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姿なき狩人  作者: 二条路恭平
プロローグ

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ガレージ・ワーク

ベッドから床に、毛布がだらしなく落ち掛けそうになっている。カワサキが居るアジトの外では野鳥の囀ずりが絶え間なく聞こえてくるが、ベッドの上で眠りに付いているカワサキは未だ目覚めそうにもなかった。昨日は、何とか無事にアジトへ辿り着くことができたが、豪雨による洪水で不調をきたしたパジェロミニがアジトの数メートル手前でスピンを起こした挙げ句に停車してしまった。

アジトには当然、カワサキ1人しか居ないので自分1人の力で停車したパジェロミニを押してガレージまで車両を移動させ、アジトのリビングダイニングの椅子に腰掛けた時には、もはやカワサキには更なる用事をこなすだけの気力や体力さえも残っていないくらい疲労困憊な状態となっていた。

本来ならば、少なくとも昨夜のうちにハンティングに携行して豪雨のために雨水に晒されたプレシジョンライフル銃のメンテナンスを行っておくべきところだが、昨今の銃器は、その表面加工に防錆処理が施されているので、少々のメンテナンスが遅れたとしても直ちにライフル銃が錆等の発生によって性能が著しく低下する可能性が低い。そういった理解もあってか自らが疲れきっている状態に甘えてしまった感は否めず、ライフル銃のメンテナンスを後回しにしてしまった。ただし、幾ら防錆処理の表面加工が成されているとは言え、余り安易に銃器のメンテナンスを怠ってしまうようでは銃器そのものの性能を維持することが出来ない。

しかし、流石に身体の疲労から来る眠気には勝てなく、ライフル銃のメンテナンスは明日の朝食を終えたら、必ず午前中に行おうと自らに言い聞かせているうちに、ベッドに倒れ込んだカワサキは夕食を取ることさえも忘れて眠りに落ちてしまった。


ベッドの上で、漸く眠りから覚醒し始めたカワサキが上半身を起こして寝起き直ぐの目で、ベッド脇のテーブルに置いてる時計を見る。カワサキ自身が思っていた以上に、疲れていたのか時計の針は11時少し前を示していた。それを目にしたカワサキは、眠気が一瞬で消え失せベッドから飛び起きると朝食の準備と言っても時刻的にはブランチと言えるが支度を始めた。

普段と代わり映えのないメニューを胃に送り込み、食べ終わった後の汚れた食器等を洗って、洗顔や排便を済ませると少しは落ち着いた心持ちになったところで、先程まで食事を取っていたテーブルを横にずらして床下収納に見せ掛けた扉を開けて地下室への階段が現れると、ベッドの脇に立て掛けていたプレシジョンライフル銃を収納しているソフトケースを手に地下室への階段を降りて行く。

地下室で、ソフトケースからライフル銃を取り出して、テーブルに備え付けたメンテナンス用の器具に据えると、壁際に設置されている大型ロッカーから乾いた使い捨てタオルを数枚持ってくるとテーブル脇の椅子に腰掛けて、一旦ライフル銃の外観の汚れを拭き取ると装填していた弾倉を外す。次いで、遊底を後方から慎重に抜き取ると、テーブルの上に敷いているクリーニングマットに外した遊底を置く。再び大型ロッカーへ向かい銃身内に付着した弾丸からの銅等を溶かして除去出来るソルベントと言う溶液が入ったボトルとバッチと呼ばれる3~4センチメートル四方の大きさの四角い布、更にパッチと同じ大きさのフェルト、洗矢と呼ばれる細長い柄の部分に、洗矢の先端に取り付けるブロンズブラシ、加えて銃身内にブロンズブラシ等を通す際に使用する樹脂製のクリーニングボアガイドを持ち出してきた。

遊底を外した薬室側へクリーニングボアガイドを差し込み、次いで銃床部に使い捨てタオルを敷いて銃床を養生しておく。クリーニングボアガイドは、銃腔内に洗矢を通す際に片寄ることなく真っ直ぐになるよう補助するのと、ソルベントをブロンズブラシで銃腔内に塗布する時に、ソルベントが機関部に溢れ落ちないよう保護するクリーニングギアである。

銃腔のクリーニングをするための事前準備が整うと、細長い洗矢にブロンズブラシを捩じ込んで取り付けると、ソルベントの容器の蓋を外して、ブロンズブラシにソルベントを付着させてから、クリーニングボアガイドの最後部の孔から銃腔内にクリーニングボアガイドを通してブロンズブラシに付着させたソルベントを塗布してゆく。ライフリングにこびり着いた弾丸の表面をコーティングしている銅が溶け出すまでに5分程度の時間を要することから、そのまま放置しておく。

