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姿なき狩人  作者: 二条路恭平
プロローグ

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ジレンマ

眩しい朝日のお陰で、劉の居宅を高倍率の双眼鏡を使い、更にはボディーガード達から邪魔されることなく偵察に専念できたのは一応の収穫となったが、だからと言って今居る場所から狙撃を行うには1.000メートルという距離が最大のネックとなる。

カワサキが狙撃に対して気にしているのは、長距離射撃の場合に様々な自然条件が影響してくることもあるが、CIAに調査依頼をしている劉の身体的特徴が見た目に小さいものであった場合には、距離が遠くなればライフルスコープの倍率を最大に上げたとしても確認が可能なのかという点もある。

そんな疑念を抱きながら、カワサキは設営したテントを解体して、エアマットから空気を抜いてから寝袋と共に折り畳んでバックパックに仕舞ってから、クッキータイプの栄養補助食品とペットボトル入りのミネラルウォーターで昨夜と同じ食事をする。取り敢えず空腹を満たし終えると、大型バックパックを背負って各銃器類を携行すると望ましい狙撃ポイントを探しに再び歩き出した。


徐々に劉の居宅との距離を詰めながらの狙撃ポイント探しは、人感センサー等の機器が設置されていないかを確認しながらであるため、なかなか思うように歩を進められない。しかし、それも仕方のないことなので半ば諦めて歩いていると、カワサキの目の前50メートル先にシカが地面の草を無心に食べている姿を目にした。この時期なので、頭部に角が生えていないところを見ると雌シカと思われるが、体格が大きくないところからして親離れして間もない個体なのだろう。

一瞬、カワサキの頭には食糧確保の観点からハンティングしようと思いライフル銃を収納しているソフトケースに手を掛けてみたが、冷静になって考えてみてスルーすることにした。確かに、劉の暗殺までに何日要するのか分からない状況では食糧の確保は疎かにはできないが、仮に目の前の雌シカをハンティングしたとしても野生の獣肉を生で食べるというわけにもいかない。そうなれば、火を通すためには焚き火を起こさなければならないが、こんな山中では煙や炎は目立ち過ぎて相手に居場所を知らせるようなものである。まして、現時点でカワサキが携行しているライフル銃に使用するために携行している弾薬は、軍用弾薬で初速で音速を超える代物であり亜音速弾薬ではないので消音器を装着していても発砲音が大きく響くことにも留意しておかなければならない。折角の食糧を確保する絶好のチャンスではあったが、劉の暗殺に未だ光明が見出だせない状況では、簡単に軽率な行動を取るわけにもいかないので若い雌シカに気付かれる事のないよう注意しながら、その場を離れることにした。

何故ならば、雌シカが警戒する際に発する鳴き声は特徴があり結構な距離にまで響くので、劉の居宅がある地点から相当な距離まで接近している状況で、下手なことをして雌シカに気付かれ警戒して鳴かれてしまうのは望ましくない。

幸いなことに、雌シカには気付かれることなく、その場から離れることに成功したカワサキは、劉の居宅との距離を少しずつ詰めながら狙撃可能な場所を求めて歩き続けた。何らかの計測機器で測ったわけではないので確実ではないが、カワサキの感覚では劉の居宅までの距離が1.000メートル付近まで近寄ったと思われた頃、不意に前方の茂みからガサッという音と共にイノシシの鳴き声が聞こえてきた。咄嗟に、ボディーガード達の襲撃かと想像したカワサキは胸の前に吊るされているP90短機関銃を構えると、近くの木立に隠れて様子を伺う。茂みの中から立派な体格のイノシシが飛び出してきた。カワサキの目の前を勢い良く走り去って行くが、擦れ違う瞬間にイノシシの身体を見ると背中の左側にボウガンで使用するような矢が1本刺さってブラブラと揺れている。たぶん、餌を探して夢中になっている最中に劉のボディーガード達が仕掛けた罠に掛かって設置された矢が運悪く命中したのに違いない。しかし、ラッキーなのはイノシシがカワサキの方へ来なかったことで、もしもカワサキの方へ突進してくるような事態になれば携行しているコンバットナイフで対応しても、いざとなれば銃器を使わないわけにもいかない。

そんな事を考えてホッとしたカワサキであったが、直ぐに脳裏には仕掛けられた罠に何らかのシグナルを発信するような装置が施されていたら、状況確認のためボディーガードの1人若しくは2人くらいが現れると考えて、身を潜めて待機することにした。

