第53話 ケット・シー
トレイルは困っていた。
格好よく仲間を逃がしたはいいが、当の本人がピンチであることに変わりはないのだから。
直視できないほど強い光の糸を放ち、猫たちを気絶させるまではよかったのだが、気絶しなかった猫たちは非常に賢いようで、瞼を閉じたまま器用に襲い掛かってくる。
なんとか隙をつき光の繭を構成し、その中で籠城しているのだが、繭の中――白い空間では不用意に瞼も開けられず、外の現状を確認することもできない。
そもそも、解呪以外の目的で光の糸を出すこと自体禁止されている。すでにそれを何度も破ってきたトレイルにとってそれは大した問題ではないのだが……。
トレイルにとっての真の問題とは、籠城によって失われていく兵糧――気力である。背中に激烈な痛みを頂戴したと言え、トレイルの精神状態はかなり安定している。そのため小一時間は光の繭を維持できるだろう。だがその間にシシーかアルゴルンかのどちらかがシローを見つけ、説得できるとは限らない。
「シローと話をさせてくれ。俺たちはシローの身を案じたマナって家族に依頼されて来たんだ。なあ!」
返答はない。それどころか外から金属でも引っ掻いたような不快な音が聞こえてくる。どうやら繭を引き裂こうと猫たちが奮闘しているようだ。
トレイルは考えた。
ここの猫は異様なまでに強靭だ。このまま繭を解いてしまえば四方八方をから袋叩きにされることはまず間違いないだろう。それどころか、絵本の通りに目玉を穿られ、腸を抉り出されかなねい。
繭の中から新たに光の糸を構成し、さながらタコの触手のように猫を拘束するのはどうだろう?
妙案だと心躍らせながら実行に移すことにした。少しの工夫こそ必要だったが、さほど苦労もせずに触手を生やすことは出来た。だが、肝心の猫をこの目で確認することができず、いともたやすく回避されてしまった。
失敗したことよりも、こんな失策に心躍らせていた自分が悲しくなり、地べたに崩れ落ちそうになるが、なんとか持ち直し、新たな案を策略する。
光の繭自体を動かし、身を守りつつも移動するのはどうだろう?
またも妙案だと浮かれ笑い、さっそく繭全体を移動させんと意識を杖に集中させる。
半分ほどしか形を維持しきれていない杖を伝うように、数百――数千の糸に命令を与える。解呪とは違い、自分の意志のみで構成させている繭を操るのはかなりの覚悟が必要となった。
森の中で一際目立つ光の繭は、その全体を微かに揺るがした。
一歩。人間の一歩ほど歩みがとてつもなく長い時間を消費し、完了された。そんな亀の這いずり程の歩みでも、トレイルの心に光明を照らすには十分過ぎる。
だがそれは、ただ眩むほどに輝いている繭の光であることにトレイルは気付かされた。
亀の這いずり程度の歩みでは猫から逃げることなど不可能。
二度目の愚策に、トレイルは失笑すら浮かべていた。二度に及ぶ浅はかとすら言える策に心が折れ掛かっていると、それに合わせて繭にも亀裂が走った。
それを見逃してはくれないほどにここの猫は賢く、亀裂の走った部分を集中的に引っ掻く。トレイルもそれに逸早くとまではいかないが、出来るだけ早く繭の再構成を行った。
解呪の際や、シシーを救出する際などに何度も経験していたため、繭の再構成は瞬時に完了したのだが、結果は振り出し。それどころか繭の再構成などに気力を消費してしまったせいで繭を維持し続けられる時間は狭まっている。
トレイルは今まで以上に知恵を振り絞り、これまでの失敗を帳消しにできる妙策を考えた。
コンコン。
考えに没頭するあまり、無造作に過ぎ去っていく時間に気付けないでいると、繭の防壁を叩く音が聞こえた。
「誰だ!?」
突然の来訪者に耳を澄ませていると、いつの間にか猫たちのマユをひっかく音が消えていることに気付いた。
「瞼を開ければ自ずとわかる。逆を言うのであれば、繭の中に身を潜めている臆病者には一生涯わからんだろうな」
