第57話 見え透いた嘘
右を向く。曲がりくねった奇妙な木がある。
左を向く。木から垂れたツタが眼前にあり、一瞬蛇かと勘違いした。
後ろを向く。当然と今まで歩いてきた道がある。
だがカティがいない。
ぐるりを首を回してみたり、空や地面を見回してみたりもしたが、カティの姿はどこにもない。逸れてしまった……。
数分前までは自然な嘘をつき、それを簡単に信じていたカティを横目で眺めていたのだが、少し目を離した隙にカティはいなくなってしまった。
いや……こう言う場合はアルゴルンの方が迷子になった、と言う方が正しいのだろうか? ともかく、一人では危険と言う建前もありつつカティに同行したのだが、そのカティをアルゴルン自身が一人にしてしまった。
自分自身の迷子よりも、カティが一人でいることに危険を感じる。
「カ、カティ……」
怒声を張り上げて名前を叫んだつもりが、アルゴルンには『大声』が性に合わないらしく、どれほど腹に力を込めても、喉元を過ぎる頃にはか細い声に変わっていた。
何度目かの呼びかけで、アルゴルンは声を上げてのカティ捜索を止めることにした。これ以上の大声を出すことは無理だと判断し、こちらではなくあちら――カティの方が大声を上げてくれることを願い、耳を澄ました。
「……うん……まだ……」
目を閉じ、そっと耳元で掌を広げると、どこからかカティの声が聞こえた。
アルゴルンの名前を叫びような口ぶりではなく、誰かと会話をしているような喋る方だが、それほどの声が聞こえると言う事はそう遠くはないはずだ。
瞬時にどの方向から聞こえる声か推測し、透かさずその場所まで足を速めるアルゴルン。もしもカティがあの強靭な猫たちと対面したとすれば、カティは恐らく……いや高確率で猫たちに会話を持ち掛けるだろう。
「……うか……」
その可能性が頭を過る頃に、もう一つのカティではない声が聞こえた。
女性とは思えない声の低さではあるが、トレイルやガナスの声でもない。初めて聞く声。無論、図々しく頭の上に乗っかってきたあの猫でもない。
草木を退かすように前へ前へ進むと、眼前に――頭の数字がカウントしてしまいそうなほどの近距離にカティがいた。
「あ! アルゴルンみっけ」
追い打ちを掛けるように、カティは指をアルゴルンに突き出した。ピンと伸ばされた指先に本能的危機を感じたアルゴルンは、頭で考えるより先に身体を後方に飛ばす。
幸いにも、呪いの範囲に堂々と侵入してきた指先に額の数字は反応せず、ホッと胸を撫で降ろしてから再度前を向くと、シシーの他に見知らぬ男がいた。
男は黒のマントに目元まで覆ったフードで全身を包み隠しており、フードの隙間から零れるように見えた瞳はどこか虚ろとしていた。
「では、俺はもう行くとするかな……」
独り言のように呟き、男はふらりふらりと倒れかけるような歩き方でアルゴルンの来た道を進んで行く。カティはそんな男の後ろ姿に明一杯、腕を振るって別れを告げていた。
アルゴルンは男の奇妙な歩き方に疑問と言うよりも心配に近い目で見つめていたが、男の後ろ姿に思わず言葉を失った。
ヒラヒラと靡くマントと、その背に掛けられた足のつま先から頭の旋毛ほど長い大弓。そしてそのマントにも、その大弓にも刻み込まれた憎悪のシンボル。
一角を生やしたユニコーン。
瞳は血走り、ガタガタに震えた腕は無意識に腰に下げている剣を握りしめていた。
「あの人はトラスさんって言う人で、あたしの村の人じゃないのに何日も前から村に足を運んでシローの捜索も手伝ってくれて……? どうしたの、アルゴルン?」
自慢するかのような態度から一変した、心配そうな表情のカティの問いかけにアルゴルンはハッとなり、気付かぬ間に半分以上抜いていた剣を静かに納めた。
「感謝する、カティ……」
なにに感謝されたのかわからなかったカティだが、とりあえず笑顔で「どういたしまして」と返した。
カティがいなければ、アルゴルンは自覚のないままに、あの男の喉元を斬りに掛かっていたかもしれない。落ち着くように深く深呼吸を行い、改めてあの男への憎悪を膨らませた。
「ねえねえ、どうしたの? なにがあったの?」
「いや、なんでもない……」