案の定、カワサキの目の前をイノシシが走り去ってから20分後にガサッガサッという雑草を掻き分けるような音と共に近寄ってくる人の足音が聞こえてきた。2人の人影が徐々に見えてくると、2人ともAK47自動小銃のコピー版である中国製56式自動歩槍を携行している。

カワサキが片膝を着いた状態で、P90短機関銃を構えたまま、近寄ってきた2人の動向を注視していると、2人は罠を仕掛けた周辺の地面を注意深く観察している。

1人が

『イノシシだな。周囲にイノシシの新しい足跡が幾つも残っている』

と別の1人に言うと

『やはり、そうか。それじゃ早速、本部に連絡する』

と話すと、右胸に装着していた無線機のマイクを口元に寄せて

『異常シグナルがあった罠に掛かったのは、イノシシと思われる。これから罠を再設置してから帰還する』

本部というのが、劉の居宅を意味するのか、或いは周辺に設置しているのかカワサキには未だ分からないが無線で連絡を入れている。

その様子を気配を殺して見ていたカワサキは、2人のボディーガードのうち片方へP90短機関銃で狙いをつける。2人までの距離は約25メートル程度なので、カワサキの射撃スキルからすれば必中と言える距離である。

P90短機関銃の安全装置を外して単発モードに切り替えると、丁度、ボディーガードの2人のうちの片方が56式自動歩槍を目の前の木立に立て掛けると、背中に背負ったショルダーバックからアルミ製の矢を1本取り出すと木立を登り始めた。

幹を2メートルくらい登り、横に張り出している辺りへ手を掛けると近くに発射装置のような物体が備え付けられているのが、カワサキが潜んでいる場所からでも確認できた。

木に登ったボディーガードが手に持っている矢を発射装置にセットしようとした一瞬を見逃さず、カワサキは木立の下で見守っている別のボディーガードの後頭部を狙って、P90短機関銃の引き金を引いた。周囲には大きめの爆竹を鳴らしたような銃声が響く。その銃声が響き終わった瞬間に、木立に登っている方のボディーガードへ銃口の向きを変えて、相手の肩甲骨がある辺りの背骨近くを狙ってP90短機関銃を発砲した。

カワサキに撃たれた2人は、最初の1人が声を発することもなく、その場に倒れ込み、木立に登っていた方はウッという呻き声を発すると登っていた木立から落下して、そのまま動かなくなった。

カワサキは、倒れた2人に銃口を向けたまま近付いてみると、2人とも完全に絶命していた。2人の死亡を確認した時、1人が携行していた無線機から

『今の発砲音は何だ?何か異常があったのか?』

と2人に対して問い掛けるが、既に絶命した2人が無線の問い掛けに応答することはない。

カワサキは、P90短機関銃を左手で持ちながら、右手で問い掛けを繰り返しているのを無視して無線機を取り上げるとコンバットジャケットの胸ポケットに入れた。更に、2人の腰回りを見ると2人共に腰のホルスターには、トカレフ拳銃のコピー版である中国製54式自動手槍を携行していた。小銃と拳銃それぞれを奪おうかと思ったカワサキだが、これ以上の荷物を増やしても身軽に動けなくなるので、

2人の銃器を簡易分解にして周囲にばら蒔き、無線機だけを頂戴した。ちなみに、射殺した2人が携行していた銃器の口径は何れもカワサキが持っている銃器の口径とは合わないので、弾薬のみを奪ったところで使いようがない。

胸ポケットに入れた無線機からは、カワサキが射殺した2人のボディーガードからの応答がないので、他のボディーガード達へ状況確認をしに行くよう指示されているのを傍受している。

それを聞いたカワサキは、様子を見にきたボディーガード達も此処で襲撃しようか迷ったが、無線の指示が割りと落ち着いていることからして、この様子を確認させるのに相応の装備をさせて来るであろう相手の状況を確認せぬまま迎え撃ってみたところで小競合いが長引くだけで、状況次第ではカワサキに勝ち目がない可能性もあると判断して、自ら携行している弾薬を無駄に浪費することを避ける意味でも、一旦この場を離れる選択を選んだ。今、この場を離脱しても幸いなことに敵の無線機を奪取しているので、カワサキにも断片的に相手の情報が入ってくることになる。ならば、ここで無理にボディーガード達との戦闘を選択するより本命である劉を狙撃できる最適地を探しながら、スチエーションに応じて対処したほうがカワサキにとって有益である。

