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第52話 屈強な猫

「本当に聞かなくて良かったのか? ルルルナって人の名前の由来について」


 一度訪れたケットウッドを逆走していたトレイルたち一行。飽きるほど目に入ってきた猫を一匹も見かけぬまま、アルゴルンは納得のいかない顔でトレイルに訪ねた。


「今はな。少しカティを脅し過ぎたせいで俺はあの家族にあんまり信用されてない。だから今はシローを探して信頼を得るのが最優先だ」


「あんた、悪者みたいよ……」


 そんなことはないと首を振るうトレイルだが、これ以上この話題を上げ続けたくないのか、唐突に話題を変えてきた。


「それよりもシローだ。マナ一家の話を総合すると、残念だがシローって猫がケット・シーである可能性は高い」


「人語を操る猫……ケット・シー意外にいないの?」


 常識的に考えれば人語を操る猫自体が不可思議であるはずだが、シシーはそれを複数存在するのではと考えた。


「いるにはいるが……その全てが古聖獣だ」


 古聖獣。人語を操り、過去に人類と共存してきた唯一の魔物。今では時代の流れと共に消え去った種族でもあるが……。


「ワーグの紹介する奴が普通だと思うこと自体が間違いだったんだ。そもそも、人語を操る化け物はそのほとんどが古聖獣だ。なんで今までケット・シーが古聖獣だって思わなかったんだ、俺は……」


 自責の念に顔を覆い隠すトレイル。それに見かねたシシーは気合いを入れるためにトレイルの背中を二度も強く叩いた。


「古聖獣はとっくの昔に絶滅したんでしょ? それならシローがケット・シーなわけないじゃない。仮にケット・シーだったとしても、家に帰るように説得するだけなんだから問題ないわよ」


 出来る限り自然を装う笑みで励ましたが、トレイルの背中には黒い火傷跡が刻み込まれており、それを遠慮なしに叩かれたトレイルはその場に塞ぎこんでしまった。


「あ……ごめん」


「ッ! お前な……」


 届きそうで届かない背中に腕を伸ばしながらシシーを見つめるトレイルだが、すぐにスッと立ち上がり、歩みを再開した。


「ケット・シーだったら困る問題があるんだよ、それも二つな」


 トレイルはピースサインをするかのように二本だけ指を立てた。当然、それは喜びを表すものではない。不安要素の数を表す指の本数だ。


「一つは重大、もう一つは些細なことだが、どっちがいい?」


 焦らすようなトレイルの提案に、アルゴルンの口は早々と開いた。


「重大な方に決まっている」


「重大な問題。わかりきっていると思うが、その問題は俺たちがケット・シーに食い殺されないかどうかだ」


 身を震わせながら口にしてくる問題に、シシーは呆れ返った。


「絵本の中の物語にどこまで怯えてるのよ。それに古聖獣は人間と共存していた唯一の魔物なんでしょ。友好的に決まってるわよ」


 思い出に青ざめていくトレイルの背中を、今度はわざと叩くシシー。それによってトレイルの表情も陰鬱いんうつなものから幾分かまともなものに変わっていった。


「子供のトラウマはそう簡単に消えないが……事実は絵本のように単純でもないよな」


 ご都合な解釈を呟くことで、頭の中に蔓延はびこった不安感情を無理やり覆い隠すことにしたトレイル。


「それじゃあ、もう一つの些細な問題だな。もしかしたらこっちの方が重大かもしれないが……」


「早く言いなさいよ」


 待ち切れずに急かすシシー。


「わかったよ。もう一つの問題はルナの反応だ、シシーが大声でシローのとんでもない事実を告げた時、明らかにルナは焦っていた。それもとんでもない事実を『知った』焦りじゃなく、とんでもない事実を『知られた』焦りだった。その証拠に、急に森に行こうと提案してきた。さっさと会話を終らせたいかのように」


