トラップ
劉からオーダーされた紅茶をお盆に載せて来た執事が部屋のドアをノックすると
『入りなさい』
劉が一言告げる。
お盆には、1組のソーサーに載せたティーカップと温かい紅茶で満たされているティーポットを準備した執事が
『大変、お待たせいたしました』
と静かに告げると一礼してから部屋に入り、事務机に居る劉の右側から、お盆に載せたティーカップとソーサーをセッティングして、ティーポットから温かい紅茶を注ぎ入れた。ちなみに、劉は紅茶に砂糖等を入れて飲む習慣がない。
執事が入れた紅茶から立ち上る香りを堪能して、満足気な表情を浮かべながら紅茶を一口飲んだ劉は、脇で控えている執事に
『下がっていいよ』
と静かに告げる。執事は片手にお盆を持ったままで一礼すると、静かに部屋を退室した。
執事が退室するのを見届けた劉が、二口目の紅茶を飲み込むと、思い立ったように事務机に置かれた内線電話の受話器を取り上げてボディーガード達が詰めている指令本部へ電話を掛ける。内線電話に相手が出ると
『リーダーに変わってくれ』
と命じ、ボディーガードのリーダーが電話口に出ると
『先程、お前に全て任せると言ってみたが、私の目の前を目障りな虫が飛び回っているのは不愉快なので、その虫を追い払ってもらえるか』
と半ば命令的なニュアンスで告げた。
『それでは、少々脅しを掛けてみましょう』
リーダーが冷静に応えると
『内容は任せるが、なるべく早急に取り掛かってくれ』
劉も落ち着いた様子で告げると電話を切った。手にしたティーカップを机の上に置いてあるソーサーに戻すと、部屋の窓から外を眺めると掛けていたサングラスを外して
『ようやく今度の仕事も成功しそうな時に、小さな害虫にちょっかいを出されるのは少々気分が悪い』
と呟いた。
その劉の左目は異質な光を帯びている。実は、劉の左目は義眼であり通常は周りに分からないようサングラスを掛けていたのである。劉は、元々貧しい農家の両親の元に生まれ中等教育しか受けていない。学校を卒業と同時に人民解放軍へ入隊して軍人となったが、入隊して間もない頃の軍事訓練で手榴弾を使った訓練中に、隣の塹壕で新兵を指導していた若い指導教官が不注意で、劉がいた塹壕の近くに手榴弾を投擲してしまい、その手榴弾が爆発した際に飛来した破片で左目を失明して義眼となってしまい、結果として軍を除隊せざるを得なくなった。しかし、その若い士官の父親が党の政治局役員であったことで、息子の不始末を償う意味で劉の後ろ楯となったことで、それを足掛かりに現在の立場を築くことになったのだ。
ボディーガードのリーダーは、劉からの指示を実行するため副リーダーへ
『全員にクレイモア地雷を準備するようメールで指示してくれ』
と命じた。副リーダーは、黙って頷くと手元のパソコンのキーを打ち始める。
リーダーは、劉の要望に沿うためには多少の武力行使も必要であろうと判断すると、劉の生命を狙ってきた襲撃者が山中で行動していることを想像すると重装備をしているとは思考え難い。ならば、周囲をパトロールさせているボディーガードにクレイモア地雷を予め指示した箇所へ配置させて襲撃者を追い払う計画でいた。
クレイモア地雷は、敵の歩兵等が陣地に侵攻してくるのを阻止ための待ち伏せ攻撃や、非装甲車両への攻撃に使う兵器で、リモコン操作による起爆やワイヤートラップによる起爆に加え、時限装置による起爆等によって使用される。地雷が起爆した際には、地雷の前面に仕込まれている鉄球に爆風が集中する構造となって飛び出す鉄球に指向性をもたせる兵器であることから、セッティングに際して注意を払って配置できれば相当の戦果が期待できる。なお、名称のクレイモアとはスコットランドで使われた大剣を意味している。
