ソーティー
カワサキは、劉の居宅正面から見て右斜め後ろの直線距離が2キロメートルほど離れた山林の中を歩いていた。背中には大型バックパックを背負い、左肩にプレシジョンライフル銃を納めたソフトケースを掲げて、首にはナイロン製の負い皮を装着したP90短機関銃をぶら下げ、腰にはナイフシースに入れたコンバットナイフとホルスターに差したM&P5.7拳銃を下げた状態で、かなりの重量を携行していた。
劉の居宅を偵察中に、劉のボディーガード達から襲撃を受けて、どうにか無事に脱出できたものの、それくらいの事で偵察や暗殺を簡単に諦めてしまって引き下がるような選択肢はない。
ある程度、劉の居宅から距離をおいた場所で、新たなアプローチ地点を探し出し、その近くで比較的人目に着き難いスペースへパジェロミニを停め、積載した全ての荷物を身に着けて山中を歩くことにした。なお、ボディーガード達の襲撃によって砕け落ちてガラスがない左右の窓には、大型バックパックに入れておいたブルーシートを使って、目張りだけを施しておく。完全に窓を塞いだわけではないが、応急措置とはいえ周囲の昆虫等が入り込めない程度には窓を閉めきることができた。
多くの荷物を携行している状態のカワサキであるが、加えて劉のボディーガード達が仕掛けているかもしれないセンサー類に対しても注意を払いながらの行軍は、想像以上に距離を稼ぐことができない。更に、カワサキは現在の地点から最短距離で劉の居宅に向かっているわけでは決してなく、敢えて迂回するようなルートを選択して遠巻きに劉の居宅へ迫ろうとしている。
カワサキとしても、先程の偵察で劉の居宅について詳細な情報が得られたわけではなく。想像以上に敷地が広いことと、その敷地には遮蔽物が1つも見当たらず、侵入者が居れば確実に発見できる状態になっていることくらいのことしか把握できず、CIAから提供された衛星写真の情報と大して違いがない状態である。ただし、敷地外の広いエリアにまで人感センサーのような機器が設置されていたのは完全に盲点であり、その意味では、貴重な情報が入手できたと言えないこともない。
カワサキは、現状では更に多くの劉の居宅周辺に関する情報を把握したいと考えており、そのためには多少の距離があったり、時間が掛かるようなことになったとしても偵察に重点を置きたいというのが本音である。
そんな思いでいるところへ、徐々に陽が暮れ始め少しずつ周囲が暗くなりそうな頃であったが、木立が比較的自生しておらず直線距離で1.000メートルくらいは離れているものの、劉の居宅を見下ろせそうな場所に辿り着くことができた。カワサキは、周辺を丹念に調べてみたが、幸いにも人感センサーのような機器が設置された形跡が見見受けられなかったので、背負っていた大型バックパックを降ろすと急いで双眼鏡を取り出した。
劉の居宅を見下ろす場所に居るとは言え、1.000メートルくらい離れているので双眼鏡の倍率を最大にして覗いているが、日暮れが近付いているため、光量が不足して双眼鏡に映る像が暗くなった状態でしか見ることができないが、折角のチャンスを無駄にしたくはないとの思いで、僅かな時間であっても偵察しようと敷地内を見回してみると、敷地の広さは優にサッカーコート1面分は有りそうな広さで、その広い敷地にも拘わらず玄関前から正面ゲートまで車1台が走行できるそうな道巾だけがアスファルト舗装されている以外は、敷地全面が芝生に覆われているだけで庭木の1本も植栽されていない殺風景な感じである。
今、カワサキがいる位置は劉の居宅を右斜め後ろから見ている状態になっているのだが、建物は鉄筋コンクリート造りの2階建てとなっており、その規模は日本家屋2戸分が有りそうである。更に、建物の裏側には一部分が閉じたシャッターがあるところを見ると劉が乗降の際にも狙われる事のないよう室内型の車両駐車スペースが確保されているのだろう。また、建物の全ての窓には金属製の格子が備わっており、窓ガラスを割って外部からの侵入を容易には許さない造りとなっている。