声の主の言うとおり、トレイルは警戒を緩めずに繭を解いた。
単純に挑発を受け、従ったわけでない。何十といるかもわからない獰猛な猫たちを物ともしていない声の主にトレイルは従った。
「お前は……」
頭から消えていく繭に合わせ、徐々に声の主の全貌が明らかになっていく。
二足で立ち上がり、腕を組んでいる格好をしているにも関わらず、その膝先ほどもあるかないかの身長や、全身を覆った真っ黒の毛はまさに猫そのもの。
その周りには下僕のように腰を地面にまで屈めた猫が体列を組んでいる。
「ケット・シー……」
「いかにも」
息を飲む行為する愚かしいと思えるほどにケット・シーの威風堂々(いふうどうどう)たる佇み。その姿にトレイルは、絵本に描かれていたデタラメな認識から解き放たれる。
一国の王にすら劣らない視線。一瞬のうちに人生の全てが瞳の奥から覗かれてしまう。
「あ……」
掛ける声も見つからず、けれども沈黙自体が冒涜に思え、やっとの思いで絞り出した言葉もすぐに浅はかだと思い込んでしまう。
「なにをそう畏まっておる。お主は動物相手に礼儀正しく接するほど臆病者なのか?」
「いえ……いや、そんなことあるわけないだろ。いくらお前が偉そうにしてるからって、俺は猫相手にペコペコ頭なんか下がるかっての」
畏まりながらも、少しの勇気を振り絞りいつもの口調で接すると、意外にも抵抗はなかった。まるで親しい友人――アルゴルンやシシーとの雑談であるかのように気楽に口が開く。
「それでよい。時にお主、その光輝く魔法にその懐かしき香りの杖を所持していると言う事は解呪師であろう」
「そう言うお前は古聖獣なんだろ?」
切り返すように問うと、ケット・シーは毛むくじゃらの顔を揺らしながら笑みを漏らした。
「うむ。今は亡き古聖獣とまで噂されているケット・シー……別の名を語るのであればシローと言ったところかの……」
組んでいた腕を楽にすると、シローは徐に空を見上げた。
青々とした空に浮かぶ雲はいつの時代も変わらずにその姿を保っているが、古きからその命を保ち続けたシローにとっては、空に浮かぶ雲すら過去の出来事に感じられていた。
「シロー、悪い言い方になるが、なんで絶滅したと言われている古聖獣――お前は生きているんだ? 他の古聖獣は本当にいないのか?」
空を仰いでいた顔が酷くこわばると、シローは大口を開き、声を発するかのごとく喉仏を揺らす。だがトレイルの耳には一切、猫の鳴き声など聞こえなかった。
声のない音を聞きとろうと耳を澄ますが、シローはすでに満足げな表情で正面を向いていた。
「知らんな。それについてはむしろ余が問いかけたいところだ。少しに間、ケットウッドとカティン村に骨を休めていただけで、気が付けば友は過去の遺物と化していたのだから。まるで余の時間だけが悪戯に止まっているかのような気分だ」
「なら、友の中にユニコーンはいなかったか?」
「ああ、それはもう。彼らはとても友好的な種族でな、傷を負った時など象徴ともいえる一角を岩肌で削り、傷ついた箇所に優しく振りかけてくれたからの」
思い出を語るシローの口ぶりは非常に軽やかに、そしてそれを聞いたトレイルは異常なまでに目を見開きながらシローに掴みかかった。
「どこにいる! そのユニコーンは今どこにいるんだ! 頼む、教えてくれ!」
瞳に貯まった涙すら気に掛けぬトレイルの懇願に、主を握りしめられているはずの猫たちは身動きが取れなかった。
恐ろしいまでの人間の執着心に、身体は自由を奪われていたからだ。
「彼らは一ヶ所に留まりはせん。大陸を放浪し続ける。仮に一時の休息の行ったとしても、日のある内に再び大地を踏みしめるだろう。何故ユニコーンにこだわる? 彼らは害悪ではないのだぞ」
「害悪だからとかじゃないんだ……ユニコーンがいないと……ユニコーンの角がないとアイツを救えないんだよ……」




