第45話 魔物であり人間であり
「八十点。それにボーナスで追加十点と言ったところか……」
ゼゼの口から高得点が漏れると同時に、斧持ちのオークは首元から大量の血を噴出し、倒れた。
リーダー格と思われるオークを打ち取ったアルゴルンの呼吸は荒く、腕も細かい物が握れそうにないほど震え、足をそれと同じほどに震えている。
唯一負荷の掛かっていない頭部を動かし、辺りを見回す。
すると、奥で待機していたはずのオークの群れが乱れ始めた。列に沿っていたわけではないが、互いにぶつからない程度の配慮を持っていたにも関わらず、斧持ちのオークが敗れた途端、隣の者を殴り飛ばしたり、その場で意味不明に叫ぶ者までいた。
どうやら先ほど斬り伏せたオークこそがこの巣穴の主だったのであろう。
今度こそ好機。と心の中で呟くと、徐に統率の失われた群れに剣を向ける。ここで混乱したオークの一匹にでも逃げられれば、最悪トレイル達に被害が及ぶと考え、躊躇などせずに群れへと駆けた。
「そこまでだ」
後方から聞こえる声と同時に、無意味に暴れていた一匹のオークの頭部に天から降ってきた一本の斧が突き刺さった。その光景を目にしたアルゴルンは透かさずに足を止め、それを合図にするようかの如く、天から何十もの斧の雨が降り注ぎ、一瞬にして残りのオークたちが全滅した。
「戦意を喪失した相手など、修行の役に立たん」
切り株を見ると、そこには着込んでいたはずの斧が一切ないある意味新鮮なゼゼの姿があった。
「……疲れた」
一言だけ呟くと、そのまま地面に腰掛けるアルゴルン。今にも笑い出してしまいそうな両手長足を見つめ、修行の手応えを頭に刻み込む。
「判断力、瞬発力ともによし。だが隠密性、体力面に関しては難ありだな。基礎体力を上げることと、もう少し足音を抑えろ。特に地鳴りと共に相手の肉体を通り過ぎる暗技、あれはうるさく、そして目立つ。確かにあの暗技は相手の意識を地鳴りに向かせることによって成り立つ技であるが、他に意識を向けるなにかを編み出さなければ、暗技と呼ぶに値しない技だ。最後に一つ、最初にあの暗技を使用した際、お前はオークの首元を狙ったが切り裂いたのは、その遥かに下、鎖骨部分だ。もしあれが鎧を身に纏っていたとすれば、お前は今頃ここに立っていなかったぞ。そもそも暗殺とはだな……」
長引きそうな説教にアルゴルンが目を逸らしていると、横穴から三体分の影が見え、この状況から脱出できる機会が訪れた。
「ゼゼ、まだ残りのオークがいるみたいだが、どうする?」
「お前……俺の話から逃げたくて適当なことを抜かしているのだろう。そんな都合よくオークの生き残りが……」
説教を止めずに、さりげなく横穴を確認すると、ゼゼの言葉が途切れた。
無言で横穴を睨むゼゼゼアの額に汗が浮かび、視線をアルゴルンに戻した。
「アルゴルン。最後の仕上げだ、あのオークどもを殺せ」
物騒な命令の仕方に首を傾げながらも、アルゴルンは立ち上がり、横穴から現れた三体のオークと視線に合わせた。
現れたオークは変わらずに大人の腰ほどの身長で棍棒を手にしていたが、他の百体近いオーク達とは異なる点があった。
肌の色が茶でも緑でもなく、人肌と同じ薄いピンク色。
人の皮を被っているかのような印象を受ける肌の色に、アルゴルンは一瞬たじろいたが、すぐに剣を構え、三体のオークを待ちかまえた。
三体はほぼ同時に襲い掛かってきた。足の速い一体が透かさずアルゴルンに近付くと、大振りの一撃を放ち、アルゴルンはそれを回避した。
いともたやすく合わせられる攻撃をアルゴルンは身を曲げるように避けると、心臓に掛かる重力のようなものに苦しんだ。
攻撃してきた肌色のオーク……あれが放つ一撃からアルゴルンは死の危険を感じ取っていた。前後左右を囲まれた時も、リーダー格に砂塵を浴びせられ、視界が眩んだ時にも感じることのなかった死への恐怖が、目の前にオークから感じる。
アルゴルンが回避を選んだ理由はそれだけではない。むしろここからが重要だ。あのオークが勢いよく棍棒を振りかざした時、ちょうどアルゴルンと肌色オークとの距離が一メートルを超え、額がカウントした。
後続の肌色オーク二体が攻撃を繰り出すと、やはり額に植え付けられた数字がカチリと鳴る。
「無駄な動きが多いぞ!」
「ゼゼ、こいつらは人間だ! 呪いでこんな姿になっているが俺にはわかる」
師匠らしい指摘を無視し、アルゴルンは真実を伝えた。それを聞き、一瞬だけ眉を顰めるゼゼだったが、すぐに冷酷な表情に戻り、口を開いた。