劉のボディーガード達が設置しているクレイモア地雷は、敷地外に配置している人感センサーの受信信号を地雷の起爆装置にも接続して、センサーが反応すれば即座に起爆するようにしている。そのため、ボディーガード全員は事前に人感センサーが配置されている箇所を周知されているので、クレイモア地雷を接続しても地雷の犠牲になることはない。しかし、このシステムの弱点として人感センサーは必ずしも人間のみに反応するわけではないので、クマ、シカ、イノシシの成獣等が接近してセンサーが反応すればクレイモア地雷は起爆することになる。
劉の居宅内にあるボディーガードの指令本部には、各ボディーガードが指示されたクレイモア地雷の設置が完了したことを知らせてくるメールが次々と受信されていた。これで、劉の居宅は周辺も含めて要塞化したのと等しい状態になった。
カワサキが、劉の居宅との距離を詰めて行くに従い、人感センサーに対する警戒は慎重を極めていった。兎に角、数メートル先へ目を光らせなければ、センサーの関知エリアに踏み込んでしまう。
そんな中で、カワサキは少し離れた場所から爆発音と野生動物の悲鳴にも似た鳴き声を聞いた。異常を感じたカワサキは、少しばかり時間を無駄にするかもしれないが、音の聞こえた方へ様子を見に行く。
そこには、横倒しになっているシカが最期の断末魔のような痙攣を起こしていた。更なる詳細を確認したいが、あまり接近し過ぎるとカワサキにも危険が及ぶ可能性があるので、死を迎えつつあるシカに近付くことはせず、ある程度の距離を確保して、シカの状態を見ると身体の数箇所に銃器で撃たれたような射入孔が確認できる。
しかし、カワサキが耳にした音は爆発音であって銃器の発砲音ではない。シカから離れた位置なので周囲の細々としたところまで確認出来ているわけではないが、考えられることは敵がクレイモア地雷を仕掛けて、採餌に夢中になっていたシカがクレイモア地雷の餌食になったということだろう。敵は、更なる武器を投入してでも劉の居宅に近寄らせない断固たる意思を感じさせる。
そこまで考えた後、カワサキは劉暗殺のために別の要員が、この周辺で展開していることを思い出し、念のためCIAのミッション担当者へメールで報告することにした。
『何か、罠に掛かったようですが』
劉の居宅内にある指令本部に居る副リーダーが、隣に居るリーダーに告げると
『何だって構わんさ。どうせ、この辺りは野生のクマやシカ、更にはイノシシが生息しているんだから、必ずしもターゲットが罠に掛かったのかは判別できないんだから、それにターゲットなら死なないまでも、相当な怪我を負ってるはずだし、暫くはパトロール要員に休憩させておく』
センサーの反応によって、ある程度だが襲撃者の位置を把握できているためか、興味無さ気にリーダーは言った。
一方、自分の仕事部屋に居る劉は建物の正面側にある窓から外を眺めながら
『成る程、炙り出しか。その程度で、結果が出れば良いがな』
劉は、表情一つ変えることなく呟く。すると、劉は踵を返して事務机に戻ると内線電話の受話器を取り上げて執事に
『紅茶が冷えてしまった。直ぐに温かいのに変えてくれ』
とだけ伝えると受話器を戻した。
それから数分すると、執事が劉の仕事部屋のドアをノックしてきた。
事務机の前でパソコンのキーボードを操作していた劉は、キーボードから手を離すと
『入りなさい』
仕事部屋への入室を許可する言葉を口にする。その言葉を受けた執事は、仕事部屋のドア開けると一礼して
『失礼します』
と言ってから仕事部屋に入り、事務机で座っている劉の右斜め後方から事務机の上に置かれている飲み掛けの紅茶が残るティーカップとソーサーを回収すると、新しいソーサーとティーカップを事務机にセッティングしてから、ティーポットの温かな紅茶を注ぎ入れる。紅茶を注ぎ終えた執事が一礼して、静かに仕事部屋を退出する執事に対して
『今日も、夕食は何時も通りの時間で用意してくれ』
事務机の椅子に腰掛けたままで劉が告げると
『承知いたしました。夕食で何か召し上がりたい物はございますでしょうか?』
執事の問い掛けに
『そうだな、肉料理よりも魚介系の料理にしてくれ』
劉が応えると、執事は黙って頷いて部屋のドアを開けて廊下に出て
『それでは、何時もお時間に魚料理を準備させて頂きます。失礼いたしました』