「そうかしら? あたしにはわからなかったけど」


「いや、確かにルナの挙動はおかしかった。俺が口にしようとしたケット・シーの名を遮ったのはトレイル、お前だが、ルナはそれに便乗するように会話を切った」


 その場面を思い出そうと、目を閉じて頭の中を探るシシー。だが、目に焼き付くほどの衝撃があったわけでもなく、結局確信を掴むには至らなかった。


「もしそうなら、なんでルナさんはそれを隠そうとしたの?」


 トレイルは納得のいかない表情で肩をすぼめた。


「さあな。大方、カティやガナスになにかしらの隠し事があって、それを知られたくないから話を切ろうとしたんじゃないのか?」


「なるほどな……ん? それじゃあ、お前はルナに合わせるためにカティを脅したのか?」


「かもな……」


 一見して、興味などないふりを装った返事だったが、アルゴルンには微笑を浮かべるに充分なほど、わかりやすい照れ隠しだった。


「ともかく、ルナ……いや、ルルルナだけが人語を喋る猫について知っていたのはかなり匂う、ゼゼゼアと名前の奇妙さが似てるのも怪しいし……」


「だったら聞いとけばよかったのに」


 胸にチクリと刺さる一言に、再度同じ指摘を繰り返そうとしたトレイルだが、前方に長細い物体を発見し、それに飛びついた。


「あったあった。これで目的の半分は完了だな」


 自分から投げ捨てた杖を割れ物にでも触れるかのように撫でるトレイル。

 ひとしきり撫で終えると、そこらじゅうから聞こえてくる生き物の唸り声に気付いた。

 魔物の影は見当たらない。それどころか生き物の気配一つ感じ取れない。数時間前に訪れた時はいたはずの何十、何百匹もの猫が神隠しにでもあったかのように消え去っている。

 地面に横たわり優々と毛繕けづくろいをしていたシャム猫や、木の枝に器用に登り、こちらを観察していたトラ猫など、一匹として残されていない。にも関わらず何十もの唸り声がトレイルの耳に侵入してくる。

 どこから聞こえているのかわからない唸り声に、多少なりの恐怖を感じ始めていると、木の蔭から一匹の茶猫が顔を見せた。

 全身の毛を逆立てながら威嚇してくるその姿からは敵意以外、感じ取ることができなかった。

「ニャオ」と怒気の込もった遠吠えが上がり、木々の隙間から何十もの猫の群れが毛を逆立てながら現れた。


「あんたたちがシローの話を聞かずに逃げ出したせいで猫たちが怒ってるわよ」


「だとしたらシローって猫は相当短気らしいな」


 前方に隊列を組み始めた猫をよそに、呑気な会話をしているアルゴルンとシシー。それにトレイルは呆れ果てていた。


「このままじゃ、シローを見つける前に全身ひっかき傷だらけになるぞ」


「大丈夫よ、所詮は猫だし」


 余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)と前に出て、隊列の組み終わった猫たちをシシーは吟味する。あの中にシローが混じってないかと期待したのだが、成果はなかった。

 それに代わるようにトレイルが前に出ると、遠くで隠れているかもしれないシローにも聞こえるような大声で猫たちに語りかけた。


「なあ、お前たちの中にシロー、もしくはケット・シーって名前の猫はいないか? 俺たちはマナ一家の依頼でお前を探しにきた。いたら返事をするか姿を現してくれ」


 いい終わると同時に隊列の中にいた一匹の大柄な三毛猫がのそのそと前に出てきた。

 明らかに一度会ったケット・シーではなかった。マナ一家が口にしていた特徴もこの三毛猫には当てはまらず、トレイルは追い返そうとした。


「フシャ!」


 のそのそと歩きながらも、一定の距離を越すと、三毛猫は掛け声と同時に、その巨体に見合わないほど素早い速度でトレイルに突進してきた。


「うお!?」


 完全に油断しきっていたトレイルは、間一髪のところでなんとか三毛猫の突進を回避したが、三毛猫の爪が衣服に触れたらしく、斜めに三本の裂け目ができてしまった。


「こいつら! ヤバ……」


 他の二人に警戒を伝えようとするトレイルだが、三毛猫は地面に着地したかも定かでないほどの速さで再度跳び、正面にある木で方向転換を行うと、そのままトレイルを追撃する。


「ガ……ッ!」


 一撃目の回避でバランスを崩していたトレイルは、追撃をかわすことができずに三毛猫の体当たりをモロに喰らった。

 その上、体当たりを喰らったのが黒火を浴びた背中だったため、その痛みは普通の何十倍にも思えた。


「逃げろ……!」


 倒れこんだトレイルが絞るような声で他の二人に叫びと、それが合図であるかのように何十匹もの猫が一斉にトレイルに飛びかかった。


「トレイル!」


 逃げる気などさらさらないシシーは、すでに目視できないほど猫に埋め尽くされたトレイルを助けようと、魔法の詠唱を始めた。

 目をつぶり、ブツブツと詠唱を呟く。風の魔法で突風を吹き荒らし、トレイルを覆いつくした猫たちを一掃しようと企てたが、すぐさま一匹の猫が妨害を加えてきた。

 強烈な体当たりはシシーの腹部に直撃し、詠唱中の魔法は突然の妨害に驚いているかのように空に向けて暴発した。

 体当たりと風魔法の暴発により後方の木に吹き飛ばされたシシーは、激しく咳き込みながら腹を押さえた。

 あの体当たりは普通の猫のそれとは桁外れに重かった。それこそ人間の本気を出した拳の威力と遜色そんしょくないほどに。

 少なくとも普通の猫にあれほどの体当たりは繰り出せない。

 押し寄せる嘔吐感おうとかんの中、シシーは必死に考えた。

 どうすればトレイルを救いだせるのか……。

 結論が出ないまま、半開きの瞳でトレイルがいるであろう猫の山を見つめていると、猫の山から微かな光が見えた。微かな光はその輝きを増していき、ついには直視できないほどに成長した。


「逃げろ!」


 再びトレイルの叫びが聞こえた。先ほどの擦れたものではなく、力強い命令だった。その声にシシーはためらいこそしたが、すぐさま頭を振るい立ち上がった。

 トレイルが注意を惹きつけている間に、木々の影を縫うようにシシーは走り去っていった。

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