「だからどうした?」
「な……!」
「目の前にいるのが例え人の姿をしていようが、そいつらはお前に牙を剥けている。お前がそこで手を拱けば、そこのオークどもに食い殺されるだけだ」
「だ、だが! ……グッ!」
反論を試みようとするも、相手方の事情などお構いなしの肌色オークからの攻撃を受けてしまい、会話の機会を奪われる。呪いの範囲外まで逃げようとしても、追撃がアルゴルンを襲う。
「対人戦とは木剣で相手から一本を取ることではない、真剣で相手の命を奪うことだ! 最低限の力とは逃げ惑うことではない、己の命を守ることだ! お前が剣を構える理由。それを自身の心に翳し、その理由の障害となるのならば、魔物であろうが人間であろうが全て斬り伏せろ!」
アルゴルンを縛っていた相手は人間。と言う事実の鎖を、轟音の中に潜んでいた信念が見事に砕いた。
恐怖と疲労で震えていた身体も、覚悟を決める頃には自然と収まり、肌色オークとの対峙にも恐怖を感じなくなっていた。
棍棒を振るうオーク相手に、まるでダンスのようにリズムを合わせながら剣先だけは相手の喉元に置き、引き裂く。
カチリ、と一度だけ鳴り響く額の音は、たしかに一秒しか犠牲にしていない。
剣先からオークの感触が無くなると同時に、他の肌色オークの方にしなやかなターンを決める。相手が攻めの体制を整えるよりも早く踏み込みを入れた。辺り一帯が凍り付くような静かな時間が訪れたかと思うと、相対していたはずの肌色オークの背にアルゴルンが佇んでおり、背に回られた肌色オークはわけもわからずに倒れた。
良くも悪くも、『人を殺す』ことにためらいを覚えなくなったアルゴルンは振り返った。最後の一体を殺すために……。
最後の肌色オークは蛇に睨まれた蛙のようにその身を震わせていたが、アルゴルンの視線に入ったのは他のオーク。正確には『オークから人間に戻った者』の死体。
倒れこむ二人の男。歳老いた老人ではないが、二十代のように若くもない。大方三十代といったところだろう。何年間も手入れを行っていない思えるほど無造作に伸びた髪や髭。そんな二人の瞳には一筋の輝きも見受けられない。
なぜなら首元を斬られ、殺されたのだから。
「ウッ……!」
激しい嘔吐感に見舞われたアルゴルンは口元を塞ぐため手にした剣を落としてしまった。
膝元から崩れ落ちるアルゴルンを目にし、最後の肌色オークは脇目も振らずにこの場から逃走を図ったが、あえなく天から降ったきた斧の餌食となり、一秒と掛からずに人の姿へ戻っていった。
「……修行の成果は上々だな」
安全な場所で傍観していたゼゼが今頃になって近付いてきたかと思えば、アルゴルンに労いの言葉一つかけず、オークたちの身体に突き刺さった斧を抜き、身体の一部に着込ませる作業を始めた。
「……ゼゼ」
「なんだ?」
覆われた口元から放つ消え入るような声を、その耳でしかと受け止めるゼゼ。聞き返しの速さは最初からアルゴルンが口を開くと知っているかのように鋭い。
「誰なんだ、こいつらは……?」
答えを期待していたわけではなかった。ただこの者たちがどんな人生を送り、斬り捨てるに値する人格なのか、そうでない人格なのか、知りたかっただけだった。
だが、ゼゼゼアは意外にも口を開いた。
「深くは語れないが、単純な答えならばすでにある」
斧を引き抜く作業を中止すると、一体の肌色オークだった者に近付き、棍棒を指差した。
「これが答えだ。もっとも、お前がこれについて知識を持ち合わせていることが前提だがな」
蒼白とした顔面をふらつかせながら、オークだった者の手にある棍棒を覗くと、途端に顔色を紅蓮に変え、怒りに顔を強張らせるアルゴルン。
「この紋章……!」
棍棒に彫り込まれていたのは一角を生やした馬……ユニコーンの絵だった。アルゴルンの脳裏に呪われた日の出来事が走馬灯の如く駆け廻り、気付けば剣に腕を回していた。
「死者を切り裂こうとでも考えたか?」
「違う! だがこいつらには恨みがある。個人的な恨みが……」
「ならば生きている奴でも捕まえておけ、死人は謝罪などせん」
棍棒に彫られた紋章から目を放すと、ゼゼは中断して斧抜きの作業に戻った。
「ゼゼ。あんたは知ってるんだろ、こいつらのことを」
「深くは語れん、最初にそう言ったはずだ」
「だが……!」
「くどい!」
ゼゼの喝を最後に、アルゴルンは紋章について問いたださなくなった。
こうして、アルゴルンの対人修業は予想を遥かに上回る成果となったが、それ以上にアルゴルンの心は酷く揺れ動くこととなった。




