第46話 清い心で
夕日がその日の役割を担い始めたころ、古ぼけた小屋の中で一つの唖然とした声が鳴った。
「なんだこれ……」
無事マナの水を汲み、なんの障害もなく小屋に戻ってきたトレイルたちは、床に横たわったオークの死体に呆気をとられ、小屋で待機しているはずの二人がいないことに疑問を抱けずにいた。
「このオーク、昼食で使った余りじゃないでしょうね……」
足の痺れが消えきっていないシシーは、扉を開けてすぐの場所に倒れているオークを眺めていた。
「いや、それはあり得ないよシシーちゃん」
調理場と呼ぶにはあまりにも物が散乱している場所で、べルは調理された別のオークを見ていた。
「恐らく、入口の前に倒れているオークはゼゼにやられたんだろう、その傷跡は斧じゃないとつかないからね」
「そうなると……俺たちが出ていったあとにゼゼゼアが侵入してきたオークを倒し、何らかの理由でアルゴルンとどこかに出掛けた。ってことか?」
「魔物の頭に容赦なく斧を投げつけるような男が呑気にお散歩なんてするの? しかもアルゴルンと」
ありえないと言わんばかりの顔でぼやくシシー、するとその背後から低音の声が聞こえた。
「俺が散歩してはいけないか?」
振り返ると、全身血だらけのゼゼと、少し窶れた様子のアルゴルンがシシーの背後に立っていた。
「……」
あまりのことに言葉を失っていると、調理場にいたべルがシシーを突き飛ばすようにしてゼゼの元に急いだ。
「なにがあった!? ゼゼ!」
ベルが血の付いた全身を凝らすように見つめると、ゼゼの衣服に付着していると思いこんでいた血痕が、着込んでいる斧だけに付着していると気付いた。
「そこの小娘の言った通り、散歩だが?」
「嘘のつき方がうまくなったな、血の付いた得物を着込んでなかったら騙されるとこだったぞ」
全身血まみれかと思いきや、実は数十もの武器全てが血まみれになっていたのだからベルが騙されるわけはなかった。
説明すらも面倒に感じているゼゼ。説明があるまで動く気のないベル。互いの視線に決着がつかないと判断したトレイルはゼゼではなくもう一人……アルゴルンに訪ねた。
「お前はどこに行ってたんだ、アルゴルン?」
「……散歩だ」
短く簡潔に答えるアルゴルン。だが、その答えはゼゼの答えと同じで信憑性に欠けているとトレイルは感じていた。
「嘘のつき方がうまいな、その悪すぎる顔色と両腕の震え意外な」
トレイルに言われ、自分の腕を確認するアルゴルン。その瞳に映った腕は小刻みに震えていた。人間を二人殺した腕が……。
「近場のオークを一掃してきた。昔から我が物顔で俺の小屋に入ってきていたのだから当然の報いだ」
口を開いたのは意外にもゼゼだった。事実と個人的心情を理由に、もう一つの……深い方の理由を巧みに隠した。
「オークの群れ……横穴のオークたちを一掃したのか、ゼゼ!?」
「そうだ。これでこのオンボロ小屋も見納めだな。ベルの弟子、貴様はどこで一泊したい?」
「俺の名前はトレイルだ」
「ではトレイル坊、どこで一泊がしたい? 夜風に吹かれながら野宿がいいか? そうならば良い所を教えよう、切り立った崖に出来た空洞だ。そこならば夜風を防げる上、近場に暖かい毛皮がゴロゴロ落ちているぞ」
いやらしくもゼゼは腐臭の漂う死体置き場をトレイルに勧めた。
無論、そこまで細かく説明をしてもらえなかったトレイルはその寝床を軽く想像したが、思うがままに口を開いた。
「いや、このオンボロ小屋で一泊だけさせてもらうよ。その後はどっか消えるからさ」
それまで唖然とゼゼを見つめていたベルが、血相を変えてトレイルを睨んできた。
「なに寝ぼけたことを言ってるトレイル坊。お前は一週間、ここで療養生活を送るんだよ。嫌だなんて言わせないぞ」
「嫌だ。だってここにいる理由がないからな」
「まだ駄々を捏ねる気か? 一週間、白水を……」
「一週間、白水を背中に浴びさせる。だろ? それならシシーがいれば問題ない」
「あ……あたし?」
突然の指名に戸惑いながらも、シシーはトレイルの傍まで近づく。
「信用してくれるのは嬉しいんだけど、あたし白い魔法を出せる自信なんてないわよ」
「シシーちゃんの言うとおりだ、白水を出せないんじゃトレイル坊の治療なんてできない」
「ならば証明すればいいだろう」
ベルの鋭い指摘も、横入りのゼゼの一言で即座に解決した。
「ゼゼゼアの言う通りだな。頼むシシー、わからず屋のワーズを説得するために白水を出してくれ」
「……わかった、やるだけやってみるわ」
目を閉じ、掌を上に向けるとシシーはブツブツと詠唱を始めた。
白火同様、白い魔法を出すに清いを心が必要不可欠。シシーは『大切な記憶』を思い浮かべることで心を清くしようとした。そして、最初に思い浮かんだのはマナの泉での会話。一番新しい記憶だからかもしれないが、トレイルと交わしたあの時間は大した意味もないのに、シシーの心に深く残っていた。
嬉しくて笑い、恥ずかしくて顔を赤くしたあの時間が、シシーにとってとても大切だった。
そんな清い感情が胸で湧き上がり、腕に通り、掌に伝わると、そこから湧き出る水を白く輝かせた。
「白水……」
シシーの掌から零れた白く輝いている水に手を差し出しながら、べルは呟いた。
一切の温度や感触のない水はたしかにベルの知る白水そのものだ。どれ程腕を浸そうとも、その腕が水本来の潤いを受けることはない。
「ほら、シシーは白水を出してくれた。これで明日にでもこのオンボロ小屋ともお別れできるだろ?」
「そうだな……」
力なく頷くベル。
「これでこの小屋ともお別れか……さびしいなゼゼ」
「さびしい? こんなオンボロ小屋に十五年も縛られ続けていたんだ、むしろ清々する。」
尽きることのないゼゼの愚痴も、ベルは黙って聞き入るだけだった。




