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第55話 光の霧

 その光はまるで解呪用の杖の先端から伸びでる、光の糸のように白く輝いていた。

 白木タリスマンはむやみやたらにその光を辺りに飛ばそうとはせずに、霧状とも言える光の粒たちを隊列のうまく作れない子供のようにぶつからせながら、慌ただしくシシーを包みこんだ。

 光の糸との決定的な違い、それは光力。光の糸の集合体――光のまゆはその内部にいる者はもちろん、外部からそれを目にした者すら気絶させるほど圧倒的な光力を持っていたが、光の粒の群れで構成している、言わば『光の霧』はランプの中でほのかな明かりを生み出している蝋燭ロウソクの灯し火に等しい。

 それでもそこは、光の繭と同じ『白い空間』だった。

 目を見開いたところで光の霧が眩しいと感じることはなかったが、内部に覆われたシシーは驚きに目を擦るながら、辺りを見回す。

 視覚を封じられていない猫たちにとって、光の霧に突撃し、シシーを引きづり出すことなど容易かったが、未知の物体への警戒心からか、毛を逆なでにしながら唸るしかできなかった。

 シシーからしても、突然その身を覆いだした未知の光に驚きこそしていたが、この光の霧はトレイルの放つ光より遥かに劣っていたため、頭の中が真っ白になるほどの混乱はしていなかった。


『う~ん……とってもピンチみたいだね、スィスィル』


 だが、突然目の前から聞こえてくる懐かしい声と、霧の凝縮によって形作られた『なにか』の出現により、ついに頭の中がパンクし始めた。


「え、なん……で? じゃ……ジャズ?」


 目の前に突如現れた霧の凝縮体は、簡単な人の形から徐々に表情などの細かな部分を変化させていき、やがて故郷で死んだはずの友人――ジャズの姿になった。


『酷い……毎晩夢の中で楽しく話してたじゃないか……』


「え? え……?」


 ジャズの輪郭を描いた霧は、悲しむように眉間にシワを寄せたり、剥れるように頬を膨らませたりと、まるで生きていたジャズのように多様な表情を見せつける。

 それがシシーをますます混乱させる。

 確かにジャズは火炙りに遭ってから、縛られるように黒色をした白木に取り憑いていた。だがそれはシシー自信が白火よって浄化され、その魂は解放されたはず。


『もしかして……忘れたの?』


 初めから記憶にないことを忘れているのか? と聞かれ、どう答えていいのかわからず、シシーは硬直した。


『夢は忘れやすいとも言うし……まあいっか』


 案外簡単に割り切ると、緩んでいた表情周りの霧を少しだけ絞めた。屈みながらシシーの手を優しく取ると、手首に通したタリスマンを示す。


『簡潔に言うよ、僕がこうして目に見えるほどの形をかたどっていられるのはこのタリスマンの中に僕の魂の欠片――ツレツ木の木片が入ったからだと思う。いや――そうとしか考えられない。このタリスマンになんの加護とか、なんの魔法が掛かっているとかまではわからないけど、とにかくこのタリスマンの中にツレツ木の木片が入っている限りは、僕はいつでも出てこられると思っていいはずだ』


 まだこのジャズが本物かどうかの判断すら付いていないシシーにとって、今の言葉がどれほどの意味を持っているか、まだ理解できなかった。

 ただ気になるのは、このジャズが本物である証拠のみ。


「ちょ……ちょっと待ってよ、あんたは本当にあのジャズなの? 火炙りの時のあんたはあんたじゃなかった。別人だった。今度もそうやってあたしを騙そうとしてるんじゃないわよね?」


 自分でいい放っておきながら、シシーは自分が嫌になっていた。大嫌いな故郷で心を許せる数少ない友人を疑う自分が。

 ジャズはなにも言い返さずにジッとシシーの瞳を見つめていたが、やがて目線を逸らした。気まずさが故の行動でもあったが、なにより光の霧の外で待ち構えている三匹の猛獣が動き始めたからでもあった。


『僕はジャズだ。だけどそれを証明する時間はない。もう猫たちが痺れを切らして跳びかかってきそうなんだ。光の霧は僕自身と言っても過言じゃないけど、トレイルくんの光の繭みたいに物理的な硬さはこれっぽっちもないんだ。もし猫たちが跳びかかってきたら……』


 ジャズを構成していた霧がまた変化する。まるで歯を食いしばっているように霧全体が震え、それに合わせてジャズの身体がぼやける。


『僕の霧で猫たちの視界を遮ってみる。それがうまくいったら一目散に地上に上がるんだ。いいね?』


 ジャズの身体から輪郭が消え、見えなくなった口元から微かな声が聞こえた。


『これで……僕が本当の僕であると認めてくれたら、嬉しいな……』


 声をかける暇すら与えられずに、辺りから光の霧は消え失せ、シシーは白い空間からもといた地下の空間に戻された。

 真っ白に輝く空間からの突然の解放に辺りは酷く暗く感じられたが、逃げるべき道だけはしっかりと目に入った。

 見上げた先の光。

 日の光こそがシシーの行くべき道であり、暗闇から少しの間離れていただけで光りを目指す習性をシシーは手に入れていた。

 光の霧に覆われ、安定しない視界の中を暴れ回っている猫を避けるようにシシーは腕を伸ばした。地上の土を掴み、鍛えてなどいない腕に渾身の力を込めて地下の空間から頭を突き出す。


「うそ……でしょ?」


 目の前に広がる地上の光景は、シシーにとって絶望そのものだった。

 死したはずの友人の力を借り、なんとか猫たちから逃げ切れたと思いきや、広場を埋め尽くすほどの数の猫たちが待ち構えていたのだ。

 前も、後ろも、果ては遠くの木の上からも猫たちはシシーを睨みつけている。逃げいる隙は針の穴すら存在しなかった。

 絶望し、掴んでいた腕を放したシシーの身体は再び穴の中に引きずり込まれる。シシーは受け身すら取らずに地下の空間に閉じ込められた。

 今度こそ一巻の終わりだと確信したシシーは、呪文を唱えるためではなく、全てを諦めるようにまぶたを閉じた。


「ニャオン」


 広場を覆うほどの猫たちのいずれかが鳴いた。

 トドメを刺すための一斉突撃の号令だと悟ったシシーは、静かに、受け入れんと、その場を微動だにしなかった。

 恐怖がないわけはない。やり残したことや、別れたくない人たちは数えきれないほどに存在する。だが、自然と肉体は安らいでいた。

 完全な休息。なにも自分に接触することなどないような安堵。まるでジャズと会話できたのも迫りくる死期を悟ったかのように、肉体はその機能を停止させる。

 意識が薄れていく……。

 気を失うような感覚ではなく、むしろ睡魔に襲われた時につい身を委ねてしまう柔らかな眠気。

 シシーは完全な眠りについてしまう前に、重くなったまぶたを微かに開いた。そこから見える猫たちは皆、シシーからそっぽを向くように同じ方向を見つめていた。

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