あの男が呪躁師である、と伝えたところでカティに一物の不安を抱かせるだけと――そもそも信じてもらえないかと考え、アルゴルンはまたも嘘をついた。
「怪しい……」
その事は嘘を付いているアルゴルンに向けてなのか、漆黒に身を染めた呪躁師に向けてなのか、どちらにせよその一言でアルゴルンの表情は微かに強張った。知られてたくない秘密ごとが明るみに出た時の顔だ。
「……」
喉元まで出ていた言い訳を唾ごと飲み込むアルゴルン。これ以上の嘘はボロが出るような気がしてならなかったからだ。
「もしかして……もしかすると……トラスさんが呪躁師、だったりして?」
「……ッ!」
無邪気な笑顔を浮かべながら「なんてね」と言うつもりだったが、アルゴルンの秘密事を暴かれてしまったと言わんばかりの驚きに、カティから笑みが消えた。
「ほ……ほんとに?」
いかにも、と頷いてしまいそうなほどの完璧な回答に、アルゴルンから答えるべき嘘が跳んで行った。
だが、カティの問いは、信じられない――信じたくないと言った想いも込められており、ここで言葉をうまく選ぶことが出来れば、カティはあの呪躁師になんの疑問も抱かないであろう。
アルゴルンは出来る限りの平常心で自然な嘘を吐こうとした。
「違う!」
だが、自分でもギクリとするほどに、その嘘には墳怒の念が込められており、今の言葉は嘘であると自ら暴露しているに等しかった。
「……」
疑惑の視線を送りながらも、カティなかなか口を開こうとはせず、これ以上嘘を押し通すことは困難になったアルゴルンも、これ以上呪躁師に関しての情報を漏らしてしまうことを恐れ、口を閉じる。
カティには――いや、自分以外の誰にも関わって欲しくなかった……呪いと言うものに。
「信じたくないよ……」
口に出さないことが、返ってカティの直感を鋭くしてしまったらしく、一人で頷いたカティは身体を向いていた方とは真逆――男の進んでいった方向に、男の歩き方に反するように力強く振り返った。
「どこへ行く気だ?」
「決まってるよ、トラスさんに聞きに行く」
「……ッ! 止めろ、俺の言った通り、奴が本当の呪躁師だったらどうする? 呪われるかもしれないんだぞ!」
「それでも行く。もしトラスさんがあんたの言うとおり呪躁師だとしたら、村の皆が危ないもん」
「アイツはカティン村に向かったのか?」
力強く頭を頷かせると、カティは次の返事が返ってくるよりも早くに男の軌跡を辿り始めた。
「カティ!」
はぐれてしまった時に発していたか細い声とは比較にならないほどの大声で、急ぎ村に向かおうとする者を呼び止めるが、カティは振り返りも、返事もせずに木々が生い茂る道を歩き続けた。
本来ならばトレイルを探すのが先決なのだろうが、ここでカティを放っておけば森を抜けるまでに猫たちに襲われる危険があった。
それに、このままではカティは村に戻り、呪躁師に事の真意を聞くだろう。そうなれば、知られてはいけない秘密を暴かれた呪躁師はカティを拉致するか、その場で呪うはずだ。
最悪、村に住んでいる全ての住民を呪うことすらあり得る。それほどに呪躁師は危険で、特にあの男の虚ろとした瞳は、善悪の区別すら、ついているか定かではなかった。
「待て! 俺も行く」
「なんで? トレイルを助けるじゃないの?」
「アイツなら一人でも大丈夫だろ。今危険なのは呪躁師の動きだ」
根拠のない自信を張るアルゴルン。だが嘘を吐いているような罪悪感に囚われることはなかった。心の底から、トレイルのことを信頼しているからこそ言い張れる言葉だった。
「……うん」
カティはなぜ大丈夫なのか理解できず、だがそれを聞こうとはせず、共にくるアルゴルンを受け入れた。どれほどトラスと名乗る人物と仲が良いとはいえ、カティは呪躁師と言う存在に一物の恐怖を抱き始めていた。それが故にカティは、アルゴルンの提案に承諾したのだ。
男の歩んで行った道を辿るカティは、前を向きながらも後方で距離を取っているアルゴルンを見つめるように呟いた。
「トラスさんは真剣にシローを捜してくれた。本当に真剣に……。まるで失くしてしまった大切な物でも探すような目つき。今思えば、あの眼はちょっと怖かったな……怖かったよ」