次に、双眼鏡の視線を変えて塀の上部へ向けてみると、最上部には黒っぽいコード状の物体が横たわっているのが確認できるところをみると、きっと高圧電流が流されていて容易に塀をよじ登って侵入させない対策まで施されているようである。
カワサキは、更に警備装置等の設置状況を確認したいと思っているが、更に陽が傾いてきているので光量が不足し過ぎて細かい所を見ると像がぼやけて判別することができない。
これ以上は双眼鏡で偵察するのは、夕暮れが迫って陽が沈み暗くなってゆく一方の状況では、双眼鏡を使うのは限界がきている。
本日は、これ以上の偵察を諦めて近隣で野営することにして、肉眼になってしまうが遠巻きからでも深夜になってから劉の居宅を観察しながら、明朝になって辺りの明るさが増した状態となってから改めて双眼鏡を使って偵察することにした。
カワサキは、周囲を見渡して比較的平らそうな箇所を見付けると背負っていた大型バックパックや銃器を収納しているソフトケースを降ろしてバックパックの中から、1人用の組立式簡易テントを取り出して組み立て始めた。組上がったテントの四隅にはペグを地面に打ち付けて転倒することのないよう固定すると、テントの上部には付属していた専用の防水タープを張って風等で飛ばされないよう四隅をテントの骨に固定しておいた。設置したテントの中へ、降ろしていたバックパックから折り畳んで収納していたエアマットと寝袋を出してテント内に敷いてから、降ろしていたバックパックや銃器を収納したソフトケースをテントの中へ収容する。
本来ならば、テントの前で焚き火を起こして煮炊きをしたいところだが、劉の居宅から1.000メートルの距離があったとしても夜間に火の気がない場所で焚き火をしては、極度に目立ってしまい態々居場所を教えてしまうことになる。山中で夜を過ごすのに炊事以外にも暖を取るために必要ではあるが、今回のケースでは火を起こすことを諦めて夕食は、コンビニエンスストアで購入したクッキータイプの栄養補助食品とペットボトル入りのミネラルウォーターで済ませることにした。
西陽が完全に落ちて周囲は暗くなってきたが、その明度の変化は徐々に明るさが減らされていったので、カワサキも夜目が充分に効いて劉の居宅の輪郭程度なら肉眼で判別する事ができていた。
暫く、カワサキが肉眼で劉の居宅を眺めていたのだが、不思議なことに各窓から室内の光が漏れてこないのと、敷地内に常夜灯がなく真っ暗な状態になっている。それは、劉のボディーガード達が夜間になって周囲が暗くなれば暗視スコープ等を利用して視界を確保している可能性を暗示していることになる。
暗視スコープは、極微量の光量を増幅して視界を確保する装置なので、逆にあまり強い光が当たってしまうと暗視スコープから見える視界が白く霞んでしまって使い物にならないばかりか、余りにも強い光が増幅されて網膜に届くことになるので、使用している人間は視覚障害をおこして失明する可能性さえある。
一旦、テントの中に引き上げたカワサキは、敷いておいた空気の抜けたエアマットを手にすると吸入口のストッパーキャップを外して口から空気を入れてエアマットを膨らまし始めた。充分に空気が行き渡りクッション性が良くなったエアマットを敷いて、その上に寝袋を配置すると寝袋の上に座り、P90短機関銃を引き寄せて手にしてから遊底桿を引いてSS190弾を薬室に装填して安全装置を掛けておく。
もし仮に、深夜に劉のボディーガード達が襲撃してきた場合に、このような山林の中ではライフル銃を使用するにしても取り回しが良くないので、P90短機関銃の方が専用の消音器を装着していてもライフル銃よりも全長が短いので、その分は取り回しが良く反撃する際にも重宝する。更に、山林地帯は遮蔽物が多いことから会敵距離も自然と近距離になるとSS190弾のような高速軽量弾であれば充分な対応が可能になる。