一礼してドアを静かに閉めた。
執事が入れた温かな紅茶を一口飲んだ劉は、手にしていたティーカップを事務机のソーサーへ戻すと、椅子に深く腰掛けて目を閉じて何事かを思案しようした矢先に、ボディーガード達が仕掛けたクレイモア地雷の1つが再び爆発する音が微かに聞こえてきた。劉は爆発音に動じる気配もなく、口元に冷淡な笑みを浮かべると
『これで、害虫駆除に成功していると良いがな』
小さな声で独り言を漏らすと、再び事務机に向き合い外線電話の受話器を取り上げて電話を掛ける。数回のコールで相手が出ると劉の部下への電話だったようで、手掛けているM&Aに関しての細かな進捗状況についての報告を受けている。
30分以上の通話が終わって受話器を戻した瞬間、劉の耳に屋敷の正面方向から微かにライフル銃の発砲音が届いた。すると、数秒後にボコッという鈍い音が劉の仕事部屋に響いた。音が響いた以外に特段の変化もないので劉も興味を示さずにいたが、直後に内線電話の呼び出し音が鳴り、劉がゆっくりと受話器を取り上げて
『私だが』
と応答すると指令本部の副リーダーから
『只今、襲撃者からと思われる銃弾が飛来して、閣下が居る仕事部屋の外壁に着弾した模様です。外壁に多少のへこみが見受けられますが、お部屋の内部に何か異常はございますか?』
との問い掛けに
『さっきの音がそうだったのか、着弾した音は聞こえたが、それ以外に何ら問題はないがよ。ただし、流石に癪に障るな、害虫を追い払う手段が少し甘かったのではないか』
劉は、それだけ言うと電話を切った。
暫くすると、再び内線電話の呼び出し音が鳴り、劉が受話器を取り上げると
『襲撃者が使用したのは、狩猟用のライフル弾だったようです。狩猟用であれば鉄筋コンクリートの外壁を幾らか削る程度ですが、閣下の仰る通り作戦は少々甘かったようなので、これより全ボディーガード達に予てから計画していた箇所にリモコン操作で起爆する爆薬を設置させます』
ボディーガードのリーダーから報告を受ける。確かに、日本国内で流通している弾薬は狩猟用に使える物以外なく、有効射程距離も精々900メートルくらいの物で、結果としては襲撃者が狙撃してきた位置も概ね特定ができることから、リーダーが提案した箇所に爆薬を仕掛けて落石を起こして襲撃者を追い詰めることも悪くない作戦ではある。
『それで、煩わしい害虫が退散するなら異存はないが、決してしくじる事のないように』
劉はリーダーに念を押して受話器を元に戻した。
ボディーガードのリーダーは隣に居る副リーダーに対して、外に配置しているボディーガード達にリモコン式の起爆装置と爆薬を携行して、予てより計画していたポイントに爆薬を早急に設置するようメールで指示するよう命じた。
リーダーが劉に提案した計画は、劉にボディーガードとして雇われて間もない頃、この屋敷の半径800メートルまでは、襲撃者からライフル銃で狙われる可能性があると判断して数百箇所に及ぶ人感センサーを配して護衛しようと計画したが、使われるライフル銃によっては800~1.200メートルでさえ可能性があるのだが、その範囲では広大過ぎてオフロードバイクを使用したとしても機動的な展開が難しいと判断したことから、その範囲に点在している大きな岩石が斜面に露出している箇所へ爆薬を設置して、その範囲に襲撃者が現れた場合には、設置した爆薬を起爆させ人工的な落石を発生させることで襲撃者を殲滅させようと立案していたのである。
そのため、予め爆薬の設置ポイントは選定していたのでセッティングにも大して時間を要しない。しかも、先程の発砲で設置させるエリアも絞り込めるので比較的短時間で準備を完了させることができる。
リーダーが想定していた通り、爆薬設置の命令をメールしてから45分で予定ポイントへの爆薬設置が完了したとのメールが届いてきた。設置完了のメールを見届けたリーダーは、自らのパソコンを起動させ設置させた爆薬を起爆させるための画面を準備して、何時でも起爆命令信号を送信できるようにした。




