに、倍の時間を掛けることになる。

 そのおかげで、男がカティン村に到着するよりも手前で見つけることが出来た。だが、カティははやる気持ちをアルゴルンに抑えられていた。


「ねえ、本当に駄目? 駄目なの?」


「駄目だ。お前が『呪躁師』と言う単語を口にしただけで、奴はお前を呪うかもしれない。その可能性があるうちは、俺が許さない」


 それに関しては、譲る気などひとかけらもないアルゴルン。


「ならどうするのよ? 村の誰かが呪われるまで長々と草影に隠れている気じゃないでしょ? そうだよね?」


 いつの間にかカティの言葉は、トラスが呪躁師であることを前提にしていた。だがカティ本人もそれに気付かず、またアルゴルンもそれを気にしてはいなかった。


「当たり前だ。もしも奴が誰かを呪う素振りをみせたのなら、それが完了する前に俺が奴を止める。それに、俺にだって策ぐらいある」


「策? どんな策? ねえどんな策?」


 興味津々といった表情で顔を近付けてくるカティに、アルゴルンは迷惑そうな表情で距離を取る。


「呪躁師には決定的な弱点がある。いや……正確には呪われた者だけの特権と言うべきか……」


「早く! 早く!」


 正確な呼び名に戸惑っていると、カティは相手のことなどお構いなしにずいずいと急かしてくる。


「わかったわかった。呪いとは一人の人間に一つしか憑かない。つまり、俺の身体に『ボム・チェンジ』の呪いがある限り、俺が呪躁師に呪われることはない!」


 思い切り豪語するアルゴルン。


「おお!」


 そしてそれに感動するカティ。

 以前、トレイルの口から聞いたことがあるだけの情報だったため、本来なら豪語できるほどの自信などないのだが、ここで少しでも疑問の色を混ぜてしまっては、カティがなんと言い出すかわからなかったため、アルゴルンは確信したふりで言い切った。


「それじゃあ、アルゴルンが聞いてくればいいじゃない! あなたは呪躁師ですか? って」


「ううむ……」


 カティの口から飛び出る妙案に、あまり乗る気ではない返事を返すアルゴルン。


「そう……だな、それもいいな……」


 自分に言い聞かせるように呟いていると、カティがずいっと顔を突き出してきた。


「ね! ねぇ!」


 毎度のように、他人の――アルゴルンの呪いなど気にも留めないカティから一歩距離を取り、アルゴルンは深く長考する。

 妙案ではある、だがあの男と対峙し、果たしてアルゴルンは冷静でいられるだろうか? 幸いにもあの男――呪躁師は故郷でアルゴルンを呪った人物ではない。だがそれだけだ。奴は呪躁師であり、アルゴルンはそれに呪われている。

 深く長考していると、カティの息を潜めた怒号が耳に侵入してくるのを感じた。


「アルゴルン! トラスさんが村の中に入っちゃうよ!」


 急ぎ、村の方向に目を向けると、トラスはすでにトレイルが読み取っていた看板の前を通過していた。


「止まれ! 止まれトラスさん!」


 カティの願いも虚しく、トラスはフラフラとした足取りを保ちつつ、村の中に入っていった。


「仕方ないな……声をかけるのは奴が村を出た時だ」


 アルゴルンは動けなかった。ここでトラスを村の中に追いやれば、問題を先送りにすることができる。そんな考えを頭の中で囁かせてしまったことにより、アルゴルンは村の住民を危険に晒すことで時間を稼ぐ道を選んだ。

 そもそも、カティの妙案に渋い顔をして見せたのも、ただ自分の呪いのカウントが減るのを恐れただけなのではないだろうか?

 コルンタ村でも、呪いのカウントを恐れてしまったことが事態をより複雑に絡ませてしまった。

 考えれば考えるほどに、アルゴルンは己をいましめる答えしか出せなかった。


「よし! あたしがトラスさんを呼んでくるから、アルゴルンは村の入り口で待機してて」


 妙案だった。

 村の人を危険に晒してまで生みだした長考の時間を、カティはいともたやすく考えだした妙案により、打ち砕こうとする。

 断る暇も、なにかしらの欠点を指摘する暇も与えられずにカティは草影から飛び出すと、脱兎の勢いで村へと姿を消した。

 そんなカティの後ろ姿になにができるわけもなく、だがここでくすぶるわけにもいかないアルゴルンは、カティに言われた通り、村の入り口まで足を運ぶことにした。




 足取りは軽やかと呼べるものではなく、むしろ重力に抑えつけられているかのように重い。

 入口で待て。と言われたものの、カティン村の正確な入口がどこなのかアルゴルンには見当もつかなかった。

 首都にあるような鋼鉄で出来た門が建てられているわけでもなく、都合よくそこらに「ここがカティン村入口」と書かれた看板が立て掛けられているわけでもない。

 あるとすれば、民家の密集している地帯からいくらか遠くに建てられた、猫への崇拝的な愛情がつづられた看板だけ。

 これと言って明確な入口を見つけることができなかったアルゴルンは、とりあえずと孤独に佇んでいる看板の前に腰を降ろした。

 足首にすり寄る猫もいなければ、話しかけてくる人間もいないこの看板の前で、限られた時間の中を駆使し、考えるべきことだけを考えようとした。

 本当に今考えるべきことは、呪躁師を退けることではない。ここで呪躁師を退けことに意味はなく、いずれ訪れるであろう事態を遅らせるだけの結末――あるいはそれ以上に最悪と言える結末を呼び寄せてしまう。たとえ呪躁師と対峙し、怒りに身を任せ呪躁師を切り捨てたとしても、それは最悪な結末でも何でもない。

 だが、いくら自分にそれを言い聞かせたところで、それを実行している自分を想像してしまえば、その身は恐怖にすくんでしまう。

 狂気に自我を失い、カティの大切な友人を危めた自分を、恐れながらもさげすむ者たちの目にアルゴルンは耐えられない。

 共に旅をし、呪いの痛みを共有しているシシーにそんな瞳を向けられることは、辛く苦しい。

 共に旅をし、呪われた自分に図々しくも繊細に距離を詰めてくれるトレイルにそんな瞳を向けられることは……イヤだ。

 最底辺の結末を描き終わり、ようやく自分が最も考えるべきではないことを考えていることに気付いたアルゴルン。

 無理やりにでも強く頭を振るい、呪躁師と対峙した際、己が至ってまともであることを想定しようとする。

 トラスが自分から本性を表す可能性は低い。だが、こちらから突き付けるように貴様は呪躁師である。と宣言すれば幾分かは動じるはずだ、その一瞬の隙に有無も言わせずに意識を奪えば――。


「アルゴルン?」


 二つの声が重なるように耳に入ってくる。

 一つは男、もう一つは女。

 そのどちらともが聞き覚えのある声で、最初アルゴルンはその声に鬱陶うっとうしささえ感じた。それはまるで、故郷に住んでいた時の――毎日飽きずに声を掛けてきたあの女性のような……。

 次に感じた期待のようなものを胸に抱きながら振り向くアルゴルン。

 完全に振り向いた時、頬を通過した微かな風と、後から襲う鋭いに痛みに、奇妙な寒気を覚える。

 その悪寒は、すぐにそれが現実のものとなった、とアルゴルンに教えるかのように眼前で液体を撒き散らした。

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