P90短機関銃を直ぐに掴める状態にして、寝袋の中で横になっていると疲労した身体には絶え間なく睡魔が襲ってくる。しかし、頭の片隅で敵の襲来に備えようと意識しているために何処か神経が過敏になっているので、すっかり熟睡といったことにはならず、断片的な浅い眠りにしかならない。結局は、朝までにカワサキが懸念していた襲撃を受けることなく日の出を迎えたのだが。断続的な浅い眠りで熟睡できなかったカワサキは、熟睡感がなく頭がボーッとした状態でテントの外に出てみると、背後からの眩しい朝日がカワサキを照り付けると目が眩んで、お陰で幾らかは頭がシャッキリとなってきた。
朝日が登って周囲の明るさが増してきたので、カワサキは大型バックパックに仕舞っていた双眼鏡を取り出して劉の居宅を監視し始める。昨日のうちに確認出来なかった箇所を重点的に眺めると、やはり塀の内側には赤外線による対人センサーらしき機器が設置されているだけでなく、敷地内の至る所に監視カメラが備わっているのが確認できた。
個人の居宅警備としては、カワサキの想像を遥かに上回って一種要塞のようになっているので、仮に拳銃の有効射程まで接近を試みようとするならば、劉の居宅に配電するための電気ケーブルを切断して、停電状態にするしかないが、この設備状態なら建物の地下に非常用発電装置くらいは有しているかもしれない。そうなれば、配電ケーブルを切断したところで非常用発電機を稼働させるのに数分も掛からないであろうから、実行したとしても何ら意味がない。
そうなると残る手段は、1.000メートル近い距離からの長距離狙撃が選択肢となる。カワサキが使用している308ウィンチェスター弾は、最大射程が1.200メートルくらいはカバーするものの、800メートルくらいが現実的である。事実、カワサキが従軍していた頃に経験した長距離狙撃も800メートルが最大で、それ以上の距離を射撃した経験がない。しかも、その時は隣にスポッター(観測手)という人間がいて、狙撃に必要な各種の情報をタイムリーに伝えてくれたからこそ、2~3発の着弾修正でヒットさせたくらいである。
それが、今回はカワサキ1人で望むとなるとプレシジョンライフル銃の弾倉に装填可能な10発で命中させることができるか確信が持てない。それほど長距離狙撃は繊細で難しい射撃なのだ。
確かに、銃口から放たれた弾丸が理論通りに飛翔してくれるのであれば、高性能のライフル銃と照準器に、これまた高性能のライフル弾薬を準備できれば、ある程度の射撃スキルで長距離狙撃を可能にすることになるが、現実的には弾丸が銃口から放たれた後は、標的までの風向や風速、更には気圧や湿度等の気象要件によって弾道が影響を受けて理論通りに飛翔してくれないのが事実なのだ。なので、劇画のように5.56×45ミリメートル弾薬のような高速軽量弾で1.000メートル以上の距離を初弾で仕留めるようなことは、完全に無理とは言わないが、あまりにも非現実的でしかない。
カワサキは、おもむろにCIAから貸与されている携帯電話で、先程の偵察や現時点での状況を有りのままメールで報告しておいた。その際、劉本人を未だに確認できていないので、劉本人だと断定できるような身体的特徴を早急に調査してレポートを送って欲しいことも忘れずに付け加えた。
暫くすると、CIAのミッション担当者からの返信メールで、劉本人の身体的特徴は至急調査して明日までにレポートを送るとなっているほか、暗殺の実行に係る長距離狙撃に関して、実際に劉の狙撃を行う場合には、バックアップ要員へも狙撃命令を出して同時に2方向からの銃撃で対処する方針であることも知らされた。
確かに、対象者を暗殺するのにケースにもよるが、今回のケースに限って言えば1人だけで実行しなければならない合理的な理由などはなく、CIAが求める結果を得ようとするのならば、複数の人数で対象者を狙った方が成功の確率は高まるのは間違いないので、カワサキがCIAのプランに異議を挟むことはなかった。
しかし、肝心の劉本人を確認する方法が見付からないようであれば、射殺した相手が実は替え玉だったという結果は充分に考えられる。
そうならないためにも、カワサキが狙撃ポイントを見付けるまでの間に、CIAのレポートが届くことを願って山林の中を更に歩き始めた。