その間は、ブロンズブラシに付着させたソルベントをソルベントクリーナーを使ってソルベントを除去しておく。ソルベントには、金属等を溶解する成分が含まれているので、金属製のブラシにソルベントが付着したままで放置しておくとブロンズのブラシ部分が侵食されてブラシとして使い物にならなくなってしまう。

ブロンズブラシの洗浄が終わったカワサキは、銃腔内の銅等がソルベントによってすっかり溶解するまでの間、ライフル銃から取り出してクリーニングマットに置いておいた遊底を手に取ると、付着している煤等をナイロンブラシで掻き出して除去すると使い捨てタオルで充分に拭き上げてから、仕上げに遊底の各所に薄くグリースを塗布しておく。

洗矢からブロンズブラシ部分を取り外し、次にパッチジャグという部品を取り付けて、そこにパッチを1枚パッチジャグに絡ませてクリーニングボアガイドの最後部から銃腔内に押し込み、ソルベントによって溶け出した銅等の汚れを除去してゆく。この時、綺麗な複数枚のパッチを通してライフリングに着いた汚れを完全に除去したところで、パッチと同程度の大きさのフェルトを数枚使って、塗布したソルベントを拭き取ってゆく。最後に、フェルトにスプレー式のガンオイルを適量吹き着けたものを薬室側から銃口まで通して薄くオイルが塗布されたようにしておくことも忘れずに行う。

次に、大型ロッカーからライフル銃の薬室周辺をクリーニングするためのチャンバーモップとリセスラグクリーニングロッドという道具を持ち出してくると、遊底を取り外したライフル銃の機関部後方からチャンバーモップを差し込んで薬室内に付着した煤等の汚れを掻き出してゆく、ある程度の汚れを掻き出すことができたならば、リセスラグクリーニングロッドに数回折り畳んだフェルトを先端部に取り付けた状態で薬室から後方の汚れを拭き取ってゆく。

一通りのクリーニングを終えると、ライフル銃の機関部にスプレー式のガンオイルを適量吹き付けた後で、取り外していた遊底を元の箇所に戻してメンテナンスを完了させた。

その後、取り外した弾倉から装填していた実弾を全て取り出して、実弾はプラスチックの弾薬ケースに仕舞い、空になった弾倉はライフル銃に装着してガンラックに立て掛けておいた。

ライフル銃のメンテナンスを終えたカワサキは、1階へ戻り床下収納扉とテーブルを元の状態に直し、ショルダーバッグに仕舞っていたサバイバルナイフを取り出すと流しに向かい、イノシシを解体する際に付着した血液や泥等の汚れを中性洗剤で充分に洗い落としてから、給湯器から60度のお湯で5分程濯いでおき、洗い終わったナイフは、乾いた使い捨てタオルで水分をしっかり拭き取っておく。

クリーニングを終えたナイフをナイフシースに戻しておきたいところだが、ナイフシースの内側にも水分が残っているので、暫くはナイフを入れずにナイフシース自体を乾燥させておくことにした。

そこまでの作業を終えたカワサキは、ガレージに向う。パジェロミニは前日に帰宅した際、疲労感を感じていたが無理しながらも油圧ジャッキがある箇所へ停車させておいたので、電動油圧ジャッキで車体を持ち上げる前に、インパクトレンチを使って4本のタイヤを止めているホイールナットを全て緩め始めた。全てのホイールナットを緩め終えると電動油圧ジャッキの上昇ボタンを押して作業し易い高さにまで車体を持ち上げる。

手始めに、インパクトレンチで左側前輪のタイヤを外してブレーキ周りを見てみると、ブレーキディスクの表面にハッキリとした幾筋かの傷が見受けられた。

一昨日の豪雨で発生した洪水によって車両が浸水した際に、泥に混じって極小さな石粒がディスクローターとディスクパッドの間に入り込み、それらがブレーキのディスクとローターに悪影響を及ぼしてブレーキ自体の利きが悪くなったのかもしれない。更に、ブレーキキャリパーを外してみるとブレーキパッドに割れたところがあったようで一部が欠落している。

こうなると、ブレーキディスクとブレーキパッドを取り寄せて交換しなければならない。早速、カワサキはネットでパジェロミニ用のブレーキディスクとブレーキパッドを注文した。日本の自動車修理工場やディーラーを信用しないわけではないが、修理依頼をしても急いで対応して貰える確証はない。それに、ブレーキディスクとブレーキパッドの交換くらいならば、多少の手間は掛かるがカワサキにも出来る内容なので、自分でやったほうが逆に早いかもしれない。