カワサキが、ボディーガードの2人を射殺した現場から離れて、暫くするとバイクのエンジン音が響いてきた。たぶん、音から判断してオフロードバイクに乗って現場の確認に来たのだろうとカワサキは想像した。射殺現場から離脱したとはいえ、あまり距離を取れていないカワサキは、念のために胸のポケットに入れた無線機の音量を絞って僅かにカワサキだけが聞こえるくらいにしておいた。

オフロードバイクで現場に到着して状況を確認したボディーガードが

『今、現場に到着しました。2人は、何者かによって射殺されております。射殺された2人を見ると、1人は着用していたボディーアーマーが貫通しているところをみると、相手はアーマーピアシング弾(徹甲弾)を使っていると思われます。なお、無線機と銃器が無くなっているので、相手に奪取されたと推測します』

と2人が射殺されたこと、更にはアーマーピアシング弾が使用されたことと無線機と銃器が奪取されたことを分析して、本部と思われる相手に報告しているのをカワサキの無線機も傍受していた。

その報告を受けたボディーガードのリーダーと思われる人間が

『了解。以降は、無線機による連絡は全てメールに変更する』

という指示を耳にしたカワサキは、奪取した無線機を投棄しようとも考えたが、相手は当然、カワサキが無線機を奪取して会話を傍受していることを念頭にしていると考えれば、今の通信自体が何らかの暗号で彼等の無線機使用が簡単に中止されるとは考え辛い。特に、この状況でメールの使用は特定の人間以外に傍受される危険性が低いことは容易に想像できるものの、例え短い文章であったとしても文字入力の手間を考えれば、口頭による連絡手段が遥かに効率的である。

そこまで考えたカワサキは、奪取した無線機を投棄することは思い止まった。


『果たして、今の通信で相手は無線機を捨てるでしょうかねぇ』

劉の居宅内にあるボディーガードの指令本部にいる副リーダーが呟くと

『さぁな。しかし、無線機を捨てなくても一応の効果はあるだろう。仮に、無線機から我々の命令が送られても、傍受した命令がブラフなのか、或いは何らかの暗号なのかと疑心暗鬼になれば、それだけで充分だよ』

ボディーガードのリーダーが言い放つと続けて

『所詮、戦闘における情報戦は常に騙し合いになるのさぁ』

とリーダーが言った後

『状況確認に行った連中には、襲撃者の追跡はするなとメールを送っておけ』

と副リーダーに指示を出す。指示を受けた副リーダーは、黙って頷くとパソコンの前でリーダーから言われた内容をメールで送信した。

その様子を見ていた劉は、リーダーに向かって

『不審者を野放し状態にして問題はないだろうな?』

と問い質すと

『気にすることはないですよ。どうせ、相手は貴方を狙っている以上、必ず向こうからアプローチを仕掛けてくるはずなので、我々は貴方をガードする体制を変に崩さないことが重要です。これくらいの事で下手に慌てて動く事で我々の体制が崩れると隙を作ることになり、その隙を相手に衝かれて足元を掬われることになりますから』

リーダーの男は、落ち着いた様子で説明するのを劉も納得したようで

『それじゃ、あとはお前に任せる』

と言い残すと指令本部を出て行った。

部屋を出た劉は、自らの執務部屋に向かうと内線電話の受話器を取り上げ

『私の部屋に紅茶を持って来てくれ』

内線電話に出た執事に告げると、クッションが効いた椅子に腰掛けて外線電話の受話器を手に電話を掛ける。

『もしも、例の件ですが、あれから検討されて、そろそろ結論が出ているかと思いまして電話を入れたのですが』

と電話の相手に問い掛けて、相手の話を聞き終えると

『まぁ、誰でも、お金に魅力を感じるのは一緒ですが、あまりに欲を出し過ぎると相手方も足元を見過ぎると立腹して、折角の話も破談することになります。どうですか?先方に500万ドル上積みしてもらう事で折り合われては、それで納得されるのなら、私が先方に条件を示して、その条件内容を飲んで頂くように説得しますが』

劉は優しげに提案すると、電話の相手も概ね了承したようで

『そうですか、それは懸命な判断です。それでは私が申し上げた内容で先方に条件を飲んで頂くよう説得いたしましょう。それでは、後ほど良い知らせを電話いたしますので、失礼』

と言うと電話を切った。受話器を戻した劉は、冷淡な微笑みを漏らすと『金に目が眩んだ資本主義のバカ共が』と独り言のように呟く。

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