幸いにも、部品の在庫があるようなので、明後日にはカワサキの元へ送られてくることが分かった。カワサキは、それらの内容をCIAへ報告しておく。

その後、カワサキは確認の意味で他のタイヤも外してブレーキの状態を見ることにした。元々、部品の注文も4箇所全てのブレーキディスクとブレーキパッドを交換するつもりでいたので、作業の手間を考えれば全てのタイヤを外しておいた方が効率的であるだけでなく、ブレーキが故障している状態では車両自体を運転するわけにはいかない。

3箇所のタイヤを外して確認してみたが、左側の前輪以外に異常は見当たらなかった。更に、カワサキは油圧ジャッキを上げて車体底部も確認してみるが、左前輪のブレーキ以外の異常な発見されなかった。


カワサキがパジェロミニのブレーキ異常を発見して2日後、宅急便で注文していた部品が届いた。カワサキは早速、ガレージに向かい部品の交換作業を始める。パジェロミニは前回のまま油圧ジャッキに載せた状態で、4本のタイヤも外したままにしておいたので、早速ブレーキキャリパーを固定しているボルトを外して、ブレーキキャリパーを持ち上げるようにしてブレーキパッドを外し、次いでリザーバータンク内のオイルを半分くらい抜いて作業中にオイルが溢れることのないようにしてから、ブレーキキャリパーのピストンを引っ込めて、購入した新品のブレーキパッドがブレーキキャリパーに接触する部分にグリースを適量塗布してからブレーキパッドを交換する。更に、ブレーキディスクを取り外して新しいディスクに換えるのだが、新品のブレーキディスク表面は防錆処理が施されている関係で油分があるため、交換前にブレーキクリーナーで脱脂してから取り換えた。

このような作業を1人で行ったほか、リザーバータンクから抜いたオイルの補充に、ブレーキオイルのラインからのエア抜き作業等を終える頃には、気が付けば辺りは夕暮れを迎えていた。本来ならば、ブレーキの作動確認や試運転を行うところだが、暗いなかでは何か不具合があった時に面倒なことになると思い、作動確認や試運転は明日の午前中に行うことにした。

洗面所の流しに向かい、パジェロミニの修理作業で汚れた手を洗い、夕食の準備に取り掛かる。料理をしている最中に合間をみてCIAへ車両の修理状況を報告しておいた。すると、CIAからは明日のブレーキ作動確認と試運転に問題がなければ新たなミッションに着手してもらう旨の連絡が送られてきた。

出来上がった料理を頬張りながら、CIAから届いたメールと添付ファイルを確認すると、新たなミッションは中国系男性の暗殺作戦であった。暗殺対象者の名前は劉虎健と言い、年齢は67歳となっている。職業は、企業のM&Aコンサルタントとなっているが、CIAから送られたレポートには、国際的な影響力がある企業をターゲットに、実質的に中国の国営企業との非合法手段での合併を行い、国際経済面でも中国の影響力を強化して西側主要国への圧力を強めようと暗躍しているフィクサーのような存在となっている。

今回、CIAが暗殺計画が立案されたのは、最近の劉虎健が画策し始めたM&Aが、米国内の原子力発電関連企業をターゲットにした企業合併を狙っている節があり、もし仮に劉虎健の企てが成功した場合には、米国内の原子力発電事業が実質的に中国の支配下に置かれることになり、米国内における電力供給というインフラが押さえられることとなり国内の不安定化を招くばかりか、近年におけるIT関連企業の開発やサービス供給の主流が生成AIとなっている状況で、その生成AIの開発やサービス供給には多大な電力が必要とされる。しかしながら、一方で国際的には地球温暖化が叫ばれていることを考慮すると、二酸化炭素の排出がない原子力発電はIT関連企業を国内産業として成長させてゆくには鍵を握るポイントである。その重要ポイントを中国の国営企業同然にされては米国の国益上も望ましくはない。

そこで、劉虎健の企てが成功しないうちに彼を暗殺することで米国内の原子力関連企業の企業合併を阻止したうえで、今後も米国にとって重要産業を安定的に発展させる目的で、CIAによって計画が企画立案されたということになる。しかしながら、暗殺対象者である劉虎健も自身の仕事が性質上、常に生命が危険に晒されることを認識しているので、自身の周囲をガードするために実践経験が豊かな傭兵上がりの人間達を雇い入れて強固に固めている。そのため、CIAも計画実施にあたってカワサキのような軍隊で特殊部隊に従軍するだけのスキルを持った特殊要員の出番となったのだ。

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